三日月の夜
リビングに一人暮らしにしては大きいダイニングテーブルが置いてある、
そこでご飯を食べて、絵も描いている。
テーブルの上を片付けて仕事道具をテーブルの上に出す、
絵の具一式と昨日下書きした絵を出し、
汚れても大丈夫な黒いジャージに着替えて、
音楽を掛けて椅子に座り今日は色をつけて行く。
絵の具の独特な匂いに部屋が包まれる、
締め切った部屋では匂いがキツイ、
俺は空気の入れ替えをしながら色を塗って行った。
窓を開けるとキリッと冷たい空気がナイフのように刺して来る。
少しの間だけ開けてすぐに閉めるその繰り返しだ、
絵を描いている時は楽しい、何も考えなくて良いから、現実逃避なのかもしれない、
先の見えない未来、不安しかない将来、
そんな漠然としたブラックホールのような恐怖から俺は逃げていた、
考えても答えは出ない就職の不安。
集団の中で働くことが苦手な俺には会社は地獄のような場所だ。
俺はいつまでこんな暮らしを続けて行くのか?迷っている間に時はすごい速さで過ぎて行く。
現実は残酷だな・・・
1日はあっと言う間に過ぎる。時計の針は午後8時を指していた。
夜ごはんは自炊することが多い、一人暮らしを始めもう5年になる、
一人暮らしを始めたばかりの時はコンビニのお弁当と外食ばかりだった、
コンビニの代わり映えしない味に飽きて外食するお金も無くなり、
自炊することになった。
ネットを見ると簡単に出来る料理がたくさんあり思ったより自炊は簡単だった。
多めに作りタッパーに入れて冷蔵保存して次の日にも食べる事も多々ある。
だんだんと自炊も上達して来ていた。
絵に集中すると時間を忘れてしまう、俺は腹が減り冷蔵庫を開ける、
冷蔵庫の中は閉店間際にスーパーのように肉も野菜も無かった。
時計をみると午後8時を過ぎた頃だった、
スーパーは9時まで開いてる、
この時間だと人も少ない、俺は急いで支度をして、
スーパーに行くことにした。
朝コンビニに行った時と同じ格好で家を出た。
夜の住宅街の静まり返った独特の空気感を感じながらスーパーに急いだ。
静かな住宅、外から見ると廃墟のようで人の気配を感じないが、
きっと家の中では温かい料理を囲み、
家族で今日1日の出来事を話しているのかもしれない。
今ごろ俺の部屋は冷めてシンと静まりかえり俺の帰りを待ってくれているのか?
「誰もいない俺の部屋」この響きに寂しさも感じない、
寂しいと言う気持ちも麻痺してしまったのかもしれない。
こんな寒い夜でもスーパーはいつも俺を迎え入れてくれる。
あと1時間で閉店、スーパーの中は閑散としていた、
仕事帰りのサラリーマンとスーツ姿の女性が疲れ切った肉体を引きずり、
買い物をしていた。
店員もあと1時間で終わるとあと1時間まだ1時間、言う疲れた顔をしている。
みんな無表情で買い物をしている明日も同じ顔で夜のこのスーパーに来るのかもしれない。
肉、野菜、お米を買って俺は急いで帰る。思ったより荷物は重かった。
行きと同じ道を俺は一人歩いて帰る、
真っ暗な空に誰かが切れ目を入れたような細い三日月がキレイに見える。
何があっても月は変わらず自分のペースで形を変える。
そしてなぜか人を寂しい思いにさせる。
さらに静まり返った夜の道、俺の足音、荷物と洋服の擦れる音、
そしてもう一つの足音がする。
誰かが俺の後ろを歩いている、それは間違いなく俺の後をつけて来ている足音だった。
俺が早く歩くと相手も早く歩き、俺がゆっくり歩くと、建物の影に隠れて様子を見ている。
こんな夜の尾行は鈍感なヤツじゃない限り気がつくだろう。
そんなことを考えながら俺は速歩きで家に向かった。
赤い螺旋階段が見えた俺は相手の顔を見てやろうと、
螺旋階段を上らないで、アパートの集合ポストの場所に入り相手が来るのを待った。
つづく