第23話 『妥協』
「おー……、ビックリした」
間近でチャイムが鳴って飛び起きた。
サボりの定位置となっている貯水塔の陰で、俺は空を見上げた。太陽は西へ傾き、すでに地平線の彼方へと沈んでいく最中である。ってことは、今のチャイムは最終下校の六時を示すものだったのか。意外と二時間くらいしか寝てなかったんだな。
貯水塔の傍から、下の屋上を見下ろす。帰って寝なおすか。明日の予習なんかやるのも面倒だし、特にやることもないし。ってか、何で俺、ここで寝てたんだっけ?
「……おや~?」
屋上には見知った二人がいた。一人は俺の幼馴染の少女、もう一人は最近話すようになった学内一の美男子。そして二人っきりで向かい合ったこの雰囲気は、もしかして?
話が進むにつれて、なるほどと納得した。
完璧に忘れていたけれど、そういえば俺って火口から恋愛の相談をされたことがあったな。あれって日村のことだったのか。確か彼女がいる男を好きになったとかいって。ってことはその彼女は水野ってわけだ。
……それは厳しいよな。中身は別として、外見だけだったらお前じゃ生まれ変わったって、水野には勝てやしないよ。
そして俺は別に、決して好きで覗き見しているわけじゃないヨ。雰囲気からして、出るに出れなくなってるだけだヨ。
火口が意を決して、日村に気持ちを伝えた。一考した日村は、何を思ったかあの暴言。
そりゃ酷いだろう。いくら好きでもない女の子だからといって、あの振り方は無いわ。
いや……なんだろう? 日村を纏う雰囲気が変わった? 雰囲気だけではなく、表情もまた一変二変とする。まるで無から有を生み出したような、感情の錬金術。
そして話は思わぬ方向へと展開する。
殺した? 日村が? 土屋を? 何を言ってるんだ。意味不明。
さらに、死体を隠す? 火口のお腹の中にいる? 理解不能。
逃げる日村。詰め寄る火口。混乱する俺。
叫びながら無様に後ずさる日村の姿など、すでに俺の目には映っていなかった。
訳がわからない。訳がわからないから考えたくない。脳を働かせたくない。人を信じるのも疑うのも面倒臭い。だから俺の頭に残ったのは、事実が一つだけ。
土屋は火口のお腹の中に――。
面倒な思考の渦から解き放たれたのは、日村秋月の断末魔だった。
その光景は、世にも恐ろしい忌憚の一つとして語り継がれるだろう。
……人が……人を喰っている!
「いただきまーす」
「やめろおおおおおぉぉぉぉぉ!!!!」
日村の首筋に噛みついた火口は、そのまま一口ほどの肉片とともに顔を放した。首筋から噴水がごとく、大量の血液が吹き出る。散飛した鮮血はコンクリートを朱色に染め、辺りを猟奇場へと変えた。
噛みついた火口の顔も、出血の被害を被らずにはいられなかった。色白の肌は、一瞬で真紅へ変貌を遂げる。
ただし鮮血を浴びたことに関しては一向に怯むことなく、恍惚とした表情で再び日村に噛みつく。今度はさっきの場所よりはもうちょっと下、肩の辺り。骨が歯に引っかかったのか、少しだけ時間を置いた後、先ほどよりも力強く噛み切った。結果、肩の骨は根こそぎ火口の口へと持ってかれる。
そして続いて左脚へと……。
う……もう駄目だ。耐えられない。気持ち悪い。あまりに非現実的な光景を目の当たりにして、吐きそうだよ。
だから自らの罪を全開にしよう。
怖がるのも面倒。軽蔑するのも面倒。吐き気をもよおすのも面倒。気持ち悪いのも面倒。目の前の出来事を現実として捉えるのも面倒。エトセトラエトセトラ……。
そして抱いた感想が、「ここが風上でよかったぁ~」である。
あんな臭い、いくら俺が罪深き怠惰な人間であったとしても、失神しちゃうよ。
それにしても……そうか。土屋、そんな所にいたんだな。今の火口の猟奇的な行動を目の当たりにして、ようやく確信が持てた。なんつーか……感慨深い?
「よお」
「!?」
声をかけると、火口が烈火のごとく首を回した。その際に口にしていた肉片が辺りに飛び散る。驚きの瞳をよこし、しかし声をかけたのが俺だと認めると、不満そうに目を細めた。
「何あんた、人の告白を覗き見してたの?」
「いやいやいや、偶然ここにいただけだって」
「ふーん」
嘘じゃないですヨ。だって俺が先にこの上にいたんだからさ。
「で、何の用? 今、食事中なんだけど。どうせなら、終わった後に出てきてくれればよかったのに」
「いやー、なんつーか、今出ていかなきゃいけない気がして……」
尚も日村の肉片を貪る火口。
「……それで、こんなあたしを軽蔑する? 警察に通報する? 化け物だと思う?」
「いや、お前も言っていたようにさ、人食主義だって立派な愛の示し方だろ? 俺は試そうとは絶対に思わないけど、お前の主義を否定する気はないよ。それに、警察に通報する気もない」
「へー、それは何で?」
面倒だから。それが最たる理由なんだけれども……。
「その……、なんつーか、火口、お前さ、……俺と付き合わね?」
「…………は?」
ようやく食べること止めた火口。
そりゃ驚くよね。呆気に取られるよね。今が告白のチャンスじゃないってことも、いくら空気の読めない俺ですら、よーーーくわかってますよ。
でもそれにはもちろん理由があって。
「何て言うのかな。実は俺の好きな奴も、お前の腹ん中にいるんだ。だからお前の主義とはまったく違うけど、そこは妥協してお前と付き合おうかなーって……」
「あんたも日村君を? それってホモ……」
「ちがーう! 俺が言ってんのは、もう一人の方だよ!!」
「あー、あの子のことね」
またゆっくりと咀嚼を再開する。
危ない危ない。危うく幼馴染に、俺がホモだなんて誤解されるところだったよ。
「……そうね。あたしも日村君には振られちゃったし。あんたなら、まーいっか。そこはあたしも妥協ってことで。でもあたしはあんたのこと、愛せるとは思えないわよ。あたしが愛してるのは日村君ただ一人なんだから」
「それは一向に構わない。俺だってお前の腹の中の奴を愛してるわけだし」
それに愛されちゃったら喰われるわけだしね。喰われるのはまっぴら御免さ。
「ん、へもはんはのふひはひほほ……」
「ちゃんと飲み込んでから喋りなさい」
ごくんと、日村だった肉片が火口の喉の中を落ちていった。
火口の口の周りはもう真っ赤で、お歯黒というよりはお歯赤状態だった。
「でもあたしはあんたの好きな人を食べたんだよ? それについては恨んでないの?」
あー、そのことか。それについては、俺はきっぱりと線引きができる人間なんだよ。
「お前は死体を喰っただけだ。俺が恨んでるのは、土屋を殺した日村の方。俺が好きだったのは生きていた土屋だったわけだから、死体を喰ったお前を恨んじゃいないよ。まあ、ちゃんと埋葬できなかったことに関しては、お前にも一言言ってやりたい気持ちはあるけどな」
「そう。……ごめん」
謝られちゃったよ。なんか責めづらくなっちゃったな、おい。
「で、この後どうするんだ? 愛を示したっつっても、人を殺したのは事実だろ?」
「それに関しては大丈夫。今夜大雨が降るって、天気予報でやってた。それで血は洗い流せるはず」
お、気づいたら西の空が曇天に染まっているではないか。意外と計画的だったんだな。
「骨も全部食べるから、遺体の隠ぺいには困らない」
あの小さな体のどこに収まるんだろうな。明らかに自分の体積よりも大きいぞ、日村の身体は。あぁ、あれか。デザートは別腹って言葉があるように、好きな人も別腹って……。あれ、俺って今、気持ち悪いこと言ってる?
「制服は鞄に入れて家まで運ぶ。そして永久保存するわ。だから屋上から下りて行くところを誰にも見られなければ、完璧。完全犯罪達成」
自分で犯罪とか言っちゃってるし。つか、現に俺に見つかってるんですけど。
ま、言っちまえば、俺も共犯者か。はは。だったらもっと共犯色に染まってやろうぞ。
「何か手伝うことある?」
「ない。もう帰っていいわよ。それに今日は日村君との愛を確かめることに専念したいから、あたしたち、明日から付き合うことにしましょ」
「……そうだな」
そのまま火口は日村を食す作業へ集中するので、俺もまた空を見上げてボーっとする。
空はほとんど夜色に染まりかけていた。西からは大きな雨雲が迫ってきてるので、すでに輝かしい夕陽を拝むことはできない。数時間後には間違いなく、天気予報通りに雨が降り始めることだろう。
暗黒に染まる空。この色こそ、今の俺たちにはそっくりそのままの適応色なのではないかと錯覚する。
罪と罰。人間であるためには、絶対に背負わなければならない重荷。
誰もが罪を持ち、そして罪を持ったすべての人間に、それ相応の罰が下る。
それは絶対なのだ。執行猶予の期間は個人差があれど、誰もが必ず罰せられる。
日村の罪は重かった。だから最終的には、死という……いや、人間に捕食されるというこの上ない屈辱的な死を与えられることとなった。
じゃあ日村を喰った火口に対する罰は?
火口の罪を黙認する俺に対する罰は?
いつか訪れるだろう。俺の方が早いか、それとも火口の方が早いか。その違い。たぶん、罰の重さはそれほど違いがないと思う。
だから俺は、曇天に染まり始める現状の空を、俺たちの未来として例えることにする。
普通の罪を背負った人間ならば、罰を乗り越えることによって、次には晴れ間が待っているものだ。罪と罰が交互にやってくるからこそ、人間とは進歩し成熟する。
だけど俺たちの罪は、一歩踏み出したところにある。
次に待っている罰は、果たしてどんなものなのか。それは誰にもわからない。
だから、次の晴れ間は拝めないかもしれないってことさ。
火口に喰われた日村のように、待ちうける罰は死にも値するかもしれない。
ま、どうでもいいことだけどさ。
俺が犯した怠惰の罪は、生きていても死んでいても同じってこと。
罰せられようが見逃されようが、どちらでも同じこと。
俺は黙って土屋の顔を想いながら眠るだけだ。
――なーんてね。
怠惰の俺が、いくらかっこいい独白を思い浮かべたところで、冗談にしか聞こえないんじゃないか? ぶっちゃけ何も考えずに空想していただけだし。
もういい、やめやめ。ものすごい面倒臭いし。
さ、火口が喰い終わるまで二度寝二度寝。




