二周目の悪役令嬢は婚約破棄と言わせたい。王子は振り向かせたい。
俺が公爵令嬢――リリアナと初めて対面したのは、王家と公爵家、両家揃って行われた『婚約面談』の時だった。
俺がまだ15歳の頃で、成人した矢先のことだ。
「初めまして、クラウス第一王子。私はリリアナ・ギルバート。公爵メルエ・ギルバートの長女でございます」
礼儀正しくドレスの裾を握り、華麗に一礼する少女。
鷹のように気高き目つき。美しい音色のようでいて、どこか威圧感を感じさせる声に、生まれの良さを感じさせる上品な口調。
俺が彼女に感じた第一印象は、それまで聞いていた噂話とは異なる『完全無欠なお嬢様』というものだった。とても“暴れ姫”などと呼称される程、我儘で傲慢な娘には思えない。
しかし、例え噂通りの人物だとしても俺にもどうでもいいことだった。なぜなら、貴族には凡庸な人種であり、幼くして政治に深く入り込む俺からしてみれば、とっくに見慣れた存在であったからだ。特段注視する程のものではなかった。
それに何より――これは、王国最大の貴族である公爵家と王家の間で政治的結束を深めるための縁談。生まれた時より王家の人間である俺に、結婚相手を選ぶ権利などハナからない。
「こちらこそ、初めまして。俺は、クラウス・アインツベルク。国王マルクの長男で、この国の第一王子を務めている。よろしく」
俺が爽やかな笑顔を作りながら手を差しだすと、リリアナは堂々した足取りで俺に近づき、しっかりと握手をした。
「ええ、今後とも」
しかし、視線はカーペットの方へ向いている。冷たく簡素な言葉と共に、僅か三秒ほどで離される手。
あまり友好的ではないな、と思った。露骨に距離を取られているとも。俺にしては珍しく、少し不快感を感じた。
その時、まるで俺の心情を見透かしたように、公爵が席から立ち上がった。リリアナを窘めるような表情を浮かべ、彼女の背後に近づいていく。
そして、リリアナの頭に――ゴチンとゲンコツを振り下ろした。
「こら、リリアナ! 王子相手に恥ずかしがって失礼なことをするんじゃない!」
「い、痛いっ! 何するの、お父さん……!」
――瞬間、リリアナの放っていた威圧感が霧散し、家庭的で和やかな空気が流れた。
「ほらっ!さっさと謝りなさいリリアナ!」
公爵夫人にも促され、照れたように頬を赤くするリリアナ嬢。頬を掻きながら俺に向き直ると、改めて手を差し出す。
「こほん……。先程は大変失礼を致しましたわ。さ、改めて、よろしくお願い致します」
「勿論、こちらこそ改めてよろしく」
再びしっかりと合わさる手。今度はリリアナの真っ直ぐな視線が俺を向いている。穏やかな微笑とともに。
しかし、瞳の奥に見えたのは、さっきまでの家族に向ける和やかな視線ではなく、冷徹で俺のことを何とも思わぬ“無”の視線であった。
王家の人間として生きてきた俺が、こんな視線を浴びたことは、これまで一度たりとも無かった。誰もが俺を賞賛し、笑顔を浮かべて媚びを売り、王の威光を仰ごうとする。
ところが、彼女の表情は、仮面を張りつけたような作った表情。
それを、ましてや“暴れ姫”とまで評されている公爵令嬢に向けられるとは――。
なんだこの女は――と俺は疑問に思った。
暫く経って互いに手を離すと、公爵が仕切り直すように、明るく声を上げた。
「――では、互いに自己紹介も済んだところで。国王陛下、早速今後の流れについてお話し致しましょうか」
「……ああ。二人は暇になる。そこらで交流を深めていなさい」
父である国王からの雑な指示に、俺とリリアナは顔を見合わせる。
会場は王宮である。よってリリアナの案内は俺の役目だった。
談話が始まり騒がしくなった来賓室を出て、リリアナを他の場所へ連れ出す。
といっても、呼ばれたらすぐに出て行けるよう、一枚壁を挟んだすぐ隣の庭園にした。交流を深めるなら、空気の良い場所の方が話しやすい。
「わあ……とっても綺麗……」
中庭に出た瞬間、リリアナは目をキラキラさせて、少し感極まったように声を上げた。
ありのままの感情を表に出す彼女に、俺は驚きつつも口を開く。
「この庭は、父の趣向でな。専属の庭師を十二人も雇って、整備してるんだ」
「へぇー…… ! そうなんだぁ。とても立派ね」
さっきまでの、冷徹で完全性を見せつける彼女はどこへ行ったのか。どこか幼げな口調で、俺の言葉に穏やかな笑みを返すリリアナ。
俺は尚更分からなくなった。……この少女のことが。
「庭木が好きなのか?」
試しに聞いてみると、
「ええ! だって……美しいじゃない! こんな立派なお庭があるなんて……。前は気づかなかったわ!」
「前……?」
彼女は以前にも一度来たことがあるのか?
疑問に思って首を傾げる俺に、ハッと何かに気づいたような表情を浮かべたリリアナは、慌てて胸の前でブンブン手を振った。
「あ……違うの。違うわ。間違えて変なこと言っちゃった」
「そ、そうか……?」
彼女は何を焦っているのか。俺はもう一度首を捻る。
しかし……妙に子供らしいというか。“暴れ姫”にも、こういう感情豊かで可愛らしい部分もあるのだなと不思議に思った。
だからか。もっと驚いた表情が見たくて俺は口を開く。
「なあ、実はさ。この裏にも庭園があるんだ。そっちは王家の人間だけが入れる特別な場所で、一部の庭師しか入れない国王専用の庭でな」
「えっ?」
「見てみるか?」
「うんっ!」
心底嬉しそうな表情で、にんまりと笑って頷く彼女。
しかし、途中でハッと何かに気づいたようにぽかんと口を開けると、ブンブンと首を振り、「駄目……駄目……」とか何とか口にしている。
「見ないのか?」
再度聞いてみると、リリアナはうーん……と暫く頭を悩ませた後、
「……見る」
何故か顔を赤くし、恥ずかしそうな表情で、そう呟いた。
■ ■ ■
王家の秘密の庭は、厳重な警備が為されており、扉の前には常に兵士が二人程立っている。が、王家の人間なら当然、顔パスで通れる。リリアナと二人、中へと入っていく。
俺でも、幼い頃に一度入ったきりの王の娯楽部屋。少し歩いて開けた場所に出る。見えたのは――果樹園であった。
「うわぁ〜~っ!!」
並ぶようにして歩いていたリリアナは、突然走り出すと、フリルの大きなドレスを振り乱しながら、一つ一つの樹木をキラキラと目を輝かせて見つめていた。
「これ……どれも南国のフルーツだわ! 宝石みたい……なんて綺麗なの……!」
「少しなら、取って食べてもいいぞ?」
「――本当に!?」
身を乗り出して、俺の胸ぐらを掴むように、聞いてくる彼女。
「……あ、ああ」
その迫力に驚きつつ、頷いて返すと、早速リリアナはバタバタと走って果実の木に近づき、手に取ろうとした。
しかし、南国の木はどれも実が絶妙な高所にあり、手を伸ばしてぴょんぴょん飛び跳ねるリリアナ。彼女の小柄な身長では、あと少しというところで届かない。
「ふぅ……」
俺は浅く息を吐きながら、少し笑うと、未だに跳ね続けるリリアナの後ろから果実に手を伸ばした。
簡単に届いた。根元を回すように千切ると、手のひらの中に収まる。
「ほら、これ食べたいのか?」
そしてリリアナの前に突き出すと、彼女は驚いた表情を浮かべた。
「……これ、私に?」
「そりゃ、そうだろ」
他に誰がいるんだ、と思いながら彼女の手に果実を押し付ける。
俺は植物に詳しくないため名前は知らないが、南国の甘い香りが漂っている。これ一つで家が一軒建つような果実らしいし、きっと美味いだろう。
彼女は、俺の顔と手に持った果実をまじまじと交互に見ると、やがて果実にかぶりついた。
「美味しい~~!」
プルプルと体を震わせるリリアナを見て、俺は思わず笑ってしまう。
リリアナは非難の色を交えた瞳で、
「……なんで、笑ってるの?」
「いやそりゃ……だって面白いだろ。お前の行動」
「はあ!?」
途端に表情を怒らせるリリアナ。
やっぱり面白い。表情豊かで、どこか貴族離れしている。
第一王子である俺に対する失礼な態度にも、どこか新鮮味を感じ始めていた。
俺は再度笑みを浮かべると、歩きながら、次々リリアナには届かないであろう別の種類の果実を一つずつ手に取っていく。
「ほら、これとか美味そうじゃないか? あとこれもやるよ」
「貴方……もしかして私のこと馬鹿にしてるでしょ」
「してないしてない。でも、食べたいんだろ?」
「…………食べたいけど」
頬を膨らませながらのリリアナの言葉に、再度俺は吹き出す。
それを不服そうな目で見ながら、彼女は果実にかぶりついた。
「これもすっごい美味しい……!」
■ ■ ■
そうして時間を潰している中、
「なんで……私に優しくするの?」
リリアナが警戒したような、心底不思議そうな表情でおずおずと聞いてきた。
「なんでって……。だって俺たち、婚約するんだろ?」
「前はそんなこと……じゃなくて! どうせ私たち、政略結婚でしょう?」
「それはそうだけどさ。夫婦になるんなら、仲良くなりたいと思うのは普通のことだろ」
「……嘘つき」
「え? なんて?」
リリアナが小さな声で呟いた言葉は聞こえなかった。
「ううん、何でも。……じゃあ、もしこれから先、『真実の愛』みたいなものを見つけたら、どうするの?」
「真実の愛? 何だよそれ」
俺が思わずぷっと吹き出すと、リリアナは極めて不服そうな表情を浮かべて、
「なっ……貴方が言ったことでしょう!!」
「はあっ? 誰が言うか、そんな恥ずかしい台詞」
「くぅ〜~!!」
その場で地団駄を踏むリリアナ。俺は笑みを浮かべつつ果実を齧りながら、
「で、真実の愛って?」
「はぁ……。それはね、こういう私達みたいな政略結婚じゃなくて、もっとちゃんとした恋ってことよ」
「ちゃんとした?」
「そうね……。例えば、学園で出会って、交流を深めて段々仲良くなって……。で、デートなんかもしたりして……やがて互いに好きになっていく。そういう、普通の恋愛よ」
「ふぅん、恋ねぇ……。俺には無縁な話だな」
「そんなことはないでしょう?」
リリアナが聞いてくるが、俺は苦笑いを浮かべる。
「いやぁ、ないない。だって俺は王子だからな」
俺は再度、果実に齧り付く。
「結婚相手なんて生まれた時から決まってる。父――国王の決めた相手だ。他の選択肢なんてハナから無いんだ」
「……嘘つき」
再度小さくリリアナが呟いた言葉。俺に聞こえないような微かなその声を、しかし今度の俺の鼓膜は捉えていた。
「嘘なんかじゃないよ。政治のこともあるし、王族としての矜恃みたいなものもある。俺一人の愚かな感情で国の事を蔑ろにする気は微塵もない」
「ふぅん……」
また出会った時のような冷たい視線が俺を捉えている。
どういうわけか、俺の信頼度は最初からゼロらしい。苦笑する。
「なんだ、お前のことを俺が捨てるとでも思ってるのか?」
「は、はぁ!? ちょっと、自惚れないでよ!」
「ははは……!」
ひとしきり笑った俺は、リリアナの顔を見つめ返す。
「やっぱ、すごい面白いよお前。……心配要らない。きっと俺たち、上手くやっていける」
それを聞いて、一瞬目を見開いてから、ムキーーと歯を食いしばるような表情をする彼女。それから突然、視線を床に落として、ぽつりと言う。
「……なんで、今更こんな……。諦めてからじゃ……もう、遅いのよ」
「え? 何だって」
「ううん! 何でもない!」
顔をブンブン左右に振るリリアナ。そしてピッと俺を指さして言う。
「私は貴方の事なんて何とも思ってないわ! 無関心どころかマイナスよ! この浮気男っ! 私と今すぐ婚約破棄しなさい!」
「いや、まだ婚約すらしてないから……」
「揚げ足取るな! このクソ男! 死んじゃえ! この世から消えろーー!」
何故かポカポカと殴りつけてくる。……全然痛くない。
「何だよ、果物がもう一つ欲しいならそう言え。また取ってきてやるから」
「馬鹿ーー! この門外漢ーー!」
……門外漢?
ふと、空を見上げれば夕陽が沈んで、黄昏に暮れていく。
王家の人間とは、国を統治する使命に生まれる前から死ぬまで身をやつしている存在。正直に言えば……俺だって、自由な恋愛というやつをしてみたいと思ったことは、無いわけじゃない。
普通の、巷に溢れる大衆小説のようなありきたりな恋を――。
古い、御伽話のような身分差を超える愛を――。
でも、今の俺の物語も悪くは無い。きっと楽しい日々になる。
そう思った。
感想や評価頂けたら、泣いて喜びます。