二十九話
その破裂音は、銃声のように殺意の込められた音ではない。それこそ、水風船が割れるような他愛のない音だった。
何が起きたのかと振り向く。
破裂した『モノ』は確かに水分を多く含んではいるが――風船ではなかった。
人だった。
水は水でも血液がゴールの中を染める。粘り気のある血液がゴールネットに降りかかり、糸を引いて落ちる。
肉塊が散り、碓氷さんが消えた。
どうなったのか、馬鹿だと称された俺でも分かる。
「これで……私たちの勝ちなの」
俺を馬鹿だと言った素子さんがゴール前に立っていた。
「まさか……」
俺と絵本が言い合っている間に、素子さんが攻撃したのか……。
自分でも血の気が引いていくのが分かる。血の気と共に力も抜けていくのか、身体が崩れ落ちそうになる。それでも、素子さんの元へ行かないと。
彼女に向かったところで何も出来ない。でも俺は、動けば眼前の光景が嘘になる気がして歩き出そうとする。
だが、倒れることも歩くこともなかった。
絵本の見えない触手が俺を掴んでいたのだから。
「彼女を責めるのは……筋違いだよ」
「でも……!」
でも、碓氷さんはどこにもいないじゃないか。素子さんは自分が何をしたのか分かっているのか?
俺は触手から逃れようと足掻くが、解放には至らない。
そのことが俺に僅かな冷静さを与えた。
そうだ。
俺の時間貯蓄は、時を戻すこともできるではないか。残された貯蓄時間は数分。巻き戻しに必要なのはその倍の時間。
碓氷さんが死んだ時間までは戻れない。
「だったら、時間を借りればいい!!」
初めて俺がこの能力を使った時――無意識に時間を前借していた。前借りの利息は借りた分の時間を苦しむこと。心臓を直接掴まれたような地獄の苦しみを味わう。
けど、時を戻せるのであれば、その程度の罰は構わない。
苦しみと命。
比べるまでもなく大事なのは命だ。
俺は時を戻そうと意識を集中するが――。
「なんで……?」
今まで、意識するだけで動いていた時のカウントが一切変化がない。
「なんで? 苦しみなら何時間だって耐えてやるから! だから、発動しろよ!」
戻れ! 戻れ! 戻れ! 戻れ!
どれだけ念じても時は戻らない。それどころか、勝負があったと判断したのだろうか、天の声は決着を告げ、黒の群衆達は闘技場から消えた。
時は間違いなく進んでいた。
「うわああああああああぁ!!」
俺は自分の無力を叫んだ。




