エピソード20 何でもありなシェフ
――キシャアァァッ!!
新川通にハクリュウを走らせていると、突然、夜空を引き裂くような異形の雄叫びが響き渡った。
近くではない。だが、間違いなくこの世界の生き物が発する声ではない。
周囲の車がパニックを起こして急なブレーキを踏む中、僕は一切の動揺も見せず、一定の速度を保ったまま音のした方角へと車を進めた。
やがて前方に、異常な渋滞と人だかりが見えてくる。車を降りた野次馬たちが、一様に怯えた顔で新川の川面を見上げていた。
その頭上――暗い夜空を乱舞するように大きく羽ばたく、巨大な黒い翼のシルエット。
眼下を威嚇するように、二度目の雄叫びが高らかに轟く。
その鼓膜を破るような声を聞いた瞬間、川岸に集まっていた群衆たちが、次々と糸の切れた人形のようにその場へ座り込み、ガタガタと震え出して動けなくなってしまった。
(ただの声じゃないな。強者のプレッシャーで空気を重くし、精神を麻痺させる能力か……)
……このまま、放っておくことはできない。
「ナッツ……っ! 運転お願い!」
一秒でも早く飛び出そうと、僕は走行中にもかかわらず咄嗟にハンドルを任せようとした。
『無理いうな、私は猫だぞ! 早く車を脇に停めろ!』
「だよね……やっぱり」
『ただの猫に要求が強すぎだ!』
「……『ただの猫』ね」
含みのある言い回しで返しつつ、僕は迷わず急ブレーキを踏み込んだ。
世界に点在するダンジョンには、いくつかの種類がある。
階層ごとに生息する魔物が固定されている『常設型』。入るたびに内部のフィールドが変化する『変動型』。そして今回のように、いつどこに現れるか規則性が未だに解明されていない『ランダムダンジョン』だ。
通常、こうした緊急事態にはARCANA所属の探索者たちが事後対応に向かうのが定例となっている。だが、今回のように魔物が突発的に市街地へ出現した場合は、被害を最小限に食い止めるため、現場に居合わせた僕のような『即応探索者』が初動対応にあたるケースも多い。
とりわけ、ランダムダンジョンから吐き出された魔物は、出自不明の厄介な個体が多い。
現実世界とは異なる次元が無理やり結びつくことで発生する次元の歪み――その狭間に生じたワームホールのような穴に吸い込まれ、本来なら現れるはずのないイレギュラーな魔物がこの次元へと落ちてくる場合が多いからだ。
(……つまり、あの黒い鳥も『イレギュラー』ってことだ)
だったら……まだ、チャンスはある。
突然、見知らぬ土地に召喚されたあの黒い翼の鳥も、今はひどく混乱しているようだ。むやみに刺激さえしなければ、すぐには襲いかかってこない。上級の魔物は高い知性を持っている。自身の身に危険が迫らない限り、大勢の人間がいる場所で無差別に暴れ回るような愚行は犯さない。
とはいえ……地上から見て三十メートルの空中に居座る魔物は厄介だ。このままでは、僕のナイフの射程に届かない。
そうこうしているうちに、魔物は「自分の方が圧倒的に優勢である」という事実に気がつき、本能のままに眼下の人間たちを獲物として狩り始めるだろう。
「ナッツさん! 頼めるかい?」
『任せろ……あの小鳥を落とせばいいのだな』
そう言うと、白い猫はしなやかな動きで新川にかかる橋の手すりへと身軽に飛び乗った。
そして、空を見上げると――。
『――ニャアァァァァァンッ!!』
それは、文字通り空間を震わせる『王の咆哮』だった。
人間の耳に聞こえる音自体は、少し大きな猫の鳴き声にすぎない。しかし、その声に込められた圧倒的で濃密な『威圧』が、不可視の衝撃波となって一直線に上空の黒い鳥へと叩きつけられる。
――ピィッ!?
直前まで強者のプレッシャーを撒き散らしていた黒い鳥が、空中でビクンと痙攣した。
本能レベルで「絶対に逆らってはいけない絶対強者」に睨まれたと理解したのだろう。圧倒的な恐怖で両の翼が硬直し、完全に体勢を崩した魔物は、無様な短い悲鳴を上げながら、錐揉み(きりもみ)状態でこちらの射程圏内へと一気に墜落してくる。
墜落していく黒い鳥に向けて、僕は一気に走り込む。
橋の手すりから身を乗り出し、右手のナイフを構えたが――。
(……くっ、まだ届かない!)
いつも仕込みで愛用している、ジャガイモの皮むき用のペティナイフでは、刀身の長さに限界がある。付与能力で魔力を込めて威力と硬度を高めることはできても、刀身そのものを何メートルも伸ばすことはできない。
『まずいぞ、ミナト……! ここで体勢を立て直して羽ばたかれると厄介だ!』
「……羽ばたく、か」
ナッツのその言葉に、ふと脳裏に閃くものがあった。
(……その手があったか!)
僕はすかさず、左手でエプロンのポケットから『ある物』を掴み出すと、瞬時に手のひらへ莫大な魔力を練り上げた。
「付与能力――『硬化』」
カアァッ、と青白い魔力の光が手の中の物体を覆い尽くす。
僕はその光を逃さぬよう、続けざまに言葉を紡ぎ、幾重にも術式を重ねていく。
「『耐久』。さらに――『鋭利』」
キィィィンッ! と空気を震わせる高い鳴き声が響き、限界まで圧縮された魔力が、まるで極上の刃のような鋭い輝きを放ち始める。
そして、獲物を見据えて振りかぶった僕の右腕に、最後の術式が鮮やかに浮かび上がった。
「――『加速』ッ!!」
その詠唱が完了した瞬間、僕の左手は、ポケットから無造作に掴み出した数十枚の『ソレ』を、魔物の巨大な翼に向けて迷いなく解き放った。
その正体が何であるかは、下から見上げている群衆には分からないだろう。
(……届け!)
付与能力によって超硬化・超鋭利化、そして超加速された数十の束は、夜空を切り裂く無数の「光の刃」へと変貌する。
墜落中の黒い鳥の両翼は、バババババッ! という凄まじい着弾音と共に一瞬にして蜂の巣のように貫かれ、その飛行能力を完全に粉砕された。
「キィァァァッ!」
痛みと屈辱で絶叫する魔物が、最期の悪あがきとして、僕に向けて口から巨大な火球を形成し始める。
だが、その火球が放たれるより早く、僕は橋の欄干を思い切り蹴り上げていた。
雨の降る夜空へ、魔物に向かって一直線に身を躍らせる。
突進する僕と、墜落する魔物。降り注ぐ雨粒すらも置き去りにする速度で交錯した、その一瞬――。
カッ!!
僕は右手のペティナイフに、残るすべての魔力を一極に集中させ、限界まで凝縮して流し込んだ。
刀身が、不可視の鋭利な刃へと変貌する。
魔物の放った熱線の火球が僕の鼻先をかすめるが、構わず突っ切る。
すれ違いざま――僕はペティナイフを、静かに、そして最速で薙いだ。
橋の上の人々には、ただ夜空に一筋、細く冷たい『光の線』が走ったようにしか見えなかっただろう。
その瞬間、魔物の巨体は、一刀のもとに頭部から胴体まで綺麗に二つに分断されていた。
――キィ……。
断末魔の叫びすら途中で途切れ、魔物の半身が二つに分かれて墜落していく。
僕は分断された魔物の胴体を足場にするように蹴り、そのまま静かに雨の地面へと着地した。
ズドォォォォォンッ!!
背後で、魔物の二つの巨体が地面に激突し、爆鳴と衝撃波が轟く。
僕は振り返ることなく、ペティナイフについた雨を静かに払い、エプロンのポケットへと戻した。
『ミナト……無事か』
「心配ないよ。もう終わったから」
頭の中に直接響くナッツからの念話に、僕は短く答えた。
これでひとまず、この場での被害は防ぐことができた。残る問題は、元凶であるすすきののランダムダンジョン本体だ。
僕が静かに振り返ると、スタン状態から解放された新川通の群衆たちが、目前の光景にパニックと困惑の声を上げていた。
「い、今のは何だ!?」
「見ろ、あのデカい魔物が真っ二つになって倒れてるぞ……!」
「いったい誰がやったんだ……?」
ざわめきが広がる中、雨の夜空から、ひらひらと何枚もの「小さな紙」が舞い落ちてきた。魔法の効果が切れ、ただの紙切れに戻ったそれらが、新川の風に乗って群衆の頭上に降り注ぐ。
「なんだ? この紙……」
「あ、こっちにも降ってきたぞ」
「向こうにも落ちてる……」
街の人たちが不思議そうに、宙を舞うその四角い紙片を次々と拾い上げる。
橋の手すりの上からその光景を見下ろしていたナッツが、深い、深い大きなため息をついた。
『……ミナト。お前、店のポイントカードを投げたのか』
「いやー……とっさに、ポケットの中に飛び道具になりそうなものが他になくてさ」
僕は思わず苦笑いしながら頭を掻く。
先ほど能力付与で極限まで強化し、魔物の翼を蜂の巣にした光の弾丸の正体。それは紛れもなく、うちのキッチンカー『ハクリュウ』で常連さんに配っているスタンプ式のポイントカードだった。
『ったく……お前の能力は、本当に何でもありだな』
呆れ果てたナッツの念話が、雨音に混じってやれやれと響いた。
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