表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/24

第17話 『空腹』

 結局、手芸部部室には誰もいなかった。自由参加だからって言っても、自由すぎだろ。帰宅部の俺が言うのもなんだけどさ。いや、でも俺、部活への出席率百パーセントだぜ。


「むぅ……」


 可愛げのない声で唸った俺は、脳みそという錆びついた思考機関を無理やりにでも稼働させ、珍しくもこの先のことを思案していた。


 土屋のことを知る手段はもうない。幼馴染の金本は死んだし……というか、俺は金本とは顔見知りですらないんだけど、日村も知らないようだったし。他の友達は……あれ、あいつって手芸部以外に友達っていたっけ? 見たことないぞ。いつも教室では誰と話していたっけか。あー、忘れた。


 ま、どのみち終礼してからだいぶ時間が経ってるんだ。土屋に友達がいたとしても、もう教室には誰も残っていないだろう。ってなわけで、さーて、俺も帰るか。


「あれは……」


 昇降口に見慣れた後姿を見つけた。

 あまりにもちんまい身長はそこら辺の小学生とさほど大差はないものの、その背中にはランドセルを背負ってはおらず、極めつけにはうちの制服を着ていた。ったく、どこの小学生が迷い込んできたのかと思ったよ。


 俺は忍び足で近寄り、彼女のツインテイルを掴んで思いっきり引っ張ってやった。


「ぐべぎぃやぁが……」


 変声期の妖怪に出くわしたかのような奇声を発してくれた火口さん。悪魔憑きとタメを張れるくらいにブリッジしたその上半身を上から覗きこむと、うっすらと涙を浮かべているのが分かった。なんか……悪いことしたな。


「なにすんじゃい、ぼけえぇぇぇ!!」

「ふぐっ!?」


 一瞬にして俺の魔の手からツインテイルを振りほどいた火口は、その場で見事な半ターンをお披露目し、かつ俺の大事な一物を蹴り上げた!


 たまらずその場に膝をついて蹲るものの、い、息ができん……。

 この痛み、男にしかわかりません。


「お…………お前、戦争でも起こす気か!」

「じゃあかしいぃ! 先に仕掛けてきたのはおんどれじゃ!!」


 仁王立ちながら、中指を立てた右手を俺の眼前へと付きだした。

 あなた、本当に女の子ですか?


「くそ、不能になったらどうしてくれるんだ」

「お前で末代だ」

「ひどい!!」


 と、火口はようやく我に返ったように、釣り上げられた目尻を下げた。


「なんだ、純じゃないの」

「今まで俺と知らずにその狂行に及んでいたのか?」


 もしも見知らぬ人だったら、お前第一印象最悪だぞ。いや、見知らぬ人はいきなり女の子のツインテイルを引っ張ったりはしないけどさ。いたら普通にロリコンだ。


「で、こんな所で何やってんだよ」


 金的によるダメージも徐々に回復してきたので、ようやく立ち上がることができた。俺だって特別背が高いわけでもないのに、火口と並んで立つと普通に旋毛が見える。


 こいつ、場合によっては誰と話すにしても顎を持ち上げないといけないわけだから、結構疲れるコンプレックス持ってるよな。


「別に、昇降口でやることっていったら、靴替えるくらいのものでしょ?」

「そりゃそうだけど、お前のクラスここじゃないだろ」


 そう、ここは三組と四組の下駄箱があるだけで、二組の火口はもう一つ隣のはずなのだ。


「えっとお……」


 と火口は、視線を明後日の方向へ投げながら、思案顔になる。


「と、とにかく、靴替えて待ってなさい!」


 待ってなさいって……。

 火口はダッシュで隣の下駄箱へと向かい、そしてものの数秒で戻ってきた。


「なんで靴替えてないのよ!?」

「お前が早すぎんだよ!」


 なんという絶対王政。マリーちゃん級のアントワネットだ(意味不明)。


「ま、いいわ。このあたしがあんたの為に数秒の時間を無駄にしてあげるから、ちゃっちゃと靴を替えればいいわ」

「はぁ……」


 やれやれだぜ。と、嘆息しつつも、俺はすぐさま靴を替える。別に火口の二度目の金的が怖かったわけではない。


「とはいっても、あんたの大事な物を本気で蹴り上げたことは、悪かったと思ってるわ。だから一応謝っておいてあげる。ごめんぷー」

「うぜぇ……」


 火口が口先を突き出して馬鹿みたいな顔をしていたので、その口を指先で摘んでやった。


「ちょ……年頃の女の子の唇に何やってんのよ!」

「そんなことで照れんなって。お前のファーストキスの相手は誰だよ」

「んー、お父さん?」

「マジで!?」


 びっくりしたー。普通に俺かと思ってたのに!

 いや……こんな与太話はどうでもいいんだけど。


 と、突然火口の表情に陰が差した。昔から天真爛漫に振舞ってきた顔には似合わない、負の性質を帯びた感情が、火口の顔から浮き彫りになる。


 この表情は知っている。主に隠し事がある時や、行動力がありすぎるからこそ、後ろ暗いことをやってしまった後に罪悪感を抱いた時の表情だ。小さい頃、悪戯をして親に怒られるまで、よくこんな顔をしていたな。


 けど――、


「…………?」


 今ここで、この表情の意味は? 俺に何を訴えている?


「さ、帰るわよ。どうせもう用なんてないでしょ」


 どうせとは失礼な。学校に用がないのは事実だけど。

 ただし、学校には、である。


「あー、悪いな。ちょっと寄るところがあるんだ。お前の家とは正反対の方向」

「へー、珍しい。何かあるの?」

「まーな。好きな女の子が今日学校休んだから、ちょっと見舞いに行ってくるだけ」

「え、あんた私のこと好きだったの!?」

「お前、学校来てんじゃん」

「そうだけどさ」


 これは昔からよくやってたじゃれ合いみたいなものなんだけど。

 だから特別な意味はない。意味がないからこそ、俺は安堵していた。


 いつの間にか火口の顔から、暗い陰が消え去っていたからだ。加えていつも通りの掛け合いができるってことは、それほど大きな不安事項を抱えているわけではないってことなんだろう。それとも単なる見間違いだったのかもな。


「んじゃ、そういうことで」

「あ、ちょっと待って、純」

「?」


 去り際に呼び止められて、肩越しに振り返る。しかし火口は、大きく口を開けたまま何も言わない。まるで口にしたい言葉を喉元まで出しかけたものの、その時点で口から出しても良いか否か逡巡しているかのように。


 ほんの数秒、思考をひと巡りさせた火口は結局、喉元の言葉は口ではなく胃の方へと飲み込だ。


「……あー、ごめん。やっぱいいや」

「なんだ、隠し事か?」

「そうそう、乙女には秘密がたくさんあるのよ」

「乙女って……ぷっ」

「本当に不能にしてやろうか?」

「ごめんなさい」


 無駄な掛け合いはこの辺でさて置き、俺は再び別れを告げて踵を返した。


 火口の奴、隠し事ってよりは、悩みを抱えてそうだったな。後ろ暗い悩み事があり、それを俺に相談してもよいか迷っていたのだろう。俺も火口とはなにかと縁があるから、心配なのはやまやまなんだけど……。


 だからと言って相談に乗ってやるかどうかは別である。面倒だし、何より火口自身が悩みを打ち明けることを良しとしていないのだ。余計なお節介は俺の主義に反する。


 それに火口だったらそんなに心配することもないだろうと思う。


 あいつは物事の重要度をしっかりと測れる奴だからな。相談してこないってことは、自分一人で解決できる算段がついてるんだろうし、一人で抱えきれないほどの大事ならすぐにでも誰かに相談しているはずだ。いつぞやの屋上みたいにさ。


 ま、火口ならきっとすぐに何らかの答えを出して、前向きに歩き始めるさ。行動力に定評のあるチビだからね。


 さて、後ろ向きにしか歩けない俺は、土屋のことが心配なので、今から彼女の家に見舞いに行くとしよう。


***


 体調は良い。熱もなければ怪我もない、いたって健康体。


 けど下腹部辺りがグルグルと音を立てているので、気持ちはあまり良くない。食べた物が腸まで達したけど、まったく栄養分が吸収されずに、ずっと動き回っているようだ。もしかしたら、腸の入口と出口が繋がってしまったのかもしれない。もちろんそれは冗談だけど。


 なんだろう。吐き気もなければダルくもない。物体が流動する際に腸の壁を圧迫するため、まるで小人が一人、お腹の中で暴れているよう。妊娠したらこんな感じなのかしら?


 腹の中の異物を上から手でさすり、もう一度下駄箱の中を覗き込む。


 手紙はもう無くなっている。下駄箱の中は上靴が残っているため、彼は帰路についたのだろう。


 近くのゴミ箱を漁ってみても、周辺の床を見回ってみても、あたしの手紙が破り捨てられた痕はなかった。つまり彼は、すでに手紙を読んだか、持ち帰って家で目を通すのか。


「ふふ……」


 何故笑ってしまったのだろう。

 自分の犯した罪が、あまりにも重かったから?

 手紙の内容が、あまりにも簡素で滑稽だったから?

 自分の行動の無意味さを自覚して自嘲したから?

 あたしの愛は、遠く遠く。誰にも見えないほどに高い所へ。

 嗚呼、愛の欠けたあたしという人形は、飢えを凌ぐために罪を犯した。

 だけどまだ足りない。愛がなければ飢えるばかり。愛こそ生けるための糧。

 欲しい。愛が欲しい。この空腹を満足させるくらいの愛を。


「ふぅ……」


 ついつい溜め息が出てしまった。何を考えてるんだ、あたしは。詩人にでもなったつもりか。馬鹿馬鹿しい。詩でお腹が満たされるわけもないのに。


 もう後には引けない。愛の為に罪を背負ったあたしは、前へと進まなければならない。


「ぐべぎぃやぁが……」


 とその時、突然視界が上を向いた。髪の毛が一瞬にして何百倍もの重力を持ったかのように、頭が後方へと引かれる。


 予想だにしなかった敵襲に急激に動悸が高まったが、しかしなんのことはない、逆さに映ったアホ面は見知った顔だった。


「なにすんじゃい、ぼけえぇぇぇ!!」

「ふぐっ!?」


 ま、これもいつものじゃれ合いだ。今回はたまたま純の急所めがけて足が出たものの、純のイタズラ的行動にあたしが暴力的に解決するのはいつものこと。ほんと、いっつも被害が大きいのは自分だって分かってるんだから、やめておけばいいのに。


「で、こんな所で何やってんだよ」


 痛い所をつかれた。二組のあたしがここにいるのは不自然すぎる。場所を間違えたなんて言い訳が通用するわけもないし……。


 いえ、大丈夫。相手はあの純なんだ。適当に話をはぐらかせておけば、あの怠け者の脳みそはすぐにその情報を食いつくされるであろう。昔から興味を持つことをしない男なのだ、純は。実際、あたしが馬鹿みたいな行動を起こしたら、いつも通り突っ込んでくれたし。


 そう。たとえ心を許した幼馴染であっても、今のあたしに興味を抱かないでほしい。


 抱え込んだ罪はあたしだけのもの。

 求める愛は誰にも知られたくない。


 生まれた小人は、あたしのお腹の中で罪と愛を混ぜ合わせる。

 いや、生まれたわけではない。元々私の中でひっそりと隠れていた小人が、つい最近になってその頭角を現してきたのだ。


 きっかけ? そんなものはわかりきっていること。


 日村君の悪魔との同調により、あたしの小人を繋ぎとめていた鎖が断ち切られた。


 あたしの悪魔は愛を求め、罪を犯し、罪を愛の代用にしようとした。

 けど違う。それは偽物。偽物なんかで満腹になるはずもない。


 だからずっと気分が良くないのだ。偽物の愛は早々に胃から滑り落ち、悪玉菌として腸を痛めつけているのだから。


 偽物の愛を手に入れて苦しんでいるあたしを見ないでほしい。特に心を許している、数少ない友人の純には。


「さ、帰るわよ。どうせもう用なんてないでしょ」


 早々に帰宅を促してみた。このままここにいたら、ずっと無駄な漫才を繰り広げそうだもの。純と私の家は方向さえ同じではあるが、すぐに違う道へと別れることになる。今日はもう一人になりたかった。


「あー、悪いな。ちょっと寄るところがあるんだ。お前の家とは正反対の方向」


 本当に珍しい。純の用事など、帰り際にコンビニに寄ってお菓子を買うくらいのものなのに。


 純に好きな女の子がいることは知っている。名前は知らないし、会ったことどころか一目すらも目撃したことはないのだけれど、同じクラスということだけは聞いている。


 よく勘違いする人がいるけれど、幼馴染とはいっても、高校までお互い好きあってる人たちはそうそういないと思う。そりゃあたしも一時期は特別な眼で純を見ていたこともあった。けど今はまったくそんな気はない。親友以上腐れ縁相当。別に一緒にいようが離れていようが、特に意識することもない兄妹みたいな関係だと思う。


 だって現状、あたしたちには他に好きな人がいるもの。

 あたしは日村君を。純はあたしの知らない女の子を。


 ……そう考えると、あたしは純のことを少し羨ましがらなければならないのかもしれない。純のくせに、本物の愛の居場所を知ってるなんてさ。


 いいえ、あたしも居場所くらいは知ってるわ。問題なのはその愛を手に入れられる確率が高いってことね、純の場合。


 あはは。本当に何を言っているのかしらね。純は純、あたしはあたし。

 さあ、あたしはあたしなりに頑張らなくちゃ。可能性は決してゼロじゃないわ。だって世界にはこんなにも愛が溢れているんだもの。私の腹部くらい、満足してくれるでしょう。


 あー、オナカスイタ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ