エピソード2 新人さんを応援するシェフ
手稲山から西宮の沢の店舗へ戻ると、僕の慌ただしい一日の中盤戦が始まる。
僕の日課はだいたい決まっている。早朝は厨房にこもっての仕込み。朝のピークタイムは、ダンジョン前まで『ハクリュウ』を走らせてキッチンカーでの営業。そして昼は、こうして自宅兼店舗のカウンター越しにお弁当を販売し、夕方からはお得意さんへの配達と……明日のための「食材の仕入れ」だ。
店舗での昼営業は、近所の主婦や現場仕事の人たちでほどよく賑わう。客足が少し落ち着き、初夏の陽気が心地よく店内に差し込み始めた頃、入り口の引き戸がカラカラと鳴った。
「はい、いらっしゃい。弁当屋ハクリュウへようこそ」
「こんにちは。湊さん」
聞き覚えのある声。僕がカウンター越しに顔を上げるより早く、足元で丸まっていた白い毛玉が反応した。
「ん、誰だ?」
ナッツが、あろうことか念話ではなく『声に出して』尋ねてきた。僕は慌ててカウンターの下に手を伸ばし、その口を物理的に塞ぐ。
「シッ、ナッツさん、声出さないで……」
「何でだよ」
「猫がしゃべったらおかしいでしょ」
モゴモゴと抗議するナッツを足元に隠していると、カウンターの向こうで様子のおかしい僕を見て、客が控えめに声をかけてきた。
「あの、お弁当いいかしら」
「あ、お待たせ。朱里さん、久しぶりですね」
そこに立っていたのは、近所のアパートに住む瀬野朱里さんだった。少しだけ疲れたような、けれどどこか張り詰めた表情をしている。
「そっか、そうよね。二週間ぶりか」
「探索者試験はどうだったの?」
「うーん……わからない。まだ実感がないというか……明日、実地試験があって、半田さんとダンジョンに行くことになってるけど」
(そっか、それで半田さんは明日のお弁当は昼過ぎか……)
今朝のダンジョン前でのやり取りが、ここで腑に落ちた。半田さんは彼女の実地試験の試験官か、引率を任されているのだろう。
「ん? 半田さんが一緒なら心配ないよ。昼すぎには帰ってくるんでしょ?」
「え? 半田さんが言ったの?」
「あ、いや……お弁当の配達の時にちょっと話をしただけ」
僕は少し誤魔化しながら、私服姿の彼女を観察する。今日は身につけていないが、彼女がいつも懸命に手入れしている武器を知っていた。
(そっか、朱里さんの能力は『鬼火』か……魔術系の能力だけど……訓練しているのは双剣、相性が悪いな)
近接戦闘になれば、魔術特化の彼女の命は危うい。誰か適性を指導してくれる人間はいなかったのだろうか。
「今日はどのお弁当にしようかな」
「本日のおすすめは、ブラックフォーンのハンバーグだよ」
「ブラックフォーンって……それ、深層部にいる魔物じゃない」
朱里さんがくすりと笑う。ブラックフォーンといえば、漆黒の毛並みを持つ巨大で凶暴な魔獣だ。
「以外と美味しいんだよ」
「いいって、そういうの。お弁当屋さんにダンジョンは必要ないでしょ」
(冗談に思われているのか……)
まあ、ただの弁当屋が深層の魔物をミンチにしてハンバーグを作っているなんて、普通は信じない。その方が都合がいいのだけれど。
「まぁ、食べてみてよ」
「わかったわ。ンじゃ、それにする」
「毎度あり」
ずっしりと重い、温かい弁当を袋に詰めながら、僕はふと思いついて声をかけた。
「ところでさ、朱里さん。明日の朝もダンジョンに行くんだよね?」
「試験だからね……」
「ダンジョンに行く前にお店に顔出せる? どうせ、朝ごはんもゆっくり食べないで行くつもりだよね。簡単に食べられるもの作っておくからさ」
「え? いいの?」
「もちろん」
「じゃあ、また明日ね」
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