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ー雪村和音 初恋ー

 拓朗のアパートと私の家は、公園を挟んであっちとこっちで比較的近い。なのに(それか、だから?)、1度も泊まったことがない。男女の仲ではないからと言えばそれまでだけど、逆にただの友達なら泊まれると思う。その辺り、微妙なのだ。


 拓朗はまだ自分の出番じゃないという感じでその距離を保っているし、私も拓朗にいきなり求められても、それに応じる度量がない。愛なくしてそういうことはしたくない。拓朗との愛は違う愛なのだ。情愛の愛よりも、もっと純粋な愛。壊れることのない愛。

 

 内緒にしてあるけど、私には好きなひとがいる。これは誰にも言ってないけど、ミルクには話してある。だから、いつか拓朗はミルクから読み解くかもしれない。それとも、拓朗にとって私はわかりやすいみたいだから、時間の問題かもしれない。それか、もうわかっているかもしれない…


 私がニューヨークにいた頃、学校の長期休みには必ず日本のおばあちゃんに会いに来た。 

おばあちゃんと言うのはママのお母さん。その時に偶然一冊のアルバムを見つけてしまった。そこには若かりし頃のママとその恋人の写真で埋め尽くされていた。思い出がぎっしり詰まっていて重かった。


 おばあちゃんに二人のことを尋ねたら、最初は口が重かったけど、色々話してくれた。ただの若い男女の恋話と別れ話だけど、なんだか胸が痛んで苦しくなった。その時のママの気持ちは経験不足の私では計り知れなかったけど、ママへの同情の気持ちより、その“青山駿介”というひとを憎む気持ちが湧き出てきた。その人がちゃんと最後までママを愛し通してくれれば、ママはニューヨークに行くこともなかったし、寂しさと苦しさ紛れに結婚することもなかったし、女手一つ必死で私を育てることもしなくてよかったのに…


 そんな思いを持ちながら、来る日も来る日もアルバムを開いて二人を見続けた。

 二人は本当にしあわせそうで、写真すべてがキラキラしていた。ママの笑い声が聴こえてくるようだった。二人の愛がアルバムから零れ落ちてきそうだった。アルバムの中のママは今の私によく似ていて、写真を見ていてるとで自分がデートしている錯覚に陥った。


 その夏は来る日も来る日もずっとアルバムを見続けた。そしてアルバムの中の憎むべき“青山駿介”とデートを重ねた。

 私の初恋はこんな感じで始まった。


そして今日の夜、初恋の人の面影のある人を見た。

 『素直になれなくて』を聴いて泣いていた。どういうこと…?








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