(9)
「――ふーん」
晶は七海の顔から視線を逸らすと、イスにドカッと座り直した。「お前、思ったよりも面白そうなヤツだな」
「それって、どういう意味ですか?」
七海がムッとした表情をすると、晶はなぜか笑い始めた。
「だから、そういうところが面白いって言ってんだよ!」
(――もう! 本当に何なの、この人!)
七海は晶から顔を背けると、頭に昇った血を覚ますように残っていたアイスコーヒーを一気に飲み干した。
「で、誰かを不幸にすることって、出来るんですか?」
「もちろん、できるさ。別に不幸にするのは禁忌じゃないしな」
「じゃあ、私、ここで働きます。働かせてください」
七海は今度は信彦の方に真剣な表情を向けた。
信彦は相変わらずニコニコとした表情をしていたが、七海が顔を向けると一瞬真顔になった。
「でも、石橋さん、良いんですか? 本当に願い事が何でも一つ叶うんですよ。不幸にしたい相手がいるとは言え、他人のために使ってしまってもいいんですか?」
「いいんです」
「そーだよ、お前。アラブの石油王と結婚したいとか、そういう絶対ムリな願い事だって、何だって叶うんだぜ。本当にいいのかよ?」
「いいんです」
晶は七海の顔をまたジロジロと見つめた。
「お前、結構骨のあるヤツみたいじゃねーか。気に入った! ――よし、3ヶ月ここで働いて、その願い事、叶えてみせろよ」
「もちろん、叶えてみせます」
確かにこの男の仕事をやるのは不安だけど、自分の願い事を叶えるためなら、どうってことないだろう、と七海は思った。
「言っとくけどな、今まで3ヶ月ここでバイトが続いたヤツなんていないんだよ」
「――えっ?」
晶は悪戯が成功した子供のように得意げな笑みを浮かべると、さっきビルの屋上へと続いていた店の奥のドアの方へと消えて行った。
「石橋さん、ありがとうございます」
唖然としている七海に、信彦がニコニコとしながら話しかけてきた。「で、いつから働けますか?」
「あっ、あの!」
「何でしょうか?」
「さっき言っていたことは本当ですか? 『今まで3ヶ月ここでバイトが続いたヤツなんていないんだよ』って」
「そうなんですよ、本当です。残念ながら……」
信彦が気まずそうに言うと、七海は心の中で「ヒィ」と悲鳴を上げた。
「そっ、そんなに魔法使いの仕事って、その大変だったりするんですか? 3ヶ月も続かないくらい?」
「いえ、別にそれほどではありません。僕がさっき言った通り、魔法使いの仕事とは言え、危険なこともないですし……。ただ、大体、1か月も経たないうちに晶がバイトの子を……」
そう言うことなのか、と七海は察した。「まあ、でも、石橋さんはきっと大丈夫ですよ! あの晶が『気に入った』って言った方は石橋さんが初めてです」
「えっ?」
「ほとんどはですね、一つだけ叶う願い事の内容を聞いて『つまらない』って晶が却下するんです。例えば、アラブの石油王と結婚したいとか、100億円ほしいとか。そういう方は願い事を口にした途端、その場から消えてましたね」
消えてましたって……、七海はまた心の中で悲鳴を上げた。
さっき、晶が言った「アラブの石油王と結婚したいとか、そういう絶対ムリな願い事だって、何だって叶うんだぜ」というセリフ、あれは誘導尋問みたいなものだったのか。
「そう、だったんですね……」
「でも、晶が『気に入った』と言った気持ち、僕にもわかります。僕も石橋さんのことが気に入りました」
「えっ?」
七海は思わず信彦の顔をまじまじと見つめた。
信彦は相変わらずニコニコしている。
「どんな事情があるのかはわかりませんし、願い事の内容も特殊ですが、石橋さんが真剣に願い事を叶えたいという気持ちはわかりました。何かに真剣な方は、仕事とか他のことに対しても真剣に取り組んでくれるでしょう。これから宜しくお願いしますね」
「はい! こちらこそ、宜しくお願いします」
やっぱり、この人は良い人そうだ、と七海は思った。
自分が「誰かを不幸にしたい」という願い事を言っても特に態度は変わらなかったし、どうして「誰かを不幸にしたい」という願い事を叶えたいかということにも突っ込んで来ない。
きっと、自分の心情を察してくれたのだろう、と七海はありがたく思った。
まあ、あの晶と上手くやっているようだし、多少のことではビクつかない性格なだけなのかもしれないけど……。
「ええ。後、晶のこともどうぞ宜しくお願いします。あんな感じですが、根は本当は良い子なんですよ」
「えっ? あっ、はい」
晶が「良い子」って、それはいくらなんでもないだろう、と七海は思った。
「そして、最後に一つ。願い事は変えてもいいんです。3ヶ月後に別の願い事を言ってもいいんで、それまでじっくり考えてくださいね」
「はい」
七海は信彦に返事こそしたが、自分が「願い事」の内容を変えることはないだろう、と思っていた。
しかし、あのふてぶてしい男と上手くやって行けるのだろうか、七海は心の中でため息を吐いた。
でも、上手くやって行くしかないだろう。
自分の願い事を叶えるためには、上手くやって行くしかない。
七海はここで3ヶ月バイトを続けて、絶対に「願い事」を叶えてやる、と心に誓った。




