ー雪村和音 現実ー
坂道を下りながら、我ながら情けないなと思った。勇んで行ったが結局ひるんで帰ってきてしまった。私はいつもこうだ…。会えなくて残念な気持ちよりホッとした気持ちの方が勝っていた。慣れないことをするのは人十倍勇気がいるから、慣れないことは極力避けて生きてきた。しかし、今回は特別だった。なのに…
この同窓会のハガキをゴミ箱で見つけた時、ママのやりきれない気持ちも一緒に捨てられているような気がした。それはそのまま私のやりきれない気持ちになった。
ママが若い頃、何があって、なぜニューヨークに移住したのか、おばあちゃんから聞いてある程度は理解していた。しかし、ママの気持ちを計り知ることはできなかった。何も言わないのは、触れてほしくない領域なのだと思っていた。誰でも過去の痛い部分には触ってほしくない。
しかし、それは少し違っていた。ママは自分自身でも自分の気持ちをずっと計り知れずにいたのだ。どこまでが過去でどこからが現実で、どこまでが過去の思いでどこからが今の思いか、わからないから、思い出すこともせず、捨てることもせず、ただ意識下にしまっておいたのだ。大切な宝物を守るため。
私は人を信じることが苦手で、そこまで人を好きになったことがないから、“狂おしく切ないほどのやわらかい愛”と表現されても、“果実が引きちぎられるようなやりきれない痛み”と言われても、持ち合わせていない感情で戸惑いを覚えてしまう。それらのすべてが私の年頃でわかっていたママをうらやましいと思った。
…懐かしく狂おしく切なく…
そこまでママを魅了した「青山駿介」という男はどんな人なんだろう。
憎しみ、嫉妬、あこがれ、よくわからない気持ちに支配され、私は同窓会会場に行き、「青山駿介」を一目見ようと決心した、のに…
拓朗は砂の上に座り煙草をくゆらせていた。きれいな横顔だなと思った。しあわせもふしあわせも超越したこの安定感。この強さはすごいね。
「おまたせ」
抑揚のない声の私の顔を見上げて、「…そっか…」とうなずいて微笑み、顔をまた海に戻した。その隣に私も座った。
きっと拓朗は最初からこうなることがわかっていたんだ。それでも「むだだよ」なんて言わず、無言で「がんばってこい」と背中を押してくれて、私ががんばってもがんばれなくても両手を広げて帰りを待ってくれている。私が感情を表現しなくても、私の心の中にそっと入ってゆき、不安定な一つ一つの欠片をケアしてくれる。
キラキラ光る波間で海鳥たちがたわむれている。海鳥の鳴き声は、初めて聴く人にもきっと懐かしいね。いつか私もあんな風に飛べるのかな…
「拓朗、海をひとりじめだね。」
「さっきまで人がいたよ。親子連れと超イケメンおやじ。」
「“超イケメンおやじ”なんて、私も見たかったな。」
私は今日初めて笑った。拓朗の横顔も笑っていた。
「また見れるかもな。」
「ほんと?どうして?」
「なんとなく…」
拓朗の“なんとなく”はだいたい当たっている。