第5章 世知辛い世の中
「ここでの『ルール』は知ってるか?」
領主から下賜された平民服に着替え、天裂はあてもなく城下町を彷徨っていた。
見るもの全てが珍しい。武器、衣服、屋台の食べ物。目に入るものすべてが新鮮だが、今の彼には高嶺の花だ。
腹の虫が限界を訴え、懐は寒風が吹き抜けるほど空っぽ。
仕方なく領主の言葉を思い出し、運試しに徴兵所へ足を運んだのだが――
受付の担当官は、天裂が田舎者の外来者だと見るや、胸を張り、露骨に高圧的な態度で「搾取」にかかってきた。
「ルールだと?」
天裂は内心舌打ちした。
相手の小悪党ぶりが見え透いている。ここは一つ、馬鹿なフリをして遊んでやることにした。
「はっ、臭い外来者が物乞いにでも来たか?」
担当官は横目で天裂を見下し、ねちっこい口調で言った。
「これだから田舎者は困る。『金』だよ、金!」
その声は高く、自信に満ちている。
天裂には既視感があった。穀物庫を荒らすネズミが、盗んだ糧を自分の血税だと信じ込み、恥知らずにもふんぞり返っている姿にそっくりだ。
「俺はここで働いて稼ぎたいだけなんだが……」
天裂はわざとしおらしく言ってみせた。
「まだ働き始めてもいないのに、先に金を払えってのか?」
「前線で肉壁になりたいなら話は別だ」
担当官は羽ペンを机に叩きつけた。
「三百金貨なら後方支援、雑用係だ。五百金貨なら伍長、部下を五、六人持てる。千金貨なら什長、十数人を指揮できる。二千なら……」
そこで言葉を切り、担当官は天裂をジロジロと眺め、鼻で笑った。
「天下の軍隊も商売か」
場所が変わっても、クズはクズだ。牛の糞か豚の糞か、その程度の違いしかない。
天裂は怒りを感じるどころか、乾いた笑いが込み上げてきた。
浅ましい心根と、短絡的な手段。それだけで寄生虫は肥え太る。
もし人々がそんなに簡単に満足するのであれば、彼は敵の家族全員を絶滅させるほどのことはしなかっただろう。
「俺も暇だな、こんな貧乏人と無駄話をするなんて」
担当官は嘲笑った。
「お前みたいな薄汚いのが金貨十枚でも持ってりゃ女神の奇跡だ。軍に入りたい? 寝言は寝て……」
天裂は呼吸を整えた。
目の前で喚く道化を見据え、左手に力を込める。
狙いは、その歪んだ性根が張り付いた顔面。
ドゴォォォォンッ!!
死んだか? 知らん。
顔面を粉砕された担当官は、物理法則を無視して宙を舞い、きりもみ回転しながら背後の壁に頭から突き刺さった。
ピクピクと足が痙攣している。まあ、生きてはいるだろう。
当然、その轟音は徴兵所内はおろか、遠くの市場まで響き渡った。
囚人から平民へ、そして平民から再び囚人へ。
身分の変化があまりに早すぎて、天裂自身、会心の一撃の余韻に浸る暇もなかった。
「貴様ッ! 軍人に何をする!」
「捕らえろ!」
ジャキッ!
無数の剣と槍が、即座に天裂の喉元に突きつけられた。
ここで言い訳など無意味だ。同じ穴の狢どもは結託し、外部の敵を排除にかかる。口を開けば面倒が増えるだけだ。
(薄汚ねぇ……だが、慣れなきゃな)
このクソみたいな世界に。
天裂は抵抗せず、衛兵たちによって地下牢へと放り込まれた。
権力は権力の源泉にのみ奉仕する。上から下へ、血脈によって受け継がれ、民草の事情など知ったことではない。
古臭い形式主義と、誇大広告のようなスローガン。元の世界でも散々見てきたが、ここまで明け透けなのは初めてだ。
だが、これは時代のせいではない。彼自身の問題だ。
ここは封建的な魔法の中世社会。人権など犬に食わせろという世界だ。
文明社会で培った倫理観など、ここでは足枷にしかならない。「郷に入っては郷に従え」、まさにその通りだ。
湿気とカビの臭いが充満する独房。
雨漏りする天井、腐った藁の寝床。
この空間で唯一の「住人」は、壁の隅から囚人の肉を虎視眈々と狙うネズミだけだ。
法の解釈権を持つ者が、その場を支配する。それを支えるのが暴力装置だ。
つまり、極論を言えば――絶対的な暴力さえあれば、この世は俺の庭になる。
天裂はふてぶてしく大股を開き、藁の上に座り込んだ。
余計な思考はノイズになる。彼は雑念を捨て、ただ一つの問いに向き合った。
(殺して出るか?)
人の枠を捨てれば、造作もないことだ。
子供の喧嘩は終わりだ。怨みには怨みを、仇には仇を。白刀で入り、赤刀で出る。
相手もスッキリ、自分もスッキリ。
ただ……人の血の味は……
そこで、天裂の心にブレーキがかかった。
一線。
彼は自称「悪鬼」だが、その一線だけは超えていいのか?
不本意な死、わけのわからない復活、理解不能な肉体変化。それらは受け入れた。
だが、人肉を喰らうというタブー。あの「何か」を飲んで変異した後、自分は一体何になってしまうのか?
思考が泥沼にはまり、自己認識が揺らぎ始めたその時。
「身請け人が来たぞ。さっさと失せろ」
獄卒の無愛想な声が、悩み続ける怪物を現実へと引き戻した。
牢を出ると、平民の服を着た大柄な男が待っていた。
見覚えはない。
「先に言っておくが、俺はホモじゃねぇぞ」
男が口を開く前に、天裂は先制攻撃を仕掛けた。
「俺を知ってるかどうかも怪しいが、頼みがあるならはっきり言え。ケツの穴が目当てならお断りだ」
「俺はお前を知っている。それで十分だ」
男は懐から一本の折れた矢を取り出した。
「俺はレド。……これに見覚えがあるだろう?」
天裂はギクリとした。
あの時、戦場に残してきてしまった証拠品だ。
「脅迫か?」
天裂は警戒心を露わにする。
「どうしても俺のケツを掘りたいってか?」
「ここでは目立つ。場所を変えよう」
レドは矢をしまい、小声で言った。
「飯でも食いながら話そう」
敵意は感じられない。それに、腹も減っているし、行くあてもない。
天裂はレドに従い、酒場へと向かうことにした。
「ここは『下湖酒場』だ」
席に着き、レドが注文を済ませる。
「好き嫌いがなければ、ここの名物を食ってみろ」
「で、何の用だ?」
店内の喧騒が、天裂の警戒心を少しだけ和らげた。人目が多いここは、彼にとっても、相手にとっても手を出しにくい場所だ。
「あの白竜を殺したのは、お前だろう」
酒が運ばれてくると、レドは単刀直入に切り出した。
「竜の腹から、中身をくり抜かれた虎の皮が見つかった。当時あそこにいたのは、お前以外に誰もいない」
「領主様はお前が証拠品をネコババしたと知ってるのか?」
天裂はエールを一気に煽り、ニヤリと笑った。
「それに、なんで俺だと決めつける? 証拠不十分だろ」
「灯台下暗し、さ。奴らが放火しても許されるなら、俺が灯りを点けてもいいだろう?」
レドは肩をすくめた。
「だが、そんなことはどうでもいい。単に、お前に頼みたいことがあるだけだ」
「俺は高いぞ」
天裂はレドを試すように言った。
「払えるのか?」
「この飯代と……ルビーの指輪一つだ」
レドは即答した。
「お前を保釈するのに貯金を使い果たした。これが俺に出せる精一杯だ」
テーブルに料理が並ぶ。芳醇な香りが鼻孔をくすぐる。
だが、天裂はまだ手を出さなかった。
事態は深刻そうだ。だが、彼はこの男に少しだけ借りを感じていた。
何が嘘で何が本当かは分からないが、地獄のような牢屋から出してくれたのは事実だ。その一点において、話を聞く義理はある。
「……言ってみろ。何をさせたいんだ?」




