どこかにあった未来のような
例えば、老舗写真館の外から見える位置に飾られている家族写真。
裕福で幸せそうな美しい家族。
しかし幼き日の自分は、それが本物の家族ではなく、写真館が用意した偽物の家族だと思っていた。仲良く微笑み合う温かい家族なんてものは、存在するはずがない。
その証拠に自分の家は、いつも喧嘩が絶えない。父は怒鳴り母は泣き叫ぶ。家の中は、怒号と暴力でいつも張りつめた冷たい空気が漂っていた。幼いころは自分の家が世界の全てで当たり前で、皆にも大して変わらない世界があると思っていた。
それが間違いだと知ったのは、小学三年生のときに行った同級生の誕生会だった。その子とは、しゃべったこともなかったのだが、たくさん人を呼びたかったようで私も来るように誘われた。あまり気は進まなかったが、断る理由も見つからなかったので行くことにした。
何のプレゼントを持って行ったのかは思い出せない。しかし、その子の家は大きな一軒家でピアノがあったこと、母親は花柄のエプロンをつけた優しそうな人で、父親もニコニコしていたことは今でもよく覚えている。大きな部屋には、写真館に飾られていそうな家族写真がたくさんあった。そしてそれを不思議そうに眺める同級生は、一人もいなかった。
温かい家族は存在するとそのとき知った。むしろ自分の家が異常だったのだと。どうしてなんて問いは虚しいだけの、あまりにも不条理な不平等。私だって誕生会が開かれるような家に生まれたかった。笑顔が絶えない中でご飯を食べたかった。その日以来、自分以外の子が羨ましく妬ましくなった。温かい家族がいる子とは、分かり合えるとは思えなくなった。
小学校の高学年になっても父と母は相変わらずだった。怒鳴りながら暴力を振るう父と、泣きながら怯え震える母。そんな光景は日常的だったが、いつまでも慣れることはなかった。
だから私は家にいる時間を極力短くする努力をしていた。図書室や図書館に入り浸り、閉館後は公園や河原で時間を潰す。そんな毎日だった。
学校はそのころ修学旅行というイベントがせまっていた。私の学校生活は、授業を真面目に聞き、休み時間は本を読む。その繰り返しで、友達は一人もいなかった。
そういう人間にとって修学旅行などというイベント事は、非常に億劫だ。班を決めるにしても、仲の良い子が固まった班に人数合わせで入るか、余り物同士で班になるかしかない。どちらに振り分けられても、存在を普段以上に否定されるはめになる。
それでも家にいるよりはましなので、修学旅行は行かなくてはならない。
修学旅行の班は5名で、アニメが好きな2人組、誰ともあまりしゃべらない休みがちな子、以前は仲のいい子たちといたが今は孤立している子、そして私という余り者組で結成された。
誰とどんな班になろうと別にどうでもよかった。
班決めをした帰り、下駄箱で同じ班になった休みがちの子と会った。同じ班になったからといって何かを言う必要もないので、黙って通り過ぎようとしたときだった。
彼女が近付いて言う。
「はるかちゃんだよね」
下の名前を呼ばれ驚く。この学校に私の下の名前を知っていて呼ぶ人がいるとは。
「修学旅行、行けるかわからないけどよろしくね」
そう言い彼女は走り去った。
私はただ立ち尽くしていた。連絡事項以外で誰かに話しかけられたのは、いつ以来だろう。
図書館に寄ってから家に帰る。父も母もおらずほっとする。普段ならさっさと冷凍食品のご飯を作って食べ、シャワーを浴びて部屋にこもるのだけれど、彼女のことを考えてしまい何もせずに机に突っ伏す。
彼女と今まで話したことはなかった。ただ、ほんの少しだけ勝手に親近感を抱いていた。彼女は数ヵ月前、名字が変わった。離婚したのか再婚したのかは、わからない。ただ、離婚したのだとしたら両親の仲がよくない可能性がある。私の気持ちとわかり合えるものがあるのではと、ほんの少しだけ思っていた。
彼女に両親のことを聞くことはしたくない。でもわかり合えたらいいのにとは思ってしまう。この不幸は自分だけではないと、思えたらいいのにと。
そんなことを考えていると涙が出ていた。
つらく悲しい現実と向き合うのは嫌いだ。自分の弱さに負けて、幸せを願ってしまうから。その幸せは他人にはあって自分にはない。そんな考えに行き着くだけならば、心を氷のように凍らせる。どんな感情にも揺らがないように。
でも結局、心を凍らせきることはできない。その証拠に今、涙が溢れる。どうしてこんなに悲しい家族のもとに生まれなければならなかったのか。同じ生命であるはずなのに、知らない誰かは私の不幸など存在すら知らず幸せに浸る。どうにもならない、誰を責めても仕方のない悲しみ。
静かな部屋に私の鼻をすする音だけが響く。涙をふき、夕飯と入浴を済ませ布団に入る。
父の怒鳴り声で、いつの間にか両親が帰ってきていたことを知る。布団をかぶり、明日なんか来なければいいと願いながら眠る。
学校では日々の授業の合間に、修学旅行の計画の時間が設けられた。私たちの班は誰も話を進めたがらず、何も決まっていなかった。見かねた先生が王道のモデルコースを紹介してくれて、それでいいかという流れで決まった。
下の名前を読んでくれた彼女は欠席がちだった。たまに学校に来たときもあったが、特に何かを話すことはなかった。
修学旅行にも参加しないような気がして、心が乱れる。勝手に彼女に期待をしている自分が嫌だった。喜びや幸せではなく、不幸を分かち合おうとする。そんなことが望みになるなんて、あまりに悲しい。
修学旅行の当日は、一度学校に集まりバスで駅まで行き、そこから新幹線に乗るらしかった。
朝、バスの周辺に生徒がうろうろ集まっている。彼女の姿が見当たらず、少しがっかりした。しかしバスに乗ると彼女はすでに乗っていた。
「おはよう」
驚いて立ち止まってしまう。
おはようと返し決められた座るべき席、つまりは彼女の真後ろの席に座る。彼女がいるとわかっただけで私は、ほっとしていた。
しかし、旅行は別段楽しいものではなかった。私たちの班は、どこに行ってもアニメ好きの二人は二人の世界で楽しそうにしていて、他の三人は無言だった。
彼女は、班行動のときは私に話しかけてこない。有名な観光名所を、ただ黙って歩いた。
旅館につき、夕食にそなえる。夕食は大広間でとるのだが、まだ時間に余裕があり旅館内での自由時間となっていた。アニメ好きの二人と仲のいいグループから外されている子は、部屋から出て行ってしまい私と彼女だけが残された。
彼女はテーブルに用意されているお菓子を食べ始め、私にも食べるかと聞く。私は首を横にふり、大丈夫と伝える。
「食べなくて正解。不味くはないけど、美味しくもない」と笑う。
どうして彼女が私に笑いかけてくれるのか、わからない。でも誰かから笑顔を向けられることは、嫌な気持ちにはならない。
私もぎこちないながらも、精一杯の笑顔を向ける。
「はるかちゃん、今日の夜みんなが寝たら旅館抜け出して話そう」
何故そんなことをするのか、一体何を話すのか、わからないことしかないのに私は迷いなく答える。
「いいよ」
夕食のときもお風呂のときも相変わらず他に人がいると、彼女は話しかけて来なかった。彼女の方に視線を送っても目が合うことすらなかった。
就寝時、私たちの班は静かに消灯した。私と彼女以外の三人は疲れていたのか、あっという間に寝てしまった。
三人の寝息が聞こえる。その中、密やかに声が届く。
「はるかちゃん、起きてる?」
「起きてるよ」
私たちは音を立てないよう、起き上がる。暗闇の中、目を合わせそっと部屋を出る。
廊下は電気がこうこうとついていて、暗い部屋から出てきたせいで眩しかった。私たちは慎重に外に出るため、非常口から旅館を抜け出した。外側からドアは無論、開かないだろう。このように外に出て戻るときはどうするのか見当もつかなかったが、どうでもよかった。
外の風は涼しく、夜の闇とおぼろ月が知らない画家の絵のようで美しく、珍しく心が穏やかになった。
少し歩き旅館の裏手の川辺に座り込む。
すると彼女が突然しゃべりだした。
「私ね、ずっとお母さんと二人で暮らしていたの。お母さんは、体が弱いから私が看病してた。家のことも、あんまりできないから私がしてて、だから学校は休みがちになってたの」
私は黙って相槌を打つ。
「私は幸せだった。お母さんは、ありがとうって笑ってくれていたし。でもそれじゃだめだってお父さんが来て、お母さんと離ればなれになっちゃって」
彼女は下を向いていた。川の水は流れていたが、彼女の視線は流れを追わず止まっていた。
「ずいぶん昔に離婚してたんだけど、私のことをお父さんが引き取ることになって、名字も変えられて。まぁ戻ったとも言えるんだけど。それでお母さんは病院に入院させられて。それでこの前、お母さんに会いに行ったら、行ったら」
彼女は言葉に詰まっている。涙が流れ、闇の中でも目が真っ赤なのがわかる。
「お母さん、私が話しかけても上の空で、目が合わないの。一緒に暮らしていた頃と別人みたいで。お母さん薬は嫌って言ってたのに、お父さんは無理やり入院させて。それで、私も精神がおかしいって病院に連れていかれて。もう、お父さんのせいで何もかもめちゃくちゃなのに今が正常な生活だ、今までがおかしかったんだって言われて」
何を言えばいいのか、わからなかった。私が彼女を慰めたり、癒したりすることは出来ない気がした。
彼女は腕で涙を強引に拭う。
「お母さんの世話で、学校を休んでいるのはよくない。でもお母さんと幸せに暮らすには、そうするしかないの。それに、私もお母さんもそれで良かったんだもん。楽しかったんだもん。お父さんと一緒に暮らすのは、全然楽しくない。お父さん再婚してその女の人との間に子どももいるから、私居場所なくて」
彼女と私の家族の問題は似ていない。暴力に支配された我が家とは別の問題を彼女は抱えている。慰めることも癒すことも出来なくても、それでも私も聞いてほしかった。この誰にも打ち明けられない、閉塞したつらさを。
「私の両親はいつも喧嘩しているんだ。お父さんはお母さんを殴ってて。家にいるのがいつもつらくて。でも他の家もそれなりに、こういう苦痛があるんだろうって思ってたら、そんなことはなくて。仲の良い家族って存在するって知ったとき、悲しかった。私の苦しさやつらさは、万人に共通のものではなかったんだって。人が一生かかっても味わなくていい、つらさを味わっているのかなって」
彼女と目があった。同じ痛みではないけれど、私たちはなぜこんなにも悩まなくてはならないのか、という痛みを共有している。
どこかの大きな一軒家で温かな食事を家族とする娘は、今も幸せに暮らしている。私たちが感じている気持ちを、おそらく永遠に知ることなく。
夜の匂いは濃く、普段の夜と同じに思えない。修学旅行が終わったら、またあの家で普段の夜が来る。
「話をしてくれてありがとう、はるかちゃん」
彼女は泣きながら笑う。
「どうして私が、はるかちゃんに話しかけるかわかる?」
ずっと不思議だったことを彼女の方から口にした。
「なんでだろうって思ってた」
彼女は遠くを見つめながら言う。
「小学三年生のとき、藤宮さんの誕生会に行ったの覚えている?」
「覚えているよ」
忘れるわけもない。温かい家族を知ったあの誕生会だ。
「あの誕生会で、みんながプレゼントを渡し始めたとき私、どうしようって思った。誕生日プレゼントを持っていくなんて考えもしていなかったから。お母さんとの生活は、幸せだけど何ていうかすごく限られた世界だったから。私は持ってこなくてはいけないものを、持っていない。焦りと恥ずかしさで逃げ出したいって思ったとき、はるかちゃんが言ったの」
私は自分が何を言ったのか全く覚えていなかった。そもそもあの誕生会に彼女がいたことすら記憶になかった。
「はるかちゃんは藤宮さんに、プレゼントを持ってこれなかったので帰りますって言ったの。たくさんのクラスメイトの前で、はっきり言ったの。私は、その潔さに驚いたんだけれど、とても憧れたの」
彼女は少し言い淀んだ。そして、絞り出すように言う。
「私、お母さんといると幸せなの。嘘じゃない。でもたまに他の家とは違うって、わかるときがあるの。そういうとき、大好きなお母さんなのに、恥ずかしくなるの。他人に知られたくないって思うの。そんなこと思う自分が嫌で、嫌で仕方ない。世界でお母さんと二人きりなら、大好きなだけでいられるのにって」
私は彼女の背中に手を当て、さする。痩せた骨張った小さな背中だった。
「だから人と違う家の事情があっても堂々としている、はるかちゃんの存在が心強かった」
私の姿が彼女には、そんなふうに映っていたと知って目から涙が溢れた。凍らせきることができない心が、溶けていくようだった。
「堂々と見えていて良かった。本当は、いつも惨めだって思ってたから」
そう、本当はいつも惨めだった。父が母を殴っていても何もできず部屋で縮こまっているとき、家のドアの前で中から怒号が聞こえてきて家に入るのをやめたとき、公園で仲良く遊ぶ家族を見ていたとき、いつだって悲しくて惨めだった。
彼女も私の背中をさすってくれた。
「でも私、そんなこと言ったの覚えてないや。藤宮さんの誕生日会にプレゼント持っていかなかったことも、今まで忘れてた」
彼女は、驚きつつ笑う。
「そうなの?私はあの日のはるかちゃんを絶対忘れない。藤宮さんに帰るって言ったあと、藤宮さんのお母さんがそんなこと気にしないで今日は楽しんでいってって言って、それに対してはるかちゃんは、ありがとうございますって言って会の最後までいたんだよ。その全部が格好良かった。だから、いつか話したいって思ってた。でもずっと話しかける勇気がなくて。そうしたら修学旅行で同じ班になれたから、もうこのチャンスしかないって思って」
「そっか、そんなふうに思っていてくれてありがとう、田所さん」
彼女は最高の笑顔になった。
「ありがとう、お母さんの名字で呼んでくれて」
そんなことで笑顔になる彼女が、悲しいほどいじらしかった。
その後、私たちは黙ったまま旅館に戻った。玄関から堂々と戻ったので、先生たちは怒るよりも驚いていた。いなくなっていたことに気づいていなかったらしい。
家庭環境に問題のある二人だったからかは、わからないがお咎めはなく、無事なら早く部屋に戻って寝なさいとだけ言われた。
部屋に戻るときに通った、ロビーにあった時計。大きな振り子時計だった。時刻は一時三十七分。
そう、よく覚えている。ありがとうと笑った彼女の顔と、一時三十七分だった振り子時計。
長針と短針が大きく離れた、一時三十七分。
視線の先には無機質な掛け時計。時刻は一時三十七分。
「これ、お願いします」
急に声がして驚く。目の前に書類を持っている上司がいた。
「すみません、何でしょうか」
「珍しいね。ぼんやりして」
「すみません」
「この書類入力お願いします」
「はい」
「よろしく」
仕事中に昔のことを思い出していた。どうしてこんなことをと思ったら、目の前のパソコンのニュース記事に目が留まる。
”小学生の女子児童、二人で飛び降りか。”
こんな見出しを見ていたから、昔のことを思い出してしまったんだ。
私は中学校を卒業したあと、高校にもなんとか入学させてもらい、卒業と同時に家を出た。それから一度も両親には会っていない。
高校の先生のおかげで、まともな就職先を紹介してもらい、今日まで一人で生きてこれた。
彼女は今どうしているだろう。
痛みをさらけ出しあい、わずかな時を共有した彼女。
修学旅行の後、彼女はほとんど学校に来なかった。だから話すこともなかった。
中学も同じだったが、クラスは別だった。そうして、疎遠になった。中学一年の夏休み明けごろに、彼女は素行が悪くなっていた。それから学校で見かけることはなく、彼女について知ることはなくなった。
パソコンの記事には、飛び降りた二人の安否が書かれていなかった。二人に何があったかはわからない。ただ幸福な小学生の子がすることではないだろう。彼女たちが、あの頃の自分たちとだぶる。
助かることと死ぬこと、どちらが幸せなのだろうか。不幸が終わることは幸せだけれど、それは不幸のまま終わっているのだ。
不幸の中を生きることはつらい。生きていればいいことがあるなんて、保証はまったくない。それどころか、生きていればいるほど不幸を重ねるだけかもしれない。ただ、明日は未知だ。そこに一縷の希望さえないのかと問われれば、ないとは断言できない。
私はニュース記事を閉じる。
デスクに置いた社員IDカードを手に取る。カードケースにつけている、家内安全と刺繍された小さなお守り。修学旅行の帰り道、田所さんが黙って私の手に握らせたお守り。
私は数えきれないほどの未知なる明日を、何も変わらない今日に変えてきた。それでも生きていけるのは、彼女との記憶があるおかげかもしれない。未知なる明日が昨日と同じ今日だったとしても、思い出したい大切な過去があれば今日を生きるには十分だった。
無機質な壁の時計が進んでいることを確かめてから、書類の入力に取り掛かった。