魔王
ソフィアは目を覚ました。まだヅキヅキと頭が痛む。記憶は相手が魔法を使ったことまで。
目の前には幼い頃夢で見た漆黒の王座と、尊大に座る男だった。王座と同じ漆黒の装束を身にまとった彼は肘掛に肘を置き、頬杖を突きながらソフィアを眺めていた。
「あなたは誰?ここはどこ?」
ソフィアは男にそう話しかけた。男の表情は読み取れない。機械的とも感じる冷たい声で男に言葉を放つ。
「さあ?誰だろうな」
そんなはぐらかした言葉にソフィアは内心馬鹿にされているのかと思いムッとした。
「お前は俺がだれか知っているはずだ。思い出せ」
そう言って男はソフィアの方へ歩き、その額に人差し指で触れた。どんな魔法かソフィアに記憶が流れ込む。ソフィアはこの王座の男を知っている。その男は魔王だ。そしてソフィアの前世だった。
前世の姿を思い出したのだ。この目の前にいる男は私の前世の時の姿だ。
「思い出した。けれどどうしてこんなところにいるの?」
ソフィアは疑問に思ったことを問い掛けた。
「お前は幼いころ。前世の記憶を思い出した。そうだろ?」
魔王の言葉にソフィアは戸惑いながらも頷いた。
「だがお前はすべての記憶を思い出したわけではない。幼いその体に膨大な魔王の記憶を留めておくことは不可能だからだ。そしてその思い出されていないほうの記憶が意識を持った。それが俺だ」
魔王の言葉にソフィアはなるほど、と納得する。それならば記憶が欠落していた理由が分かるからだ。
「それなら記憶を全部返して」
ソフィアが魔王に命令のように言う。しかし魔王は不敵な笑みを浮かべるだけだ。
「無理だ」
「どうして?あなたは私でしょ」
ソフィアは魔王に必死に訴える。そんなソフィアに魔王は「はぁ」と大きなため息を付いた。
「お前は俺ではない。俺は俺で、お前はお前だ」
そんな意味の分からない言葉にソフィアは困惑した。
「だが、そうだな。お前が俺にかすり傷一つでも付けれたならば少し返してやろう」
魔王は少し考えそう答えた。
「じゃあ行くわよ」
そんな疑問なんてどこ吹く風と言わんばかりにソフィアは突撃する。
ソフィアの周りにそれぞれ五つの魔法陣が現れる。それぞれが一つの魔法陣となると、強化が五つ発動し、ソフィアは光速で駆けた。
光速で駆けながらも魔王に飛び蹴りを放つ。魔王はソフィアの飛び蹴りに反応し、手を使ってその足首を掴む。
「ちょっと、離しなさいよ」
ソフィアはその状態が気に食わないのか、ジタバタと暴れる。しかし魔王の握力に敵うわけもなく、そのまま魔王の頭上まで持ち上げられた。
「ほら、これでいいのか?」
そう言って魔王は手を離す。ソフィアはその状況でも諦めず、空中で体を捻り、その勢いで魔王の首へと蹴りを入れる。しかしそれもまた魔王に止められてしまった。
ソフィアは地面に着地すると素早く魔王から距離を取る。
「まだよ」
そう言って今度は魔法を使う。その魔法陣は魔王の眼前に現れた。
「魔王の炎」
その魔法陣から、黒い炎が出る。それは魔王だけに許された漆黒の炎。
魔王はソフィアが魔法を使うと、すぐさま手を前に出し、その炎を防ごうとした。しかし黒い炎はそんな魔王の手すら燃やし始める。
「ほら、かすり傷一つでも付ければ私の勝ちなんでしょ?」
そう言ってソフィアが不敵に笑った。
「そうだな」
そんな声とともに、魔王が手を振ると黒い炎が吹き散る。その一瞬のうちにソフィアの後ろへと回っていた。
「ほらそろそろ終いだ」
そうして魔王はその手を振り下ろす。掌がソフィアの眼前を通り過ぎると、ストンとソフィアの意識が落ちた。
魔王の視線の先にソフィアが映っていた。眠ったようにソフィアは崩れ落ちる。ソフィアを受け止めた魔王は立ち上がった。そしてソフィアをそっと地面に寝転ばせた。
***
「おい。起きろ」
魔王が眠り耽っているソフィアの頬をぺちぺちと叩いた。
「ん、んん。あれ?ここは」
ソフィアは重たい瞼を開け辺りを見回すと大声を上げながら飛び起きた。
「うわぁぁぁ。何してんのよ!」
「何って膝枕だぞ」
魔王はソフィアが急に飛び起きたことに少し驚いたが、すぐにそう答えた。
「ひ、膝枕?意味わかんない」
ソフィアはぷいっとそっぽ向いて照れながら言った。
「こんな所に寝かせたら悪いだろ」
「まぁいいわ。ねぇあんた私と手を組まない?」
「俺がお前の助けを必要としていると思うか?」
そんな言葉に、ソフィアは一旦言葉を詰まらせる。しかし、すぐにその口を開いた。
「私はあんたの力が必要。そしてあんたは私が居なかったら存在出来ない。そうでしょ?」
魔王はその言葉に少し考えるような仕草をするが、すぐに答えを出した。
「そうだな。面白い。この俺が手を貸してやろう」
魔王のその答えにソフィアが満足そうな笑みを浮かべる。
「その代わり投げ出すなよ。魔王の手を借りることがどういうことか理解しているのか」
魔王はソフィアの顎に手を置いた。その顔を上に向け、ソフィアの目を全て覗き込むように問い掛けた。
ソフィアは魔王の言った意味が分かっていなかった。それなのに、コクリと頷いていた。
「ははは」
魔王が笑い始める。ソフィアはその不可思議な行動に体を強張らせる。
その言葉を皮切りに魔王の体は粒子となり始めた。否、ソフィアがこの世界から目覚め掛けているのだ。
「そろそろか」
魔王はその粒子から言葉を発した。その声はどこか、悲しく、ソフィアにはそんな感情の波が感じ取れた。
魔王の体が消失して行く。それと同時にソフィアの意識も一旦途切れるのだった。
***
「ん」
ソフィアは目を覚ました。ここは見た事のない天井。そしてその天井を覆い隠すかの如く見知った顔が視界に入り込んで来た。
「あ、ソフィアおはよう。大丈夫?心配したんだからね!」
そう言ってきたのはエレナだ。
「大丈夫だよ。大袈裟すぎ」
ソフィアは急いで上体を起こすと、エレナと向き合う。そんなソフィアの姿にエレナはほっと息をついた。
「大袈裟じゃないよ。ソフィアは凄く苦しそうに倒れたんだからね」
「そうよ。貴方さっきまでうなされていたのよ」
そう言ったのはこの部屋にいた白衣を着て薬品を整理している女性だ。黒く綺麗な髪をしている。左手には包帯が巻かれており、動かすのが少し辛そうだ。
「大丈夫です。ただ悪い夢を見ていただけなので」
ソフィアは笑顔を取り繕い答える。そんな強がりはエレナたちに気付かれたのか、はたまた気付かれていないのか、それはソフィアは分からなかった。
「そういえば、私は負けたから学園には入学出来ないの?」
ソフィアはふと思い立ったことを聞く。
「この学園の試験は勝負に勝つことだけじゃないの。それ以外のことも加味して決められるからまだ、希望はあるんじゃないかしら」
白衣を来た女性は諭すようにソフィアに言った。
「それで、体の方はもう大丈夫なの?」
「全然、体はなんともないわ。すぐにでも動ける自信はある」
そんなソフィアの調子を確かめようと白衣の女性は手首を握り始めた。
「はい。口を開けて」
彼女は術式が練り込まれた棒を開けられたその口の中へと入れる。
その棒には体の異常を感知する魔法が込められていた。
その棒はソフィアの魔力を吸収し、解析する。そのデータを元に適切な治癒魔法を掛ける。そういうものだ。
「うん。どこにも異常はないわ。お疲れ様」
彼女はそう言ってソフィアの手首を離し、どこかへ歩いていった。
「今度は私だね。どこも異常な~し」
今度はエレナがソフィアの体に飛び付いた。
「ちょっと、エレナ。離れなさいよ」
ソフィアはエレナの体をグイッと引き離す。
「もう、ソフィアったら冷たいんだから」
そんなエレナを放置して、ソフィアは窓の方へと向かった。
その窓から見ればすぐに大きな広場がある。そこには様々な人が居る。魔法の練習をしている者。剣技の練習をしている者。そしてそれはソフィアの未来の姿だろう。
「ねぇ、帰ろっか」
ソフィアはくるりと振り返りエレナへとそう告げた。
「うん。帰ろ」
エレナはソフィアが何を考えていたかなんて、知るよしもない。だが、その笑顔は本物だと感じた。だから、エレナも笑顔で返したのだ。