エピソード17 秘密を抱えたシェフ
あの日の夜……僕はカエデから呼び出された。
夜の街に車を走らせる。まだ冷たい夜風がフロントガラスを曇らせていた。
『…………』
助手席に座る白い猫は何も言わずに口を閉ざしている。そのまま、カエデの待つ研究所へと向かった。
(純魔素……か……)
(始原のダンジョンと関係しているのかな?)
(いやいや……何も接点はないはずだ……)
(ダンジョンの生み出される原理を考えてもあり得ない……)
(じゃあ……始原とは別件……? それとも……)
『……純血統種の生き残り? 考えにくいな』
ナッツと僕は同時に同じことを考えていたのか、僕の思考に呼応するようにナッツが呟いた。脳内に直接響く念話ではなく、音のある声だ。
「そんなことはないさ」
『そうだな……あり得ない……』
あり得てはならない……僕もナッツも同じ気持ちだった。
研究所に着くと、面倒なセキュリティが待っている。政府が管理している組織なのだから当然だろう。
僕たちを出迎えてくれたのは一人の若い男だった。白衣を着ているところからして、ここの研究所の一員なのだろう。
(……見ない顔の人だけど)
案内された先の部屋のドアを開くと、相変わらず片付かないラボへと通される。
「水島教授、彼らをお連れしました」
「鍵はかかってないから、勝手に入ってきていいわ」
……水島楓。職業は教授であり、魔素研究の第一人者。彼女はここ、北海道特異物質解析センター――通称「水島ラボ」の所長を務めている。
「今の誰……? 新しい助手?」
僕はカエデに聞くと、
「うーん、ま、誰だろう……」
『知らない人なのか?』
思わず声をもらすナッツに、彼女はからかうよういった。
「ふふっ、まさか。顔も知ってるし、年齢も年収も学歴も住まいも好みのタイプも、そして病歴も全部知っている人よ。だから、心配ないわ」
(ソレはソレで、何か怖いけど……)
「ま、秘密は守れる人ってことよ」
『……弱みでも握ってるのか?』
すかさずナッツが言う。
「彼は新しい、私のお世話係と言ったほうがいいかしら……」
「お世話係ね……」
「ようはあれよ、マネージャーのようなスケジュール管理をしてくれる人というか……」
『カエデが仕事そっちのけで魔素研究ばかりしてるから、監視をつけられたわけか……』
「…………」
図星を突かれたのか、カエデがジト目を向ける。
「そうまではっきり言われると、ナッツの生態をもっと詳しく調べたくなるわね」
その言葉に、ナッツはサッと僕の後ろに隠れた。
「‡Å‰―♀⇔〇⇔」
僕がふと口にした言葉に、後ろに控えていた男がピクリと動いた。
「今のは……?」
男が警戒したように言う。
「〇⇔‡Å‰―♀⇔〇⇔」
カエデが僕の言葉に同じ言語で返し、そして男に向かって日本語で言った。
「大丈夫。もしも、秘密を守れないようなら、この研究所から出られなくなるだけだから」
それを聞いて安心したような、逆に怖いような。
僕が今使ったのは古代語だ。
『あの人は政府関係者で、研究者ではなく重奏だ。つまり、覚醒者である。しかも割と高いレベルであること。戦闘系の能力者ではないようだが……』
という内容をカエデに伝えたところ、先ほどの不敵な反応が返ってきたというわけだ。
「監視役というのは間違いないわ」
『……あぁ、やっぱりな』
「私ではなく、純魔素のね」
『……………………』
……政府が動いてるのか。だとしたら、純魔素の検出は間違いではないようだ。
「悪いけど、少し席を外してほしい」
僕が振り返って言うと、名前も知らない監視役の研究者は首を横に振った。
「それはできません」
「どうして?」
「水島教授を守る立場にあります」
「それなら心配ない。僕以上に彼女を守れる者はいないからね」
「し、しかし……」
「お願いではなく、僕は君に命令をしているんだよ」
僕は小声で男に耳打ちした。
笑顔の奥に潜ませた危険な殺意に気が付き、男は顔を強張らせて無言のまま部屋を出ていこうとする。
『おい、ミナト……いいのか? あんなことして』
念話で心配するナッツ。
僕は、男が重い扉に手を掛けた背中を見つめながら――あえて彼に、いや、彼に仕込まれた『盗聴魔法』にハッキリと聞こえるような声で言った。
「大丈夫。彼らはただ監視しているだけだからね。まだ、ARCANAに逆らえるほど力をもっていないし……」
ピタリ、と。
その言葉を聞いた瞬間、男の肩がビクッと跳ねた。だが、彼は振り返ることなく、逃げるようにそそくさとラボから退出していった。
ガチャン、と重い扉が完全に閉まり、ロックがかかる。
密室になったのを見届けてから、カエデが頭痛をこらえるようにこめかみを押さえて口を開いた。
「なるべく、面倒なことは起こしてくれるなよ」
「……面倒を持ち込んでくるのは、いつもカエデさんのほうだろ?」
「……………」
「僕はただ平和に暮らしたいだけ……」
(始原のダンジョンの帰還者としてではなく、しがないお弁当屋として生きていきたい……ただそれだけ…)
「…………わかってるわ」
カエデは小さくため息をつき、手元のタブレット端末を操作した。
「要件から先に言うと、ミナトたちが持ってきたあのカニ……スパイダーウルフから、ごく微量ながら『純魔素』が検出された。でも……」
「体内からじゃなく、甲殻からでしょ?」
「……知ってたの!?」
「確証はなかったけどね。あの大量発生したとき、カニたちの動きが妙に規則正しかった。
だから、何かに操られているんじゃないかって……それが純魔素の影響かもしれないって思っただけだよ」
とくに明確な根拠があったわけではない。ただの勘だ。
『カエデ、純魔素が見つかったというのは本当か?』
ナッツが声を潜めて聞く。
「えぇ、間違いないわ」
『……始原の』
「それはまだわからないわ……それに、〇⇔‰††⇒♀⇔(シッ、黙って聞かれるわ)」
……ここで始原のダンジョンの話をするのはまずい、か。
僕も気配を探って納得した。この部屋の中ではないが、少し離れた場所から見張られている。
……よほど用心深いのだろう。先ほどの研究者の男だけでは不足と感じたのか、はたまたあの男を監視するのを目的としているのか……空間を見る能力者たちの気配が建物の外に二人ほど……
カエデはわざとらしく、明るいトーンで声に出して言った。
「ま、純魔素って言っても、通常の魔素よりも少し濃度が高くて、非常に稀に自然発生することがあるってだけの話よ。
もちろん、どのダンジョンでも起こり得ることだし、別に騒ぐほど珍しいレベルの数値じゃないわ。世界中にダンジョンが現れてパニックになってる今日この頃よ、何が起きてもおかしくないじゃない」
「そだね」
その声を聞きながら、僕は密かに意識を広げ、周囲に張り巡らせた。
分厚い壁の向こう側、遠くからこちらをうかがっている『索敵者』の気配がまだ残っているのを静かに確認する。張り詰めた糸のようなその視線をあえて泳がせたまま、僕はあくまで自然な、気の抜けた声で相槌を打った。
『………………』
(ナッツさん、手は出さないでね……彼らには殺気はないから)
『わかっている。無用な争いをするつもりはない』
僕たちは表向きの会話に合わせながら、念話で静かにやり取りを交わした。
「ところでカエデさん、お腹空いてない?」
僕がわざとらしく話題を変えると、カエデはハッとしたように腹を押さえた。
「あ……そういえば、二日前から何も食べていないわ」
『……二日前って……食えよ、飯くらい……』
呆れるナッツをよそに、僕は持参した袋を開けた。
「今日はカニ飯とカニ鍋を持ってきたよ」
「おおぉ……! これが例のスパイダーウルフを使った弁当ね……!」
身を乗り出したカエデの目が、怪しく光った。
それは空腹を満たす美味しそうな食事を前にした者の目ではない。「未知の魔物であるスパイダーウルフが、どのような工程を経て調理され、どんな成分変化を起こしているのか」を観察する、完全に研究者の好奇心に満ちた目だった。
「いつも悪いわね。色々と便宜を図ってもらって」
「いいよ、これくらい。僕が自由にダンジョンへ入れるのは、カエデさんが『即応探索者』の免許を手配してくれたおかげだからね」
探索者を引退した一般人は、原則として危険なダンジョンへ立ち入ることはできない。だが、それでは僕がお弁当屋を営むための『食材(魔物)』を調達できなくなってしまう。
そこでカエデは、僕を「即応探索者」として特別登録してくれたのだ。
これは本来、引退した適合者を予備戦力として確保しておくための制度で、街に魔物が溢れ出すような緊急事態や、特別な呼び出しがあった時のみ出動義務が生じる。
その身分を利用し、僕はダンジョンへ潜っている。要するに、「調査捕鯨の副産物が市場に出回る」のと同じ理屈だ。僕はあくまでカエデの『生態調査』に協力するという名目で魔物を狩り、その余った肉を弁当にしているというわけだ。
「さぁ、食べてよ。ハクリュウ特製弁当だよ」
僕が笑って手で促すと、カエデはスパイダーウルフのカニ飯をじっと見つめながら、小さく吐息した。
「……そうね。ミナトのその『副産物』が、私の研究の最高のサンプルになるのも事実だし」
そう言うなり、カエデは割り箸を割り、勢いよくカニ飯を口に運んだ。
一口食べた瞬間、彼女の瞳から理屈っぽい研究者の光がスッと消え、ただの『腹を空かせた一人の女性』の顔に戻る。そこからはもう無言だった。二日ぶりのまともな食事ということもあり、カエデは凄まじい勢いで絶品のカニ飯とカニ鍋を胃袋へと流し込んでいく。
(やっぱり、カニを食べる無言になるんだね……)
純魔素のこと。監視の目。そして、始原のダンジョンのこと――。
考えるべき面倒な問題は山積みだが、今はこれでいい。
『……元気になったみたいだな、美味そうに食べる』
(うん。作り手としては嬉しいよ)
僕は美味しそうに頬張るカエデの姿を眺めながら、彼女がスパイダーウルフの弁当を最後の一口まで綺麗に完食するのを待ってから、夜のラボを後にすることにした。
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