第9話 『同伴』
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おっと、完璧に思考を停止していた。気を失っていたともいう。なんつーか、いつの間にか思考が停止している自分の将来が怖いよ、マジで。
脳内活動が完全に止まっていたため、時間感覚が戻らない。いつから気を失っていたのかも思い出せない。
……んー、昼休みに入って五分過ぎただけか。現国の授業の冒頭部分は何となく記憶にあるから……二時限目の途中から寝てるじゃねーか! 何で誰も起こしてくれねーんだよ! と、自分の交友関係の薄さを嘆いてみる。あー、今さらか。
うわー、寝ぼけた頭でいろいろと考えるのが超面倒くせー。そして飯食うのも面倒くせー。夢を見るだけでもカロリーを消費するらしいが、ほぼ仮死状態にあったので腹も減ってないしな。弁当を広げる気にもなれないよ。ってなわけで二度寝といきましょうか。
「純也、ちょっといい?」
と思ったら、俺の好きな女の子が、仏頂面で声をかけてくる。うげ、授業中にずっと寝ていたことを咎められるのかな? 眼鏡の奥で光る、鷹のような眼光が怖いっすよ、土屋さーん。
女子に気圧されるのも男として情けないので、とりあえずおどけてみた。
「おやや、どうした? もしかしてデートのお誘い?」
「……」
沈黙は肯定の証。薄く頬を朱らめてるのもまたかーわいー。
……ってマジっすか? だったらむちゃくちゃ嬉しいんですけど。
「とりあえず、ついて来て」
「お、おう……」
無意味に動揺してしまった。土屋からデートの誘いなど初めてだ。これは期待も膨らむ。
……いや、待てよ。土屋はデートをどういう定義として定めているのかが甚だ疑問だ。
デートと宣っているので告白ではないだろう。しかし只今昼休み真っ最中。品行方正な土屋が、午後の授業をサボってまでどこかへ行こうと言い出す確率など、俺がテストで学年一位を狙って猛勉強するのと同じくらいのものだ。つまりほぼ零ってことね。
とすると行動できる範囲は自ずと学内に限定される。もし土屋が、二人きりになることをデートとして定義いているならば……。なんだー、いつもと同じか。無駄に頭を回して疲れちゃったよ。
土屋が俺の手を握って足早に先導する。もし俺らが小学生だったら、冷やかされ放題の蛮行でも、さすがに場の空気を知るようになった高校生では、周りから軽く視線を浴びるだけだった。
つーかクラス内では、俺と土屋がすでに付き合ってると認識してるんだよな。まだそんな関係でもないのに。まだ、ね。
「デートといっても、最悪な場所よ?」
「へー、どこだよ」
「殺人現場」
殺人現場? はて、最近、この近辺で殺人なんか……。ごめん、嘘だって、ちゃんと覚えてますって! 君の幼馴染の金本君が学内で殺されたって事件でしょ? あっはっは、本当に忘れるわけないじゃないか。普通に人生送ってれば、通ってる学校で殺人事件が起こることなんて滅多にないんだからさ! こんな印象深い出来事、いくら俺でも忘れられないって!
ふー、危ない危ない。土屋に睨まれなければ、記憶の奈落に沈んでいた事件の概要を掘り起こすことなんて到底できなかったぜ。
すぐに現場へと到着。昇降口から校庭へと向かい、部室棟裏を通って現場へ。
雑草が無造作に生え渡ったそこでは、すでに立ち入り禁止のテープは解かれていた。当然ながら警察も撤退し、刑事ドラマなんかでよく見る死体の輪郭を模った白いテープも剥がされている。二つの意味で殺風景な部室裏だ。
見事に何もないな。事件があったからこそ、野球部が備品を片づけ忘れてもないし、積極的に近寄ろうとする人間はいないだろう。やべっ、自分らを棚上げしてた!
ただ本来ならばあってはならないはずの血痕が非常に生々しい。大方は拭き取られてはいるものの、コンクリートの壁に飛び散った、所々存在する水玉模様の黒いアートは、見ていて寒気がするよ。これはもう、上から違う色で塗るしか痕を消す方法はないかな。
にしても……。
「何やってるんだよ」
「犯人が残した証拠がないか、探してるのよ」
地面に触れそうなほど、眼鏡のレンズを地上零メートル付近まで接近させ、まるで土下座の最強形態を発明している研究者のように、土屋が地を這いつくばっていた。
その姿はまさにゴキブリである。ううむ、自分の好きな奴をゴキブリ扱いする俺って一体……違う。好きな奴の目の前で、ゴキブリのような振る舞いをする女の子って一体……。
「警察が十分に捜査しただろ。証拠っぽいものなんて何もないんじゃないか?」
「私たちにしかわからないものが落ちてるかもしれないわ」
だからそれは何だよ、と言ってやりたい。指紋でも見つければ犯人を特定できるか? お前は他人の指紋をどれだけ熟知してるんだよ。イニシャル入りのハンカチでも落ちてるか? もし落ちてたら、日本の警察は怠慢どころか人格を疑わざるを得ない。残された犯人の足跡でも確認しに来たのか? 数多くの人間に踏み荒らされて、もうそれどころじゃないだろ。
俺たちがやれるべきことなんかない。全部警察に任せておけばいいんだよ。
と言ってわからせてやりたいものだが、土屋があまりにも真剣に這いずり回っているので、とても言いにくいったらありゃしない。あーあ、どうして俺はこんなのを好きになったのかね。
うつらうつらうつら。
会話もなく、土屋の単調な動きを観察しているだけだったので、また眠たくなってきた。目の前で地面や壁を隅々まで見つめ、時には空も見上げ、一体何を探しているのやら。っていうか、何のためにこの場に来たのやら。それそれ、俺を連れてくる理由があったか?
飛びかける意識の中でぼんやりと疑問が生起され、何か重大な問題を忘れていることに気が付く。それは下腹部から発せられる音が知らせてくれた。
と、ありのままに地面を見つめ続けていた土屋が、突然頭を上げた。
「どうした?」
「時間……」
腕時計を見てみる。
「一時まであと十分ってところか」
あぁ、もうそんな時間になっていたのか。呆けすぎてたぜ。
「え? あぁ、十分前ね。そろそろ戻りましょうか。五分前にはしっかりと着席していなければいけないもの」
まったくこの女は、意味もなく人を連れ出しておいて……。俺がここにいなきゃいけない理由を、小一分ほど問い詰めてやりたいよ。
ではここで問題です。教室に帰って残り五分。たったそれだけの時間で、俺は弁当を食べ終えることができるでしょうか?




