第6章 死霊術(ネクロマンシー)
月は隠れ、風は高く、狼たちが遠吠えを上げる。
殺人と放火にはうってつけの天気だ。
レドは鋲を打った革鎧に身を包み、背には巨大な歩兵弓を背負っている。完全武装の彼が先導し、天裂はその背中を追っていた。
「お前らの信仰ってのは、つくづく狂ってるな」
天裂は軽口を叩いた。
「奉仕と無私の化身が『苦痛の母』だって? 天罰が怖いからって、人命救助すら躊躇うのかよ」
「女神エルの教義はシンプルだからな、大衆に受け入れやすいんだ」
レドは淡々と答えた。
「ソイ帝国は北方の港湾国家だ。『鉄脊』族の協力で三つの不凍港を開いたおかげで金回りはいい。国王陛下も銭勘定に忙しくて、宗教の派閥争いなんぞ見て見ぬふりさ」
「シンプルねぇ。無私奉仕イコール苦痛、だから利己主義がトレンドってわけか。……で、その『鉄脊』ってのは何だ?」
「察しがいいな。さすが大陸中南部からの旅人だ」
「あいにく俺はそんなところから来てねぇが……まあいい。機械いじりが得意な、樽みたいな連中のことだろ?」
「正解だ」
ドワーフのことだな、と天裂は即座に理解した。
「でお前は? 何を信じてる?」
「後ろめたい時は、適当な神様の祭壇でヒヨコみたいに頭を下げて許しを乞うさ」
レドは冗談めかして言った。
「そうじゃない時は、『人定勝天(人の意志は天命に勝る)』だ。神なんてクソ食らえだよ」
「合理的だ」
天裂は思わず吹き出した。
「ところで、ギルドが役立たずなら、傭兵でも雇わなかったのか?」
「着いたぞ」
レドの声色が鋭く変わった。
天裂は雑談を止め、身を低くした。岩陰から前方の洞窟を窺う。
「あれを見ろ」
レドは使い古された鉄の短剣を天裂に渡し、前方を指差した。
「傭兵なら、あそこにいる」
「お前の妹は何をやらかしたんだ? それともお前が何かしたのか? わざわざ傭兵を雇って見張らせるなんてな」
天裂は短剣を受け取り、呆れたように言った。
「五、六人か。お前一人じゃ無理だったのか?」
「中に入ればわかる」
言うが早いか、レドは弓を構えた。
ヒュンッ! ヒュンッ!
目にも止まらぬ速射。見張りの傭兵たちが声を上げる間もなく崩れ落ちる。
「返すよ」
天裂は錆びついた短剣をレドに投げ返した。あんな鈍らより、自分の拳の方がよほど信用できる。
彼は死体から物資を漁った。
まともな鋼鉄の長剣が一振りと、金貨十数枚。残りはガラクタばかりだ。
「行くぞ。……吐かないように気をつけろよ」
レドが先に立ち、洞窟へと踏み込む。
天裂は肩をすくめた。
「勿体ぶるなよ。中で乱交パーティーでも開いてるってのか?」
だが、洞窟の中に広がっていた光景は、天裂の軽口を凍りつかせた。
天井からは、皮を剥がれ、筋を引き抜かれた人間の頭蓋骨が吊るされている。
膿と腐敗液が滴り落ち、蛆とハエが死肉の宴を開いていた。
足元には、中身をくり抜かれた人間の胴体が転がり、その空洞には別の動物の内臓が無理やり詰め込まれている。異形だが、妙に几帳面に縫い合わされていた。
洞窟の奥へと流れる地下水脈は、様々な生物の血液でどす黒く染まっている。
そして、食い散らかされた人間の四肢が、得体の知れない動物の排泄物と共に散乱していた。
「お゛ぇぇぇっ!!」
レドが膝をつき、盛大に嘔吐した。
「さっきの忠告、俺じゃなくて自分に向けて言ったのかよ」
天裂は努めて明るく振る舞い、レドの背中をさすった。
「無理すんな。キツいなら俺がやる」
「だ、大丈夫だ……まだいける……」
そう言いながらも、レドの嘔吐量は倍増している。
「中の惨状を教えろ」
天裂はレドを担ぎ上げ、洞窟の外へと連れ出した。
「お前はここで見張りをしてろ」
「ス、スローンの信徒だ……」
外の空気を吸い、レドはようやく呼吸を整えた。
「邪神だ。残虐と力の化身……奴らの信徒は、神に近づくために……こんなことを……」
「見りゃわかる」
「ダメだ、俺も……」
「ここで待ってろ!」
天裂は一喝した。
「畜生、お前が死んだら誰から報酬をもらえばいいんだ? 大人しく座ってろ。夜が明けても俺が出てこなかったら、一人で逃げろ」
天裂の怒気を含んだ言葉に、レドは大人しく頷いた。傭兵たちが残した焚き火のそばに座り込み、震える手で酒瓶を煽る。
レドを残し、天裂は再び地獄へと舞い戻った。
最初は単なる誘拐だと思っていた。だが、この惨状を見て確信した。一刻も早く見つけなければ、あの妹もただの肉塊にされてしまう。
周囲の光景は、悪夢を見慣れた天裂でさえ眉をひそめるほどだった。
死人は怖いが、生きている人間が死人で遊ぶのはもっと怖い。
自分は悪鬼を名乗っているが、世の中には畜生にも劣る連中がいるらしい。
死骸が道を埋め尽くし、腐臭が鼻をつく。
そして洞窟の最深部。
天裂はついに彼女を見つけた。
全裸で、首を切断され、内臓を抜かれ、血と四肢で作られた祭壇の上に捧げられた、レドの妹を。
「テメェらァアアアアッ!!」
激情が爆発した。
天裂は儀式の場へ飛び込むと、手近な信徒の首根っこを掴み、力任せに引き抜いた。
脊髄ごと、ズリュッ! という音と共に。
「なっ!?」
他の信徒たちが騒然となり、懐から短剣を抜いて襲いかかってくる。
天裂は脊椎のついた頭蓋骨をモーニングスターのように振り回し、群がる敵を牽制した。
信徒たちが怯んだ隙を見逃さず、彼は一人の頭を鷲掴みにした。
両手の親指を、眼球へと深々と突き立てる!
「ギャアアアアアッ!!」
鮮血と悲鳴が天裂の興奮を煽る。
親指をテコにして、彼は両腕を左右に開いた。
メリメリッ! グシャァッ!
生きた人間が真ん中から引き裂かれ、内臓と腸をぶちまけて絶命する。
残りの信徒に対しても、慈悲などなかった。
皮を剥ぎ、内臓を引きずり出し、局部を潰し、あらゆる苦痛を与えて惨殺した。
ほどなくして、動くものはいなくなった。
ここも洞窟の入り口同様、地獄絵図と化したが、天裂の気分は晴れやかだった。
「……遅かったか」
天裂は祭壇の少女を見下ろし、痛ましさに顔を歪めた。
せめて弔ってやろうと、信徒が持っていた松明を手に取った時、祭壇の隅にある書物と巻物が目に入った。
『死霊術入門 〜土葬から蘇生まで〜』
「読めるぞ……?」
あの学者のビンタのおかげだ。天裂は皮肉な感謝を捧げた。
「……いけるか?」
魔法などド素人だ。だが、手順と材料はここにある。
「死馬当活馬医(死んだ馬でも生きてるつもりで治療しろ)……か」
今の状況にはぴったりの言葉だ。
天裂は散らばっていた少女の内臓をかき集め、本の解剖図を頼りに体内に戻し、切断された首を繋ぎ合わせた。
そして、拾った長剣で自らの掌を切り裂き、血を滴らせる。
「拾わなきゃよかったな。俺の拳の方がよっぽど使える」
軽口を叩きながら、少女の顔に死霊術の巻物を被せ、儀式を開始する。
「俺の血は熱いからな。灰にならなきゃいいが」
躊躇いは捨てた。やるしかない。
ブワァッ!!
血の気と呪文が共鳴し、重力を無視して血液が立ち昇る。
天裂の血が高温すぎるため、周囲の空気が発火し、紅蓮の火柱となって祭壇を包み込んだ。
やがて炎が収まると、そこには傷一つなく修復された少女が、天裂の腕の中に抱かれていた。
「目の毒だな」
天裂は信徒の死体からローブを剥ぎ取り、全裸の少女に掛けてやった。
「ギャアアアアアアッ!!」
悪夢から覚めた少女が絶叫し、暴れ出した。
どれほどの恐怖を味わったのか、想像に難くない。
「シーッ、落ち着け、落ち着けって」
天裂は彼女を布で包み込み、優しく背中を叩いた。
「お兄さんに頼まれて助けに来たんだ。もう安全だぞ」
その言葉に、少女はようやく落ち着きを取り戻し、天裂の胸で泣き崩れた。
涙と鼻水でローブが濡れていく。
任務完了。大団円とはいかないが、及第点の結末だ。
天裂は少女を抱きかかえ、意気揚々と洞窟の出口へと向かった。
レドに礼を言わせ、報酬をふんだくってやるつもりだった。
だが。
洞窟の入り口には、変わり果てたレドの姿があった。
彼の首は綺麗に切断され、自身の短剣で岩壁に釘付けにされていたのだ。
短剣の柄には、血で書かれたメモが残されていた。
『素晴らしい。これで、君は私の興味を引いた』




