なろう劇場 貴族編
※ 投稿済み小説のシリーズ作品っぽいタイトルですが、今回は小説ではありません。
貴族の爵位名について、気になったことを自分の備忘録としていくつか残しておこうと、エッセイという形で投稿しよう。
ちなみに「爵位名」ではなく「爵位」そのものについては他の作者さんが書いたエッセイ等があったので、そちらが気になる方は別エッセイを探してほしい。
で、爵位名。
これは公爵とか侯爵とかって何なの? という話とは違い、〇〇公爵や△△侯爵の、〇〇や△△の方である。
貴族のシステム自体が日本とヨーロッパで異なるのだが、なろうでよく見る貴族はだいたい中世ヨーロッパ風ハイファンタジーで登場するので、ここではヨーロッパのシステムから考えてみる。
封建制であった中世のヨーロッパにおいて、貴族の爵位は領地に紐づくものだった。つまり爵位を持っている貴族=領主である。〇〇公爵と呼ばれれば、それは〇〇地方を治める公爵という意味になる。なお法服貴族については今回は触れずにおく。
厳密には違うが、イメージしやすく日本で考えると、爵位持ち貴族というのはつまり都道府県知事、あるいは市町村長になる。都府知事が公爵、県知事が侯爵・伯爵、市長が子爵、町長が男爵くらいのイメージか。北海道知事と沖縄県知事は辺境伯、異論は認める。
その例でいえば現職の東京都知事小池百合子氏を貴族風に呼ぶなら、トーキョー公爵ユリコ・コイケ卿になる。
そう、コイケ公爵とは呼ばないし、ユリコ・トーキョーに改名したりもしないのだ。爵位名というのは読んで字のごとく爵位の名前であり、爵位を持つものの家名ではなく、爵位名と家名は別に存在するのがヨーロッパ的なシステムだ。
実在する貴族でいえば、例えばイングランド貴族のノーフォーク公。現在のノーフォーク公爵位の保有者はエドワード・フィッツアラン=ハワード氏だ。爵位名はノーフォーク公なので、彼をフィッツアラン=ハワード公爵とは呼ばない。家名はフィッツアラン=ハワードなのでノーフォーク公爵家とも呼ばない。ノーフォーク公爵位を持つ、フィッツアラン=ハワード家の、エドワード卿、第18代ノーフォーク公爵エドワード・フィッツアラン=ハワード卿だ。
しかしながら、なろう作品においてはユリコ・コイケ公爵やハワード公爵のように、爵位名=家名で使われているのが気になったのでこのエッセイを書くに至った次第である。
とはいえ、実際には家名と爵位名が被ってしまうこともありうる。
サンプル名として名高い東京太郎さんが都知事に任命されれば、貴族風にはトーキョー公爵タロー・トーキョー卿になるし、この場合はトーキョー公爵でもトーキョー卿でも間違いではない。無論この場合でもタロー公爵とは呼ばないが。
厳密には「(家名としての)トーキョー + 公爵」と「(爵位名としての)トーキョー + 公爵」では指しているものが違うので、前者は間違いなのだが、名詞が同じため表面上の結果的には間違っていないことになる、というややこしいことになっている。
グレートブリテン貴族のスペンサー伯爵などが爵位と家名が被っている例で、現在は第9代スペンサー伯爵チャールズ・スペンサー卿が実在する。彼の場合も「スペンサー伯という爵位を持っている人」と「スペンサーという家名の人」は=ではなく≠であり、チャールズ・スペンサー伯爵と呼ぶのは間違いになる。
まあこれらは公式な区分の話であり、実際には小池さんを小池都知事と称することもある。これは「小池都の知事」ではなく「(東京の)都知事の小池さん」であることは文脈からわかるだろう。チャールズ・スペンサー卿をチャールズ・スペンサー伯爵と呼んでも、伯爵のチャールズ卿を指しているのは誰でもわかるので絶対に間違いとは言い切れない。
人の呼び方を間違えるのはどんなケースでも失礼なので、正しく呼びましょう。くらいのニュアンスで、日常的に目くじらを立てるほどではないかもしれないが……。
そもそもの話として、ヨーロッパではなくナーロッパであると考えれば、爵位名=家名な世界観です、で片がついてしまうのだが。その場合でも転生系の主人公であれば、地球ではこうだったのに、という疑問を浮かべて然るべきで、やはり違和感は拭えない。
こまけぇこたぁ、で流してもいいのだが、そのことに言及されることはほぼないので、そういうものだと納得している描写くらいはあった方が流しやすいのではないかと思われる。
しかし転生系の場合、だいたいにして転生元は欧州人ではなく日本人のケースが多い。日本における貴族である華族で考えれば違和感なく受け入れてしまう可能性はあるか。
華族における爵位は領主権ではなく家に与えられるもので、爵位名はなく家の名前に爵位がつく。小池氏が公爵位を賜れば小池公爵になるし、小池家は小池公爵家という呼び方がされる。こちらのほうがナーロッパでよく見る爵位システムに近い。日本人が書いている作品なのでさもありなん。
だが華族制度ができたのは封建制が終わった近代だから、封建制世界観で通用するかというと怪しい。華族制度自体、封建制度が終わって領地を取り上げられてしまい、食い扶持を失った有力者への救済制度である。華族的な爵位の扱いは領地を持たないことが前提であるため、封建制度下において正しく機能するのかは筆者にもわからない。封建制が終わった後のヨーロッパの爵位の扱いとも少し違うので。
中世ヨーロッパ的世界観で近代日本的爵位名が使われている矛盾に、元日本人は気が付かないものなのか。謎は深まるばかりだ。
まあテンプレ的ナーロッパ世界観です、という紹介には手っ取り早くて都合がいいんだけどね。細かい説明がいらなくなるから短編とかだと便利だし。