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ユダの心音

作者: あべちか


私の友人は美しい。


何が、と問われても、何が、と答えることはできないが、ふとした時にたまらなく美しいと感じる。


夢に描いたようなおもしろおかしい高校でもなかった。


進学校ではあるが、ガリ勉を見かけることが少なく、各々が思い思いの生活を送っている、いわゆる普通の高校だ。


だがそれももうすぐ過去のこととなる。


3月のはじめのころには卒業式が始まっているのだ。


もうすぐこの生活は過去のことになる。


しかし目の前の私の自慢の友人は、ひどく憤慨していた。


私にとっては大変どうでもいいことについて。





『国歌斉唱のプログラムではなぜ誰もうたわないのか』




本当にどうでもいいことだった。


だが私の自慢の友人は真剣だった。


国旗に礼をするのに、国歌にだけは失礼ともいえる対応をするのはなぜか。


そんなことを担任の先生に質問する彼女は、いったい頭の中はどんなことになっているのだろう。




私は彼女の意見などどうでもいい。


ただ友人なので止めはしないし、場合によっては賛成ともとれる発言をする。


彼女はとても弁が立つ。


ぺれぺらと話すのではなく、一度その口を開けば実に有効に間を使い、比喩をつかい、声色を使い、相手に自分の意見を伝えるのだ。


正義感の強い人はすぐに彼女の言葉に夢中になった。


今回の『国歌』についても、彼女の言葉に夢中になる人が続出していた。


皆そんなことに微塵も興味などないというのに、実に奇妙なことである。


放課後、図書館に寄るので、と言って彼女とは別の行動を取った。


時々こうして一人になり、彼女との緊張感から解放される時間をつくる。


                                                                                          彼女は美しい、が私は美しくない。



私は聖人ではないので卑しい気持ちになるのは当然のこと。


うらやましい、と実に思ふ。


彼女の語る内容はいつも素晴らしい。


彼女にしか語れない言葉だ。


私が語れば、誰も見向きもしないだろう。


どんなに素晴らしい心根を持っても、どんなに熱い情熱を持っても、私は彼女ではないのだから。



この気持ちをもてあましながら、彼女のそばにいるのは息がつまる。


私は自分をおいつめたりしないので、少し距離をとる。


そんな風に思いながらあるいてゐると、職員室の前の廊下で、国語科の先生の一人が机に向かっていた。


よく見知った人だった。


彼女によく似て正義感のかたまりのような人で、あるとき、生徒たちはまだ暖房機の使用を許可されていないのに、先に教師が使用するのは実におかしい、などと言って、寒い冬の間、生徒の暖房使用期間になるまで、しばらく廊下で執務をとっていたのだ。しかしその後、職員室に戻りづらいことになり、しょっちゅう廊下にいる。



こんにちは、と声をかけると、彼は細身の体を重たそうに動かして、こんにちは、コーヒーを飲みますか、と聞いた。


彼の入れるコーヒーはおいしくない。


暑い夏にホットで、寒い冬にホットで出してくれる。


黒くて少しにがい水を飲んでいる気になるが、私の返事を待たずにいつも入れてくれるので、ありがたくいただく以外にできないのだ。


それに、私は彼のコーヒーが好きだ。


彼に彼女の話をしてみた。


暖房器具のことで熱く情熱を燃やしていた人なら、きっとまた感化されるのではないかと期待した。







彼の反応は、困った子ですね、と笑っただけだった。


先生なら、歌うべきだと言うんだと思っていました、と言ってみると、横目で私をちらりと見た。



面倒ごとはもうあまり好きではありません。



そう言って再び机に向かいはじめた。 



彼は変化したのだ。


この変化は喜ぶべきだ。


私は少し息苦しいのが楽になったのを感じた。




梅の花が好きでしたね、とまた声がかかる。


はい、と答えても顔を上げない彼は言う。


鈴木先生がこっそり生け花に使っているのですよ、あの。


中庭の。



彼はこっそりとくだらないことを教えてくれる。




中庭の梅は中々にかわいらしい。


大輪ではなく、小さすぎでもない。


何より葉がないのがすばらしい。



その枝ぶりをよく見てみると、なるほど確かに枝が手折られた箇所がある。



しかし気にしなければ気にならない程度だ。


                                                                                          鈴木先生というのは、教養のある人だけれど、ときどき分別がなくなる人だ。


彼女の意見はころころと変わる。


まるで自分自身に一切自身がないかのようだ。


また化粧の厚い女子生徒を嫌う。


化粧をする女をすべてばかだと思っているらしい。



彼女はきっと、自分の世界と違いが大きいものを受け入れるのに、人よりも少し時間が必要な人なのだ。



小さくてきれいで、可愛らしい梅の花を眺めながら、鈴木先生のずんぐりとした体と肉が寄って不満そうに歪んでいる顔を思い出す。



大丈夫。


私は彼女より美しい。


そう確信できて、少し息がしやすくなった。




今日はひとりなんですね、と声がかかる。


ふと振り返ると、新聞部の後輩だった。



恥ずかしいことに私は彼の名前をしらない。


たぶん、彼も私の名前をしらない。



息苦しくて。


というと、彼はうれしそうに笑った。


彼は私の友人のことが嫌いなのだ。







今から茶道室に行くんです。





そう。何をしに。





鈴木先生の生け花の写真を撮りに。





そう。




とだけ言って別れた。








次の日、彼はその写真を私にくれた。


私には善し悪しなど理解できないが、好きだなと感じた。


私の美しい彼女を嫌っている二人が関わったものなのだから。




何の写真。




私の友人は今日も美しい。


自信にあふれ、彼女の中から淡い光が出ているようにも見える。




もらったの。



へえ、とても良い生け花だわ。



とてもセンスがある。



写真も、雰囲気をよく引き出している。




私、これ好きだわ。



彼女がとてもすがすがしい顔で笑うので、息苦しさがふっとなくなった。






だって彼女は知らないのだ。





それは何より愉快だった。











             

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