エピソード0 配達するシェフ
札幌の街並みを見下ろす手稲山の麓。かつての旧道は今、巨大なダンジョンの入り口として物々しいゲートに塞がれている。
そのすぐ手前、探索者たちが集まる広場の片隅が、僕のキッチンカー『白竜』の定位置だ。毎朝ここで、これから危険な場所へ向かう探索者たちに手作りのお弁当を売るのが、僕のささやかな日課になっている。
窓口から顔を出し、袋詰めしたばかりの温かい弁当を差し出した。
「はい、お待ち。弁当屋ハクリュウでーす」
「いつもすまないね」
受け取ったのは、歴戦のA級探索者である半田さんだ。顔に走る古傷が少しばかりいかついけれど、常連さんの中では一番礼儀正しく、僕の作る弁当を気に入ってくれている。
「最近のダンジョンの動きはどう?」
代金を受け取りながら、僕はいつもの世間話のトーンで尋ねた。
「さぁな、最深部に潜れる若い連中も減ってきてるからな、中層階でたまに深部の魔物がうろちょろしているだけだな」
「ふーん……」
僕は相槌を打ちながら、弁当とは別のおまけの包みを一つ差し出した。
「はい、今日のお弁当はコカトリスの唐揚げね」
「バカ言え、コカトリスなんぞ、深部にしかいねぇぞ」
半田さんが呆れたように鼻で笑う。当然の反応だ。
コカトリスといえば、深層階に生息する凶悪な魔物。ただの弁当屋である僕がそんな危険な食材を仕入れられるはずがない。これは「普通の鶏肉の唐揚げ」に物騒な名前をつけてからかっているだけだという、僕と常連客とのちょっとした冗談のやり取りだった。
「へいへい。ま、たべてみてよ、おいしいからさ」
「おうよ、また明日もよろしくな」
半田さんは唐揚げのいい匂いに目を細め、満足そうに背を向けかけた。その大きな背中に、僕はふと声をかける。
「半田さん、明日もダンジョンに行くの?」
「オレがいっちゃダメかよ」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
連日潜り続けるのは、ベテランのA級とはいえ身体への負担が大きいはずだ。僕の視線の意味を察したのか、半田さんは溜息をつき、首の後ろをぽりぽりと掻いた。
「……まぁ、なんだ。お前の言いたいこともわかるが、人手がないからな。んでもって、自治体からはスパイダーウルフの討伐を依頼されてよ」
「スパイダーウルフ? 自治体が何でまた……」
僕は首を傾げた。スパイダーウルフは群れで狩りをする厄介な魔物だが、それが自治体からの直接依頼になるというのは、少しきな臭い。
「まぁ……いろいろあんだよ」
半田さんはそれ以上深くは語らず、立ち去り際に一度だけ振り返った。
「あ、そうだ。湊、明日の弁当だけどな、昼過ぎでお願いしてもいいか?」
「別に良いけど」
そう軽く返事をして、僕は物々しいゲートの奥へと歩いていく半田さんの大きな背中を見送った。
昼過ぎの配達。そして、自治体からのスパイダーウルフ討伐依頼。
ただの弁当屋である僕が深く気にすることではないけれど、なんとなく胸の奥に小さな引っ掛かりを覚えた。
とはいえ、ダンジョン前に向かう探索者たちの朝のピークはこれで終了だ。
僕はキッチンカー『白竜』の跳ね上げ式の窓をパタンと下ろし、手早く販売カウンターの片付けを済ませた。
運転席のドアを開けて乗り込むと、助手席では白い子猫のナッツが、すでに丸くなって気持ちよさそうに眠っている。
「さて、帰って仕込みの続きをしようか」
寝ている相棒に小さく声をかけ、キーを回す。
真っ白な軽トラックのエンジンは、見た目の古さからは想像もつかないほど、静かで滑らかな音を立てて目覚めた。
シフトレバーを引き、ゆっくりとアクセルを踏み込む。探索者たちの熱気と、どこか鉄錆めいた匂いが立ち込めるダンジョン前広場を後にすると、車は手稲山の旧道を下り始めた。
窓を開けると、木々の隙間から札幌の穏やかな街並みが眼下に広がっている。
僕は、拠点である西宮の沢の自宅兼店舗へと向けて、軽快に白竜を走らせた。
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