ー雪村和音 予感ー
♪ピコピコ♪
スマホの画面を見ると拓朗からだった。
[あえた?]
今日のことは拓朗だけには言ってある。こんなこと他に言う人いないし、言っても理解されない。まったく自分らしくない行動だと思うけど、人は時々説明のつかない大きな力につき動かされる時がある、のだと思う、たぶん、きっと…
[まだ坂道の途中]と送り返したかったけど、スマホを押す手がもどかしくて、[まだ]とだけ送った。海岸でそれを見て苦笑している拓朗の顔が目に浮かんだ。拓朗は現状を知りたいわけではなく、私の心内を心配しているのだ。
この得体の知れない緊張をどうにかして紛らわしかったけど、[どうしよう 緊張する]と素直に言えるほど心は世間にオープンではなかったし、それがたとえ拓朗でもそれを上手に表現できなかった。私は昔からこんな風だった。
上手=素直という図式がこの場合成り立つのなら、思ったことをそのまま口にすればいいわけで、一番簡単なようだが、私には一番難しかった。小さい頃、見たこと思ったことをそのまま口にして大人たちに「そんなこと言っちゃだめ」と叱られた。その理由をきちんと説明してくれないから、わからないまま、私は叱られないように大人を喜ばすことしか言わなくなった。上手に生きるために素直じゃなくなった。なんだか世の中矛盾が多すぎる。
表現しないことは拒否を拒むことで、安心していられた。でも、安心なのに疲れた。心にバリケードを張って、アンテナを高くして、いつの間にか何かを恐れてるようになり、何かから逃れようとしてきた。その“何か”が何なのかわからなかった。
が、拓朗と出会って拓朗が教えてくれた。
―――愛されないこと
なるほど…
でも、まだ、自分の弱さをさらけ出すことができるほど、私は強くないよ。
知り合ってまだ1年だけど、拓朗は誰よりも私のことをわかってくれて、私の知っている大人の中で誰よりも大人だった。見た目はあんなんだけど、一緒にいるとやわらかいお日様に包まれているようで、こっちまでやわらかい気分になれる。
拓朗には彼女がいると思っていた。私とは一定の距離感を保っていたし、彼女として扱うことはなかった。拓朗みたいな男が彼氏ならしあわせなんだろうなと思いながら、私はこの微妙な関係が気に入っていた。でも、一向に拓朗に彼女がいる気配もなく、なるほど、拓朗はきっとゲイなのだと思った。
私はニューヨークで生まれ育ったから、そういうのはフツウだった。
やがて、ゲイでもないとわかって、拓朗に二人の関係を聞いてみたことがある。男女の仲にしては離れすぎているし、友達にしては親しすぎた。拓朗は少し考えて、
「運命…かな」
と言った。
私はとてつもなく温かい気持ちになって、
「いい運命だね」
と返した。
拓朗は優しく微笑んでいた。
坂道を上り切ると、向こう側に海が光っていた。私は大きく深呼吸をした。神聖な場所に足を踏み入れるようで、ドキドキというより怖い気持ちがしていた。
私は今から、かつてママと愛し合い、ママを捨てた男に会いに行く。ママがそこまで愛した「青山駿介」という男にどうしても会っておかなければと心が支配されていた。