(12)
「――晶!」
立ち上がった晶に向かって再び信彦が言うと、晶はやっと七海と信彦の方を向いた。
信彦の声で振り返った晶の瞳は、いつもと同じようなビー玉のように輝いている瞳に戻っていた。
「ごめん、ノブさん」
晶は七海と信彦の前に座り直すと、まるで信彦に頭を下げるかのようにうな垂れた。
――いや、これはうな垂れたのではなく、本当に信彦に頭を下げたのだろうか。
七海はまさか晶がいくら信彦に対しても頭を下げるなんて意外だな、と思った。
「お前、それって……。それってつまり、愛美さんは生きているってことなのか? やっぱり、あのあかねさんっていう人が、愛美さんだと言うことなのか?」
晶は小さく頷いた。
「これが割れてしまったから」
と、晶は床に散らばったビー玉の欠片に目を落とした。「あいつらに母さんの居場所がバレたんだ、これで母さんのことをずっと守っていたのに……」
「そう、だったんですか? すみません、私が床に落ちる前にちゃんと取っていれば……」
このビー玉がそんなに大切なものだったなんて……。七海が泣きそうな声を出しながら言うと、晶が七海に鋭い視線を向けた。
「お前のせいじゃねーよ! 勝手に自分のせいにするな!」
「まあまあ……」
信彦は晶をなだめるように肩を軽く叩いた。「でも、愛美さんは亡くなったんだよな? 僕は愛美さんが亡くなった時のことを昨日のように覚えているぞ。毎月、お前の代わりに月命日には墓参りに行っているし。どういうことなんだ?」
「母さんは、確かに6年前に亡くなったよ。でも、俺が『生き返らせた』んだ」
「えっ?!」
七海と信彦が同時に声を上げた。
「生き返らせたって、それって……」
「生き返らせたって、それはどういう意味だ?」
七海と信彦が同時に晶に訊き返すと、晶は独り言のように小さな声で言葉を続けた。
「母さんは6年前に階段から落ちて、頭を打って亡くなったよ。でも、俺が魔法で生き返らせたんだよ」
「でも、それって……」
魔法で誰かを生き返らせるって……。
七海は晶と初めて会った時のことを思い出した。
本屋で3ヶ月働いたら「何でも願い事が一つ叶う」という願い事に、七海は「姉の六華のことを生き返らせたい」と願うつもりだった。
でも、晶が「魔法で誰かを死なせたり生き返らせたりするのは禁忌なんだよ」、「そんなことしたら、俺が魔法使えなくなるんだよ。下手すると死ぬんだよ、俺が。そんなこと出来っか!」と言って、七海の願い事を突っぱねていた。
晶は魔法使いの禁忌である「魔法で誰かを死なせたり生き返らせたりすること」を母親に対して使ったということなのだろうか。
でも、晶は死んでもいないし魔法も使えているし……と七海はそこまで思って、思わず「あっ!」と声を上げた。
「晶、まさか……。お前がこのビルの中でしか魔法が使えなくなったのは、愛美さんを生き返らせたからっていうことなのか?」
信彦も七海と同じことを考えていたらしい。
信彦が言うと、晶はまた小さく頷いた。
「そうだよ。目の前で母親が死んでいて、魔法で生き返らせることができるのに、生き返らせようとしない人間がどこにいるんだよ! でも、父さんから引き継いだ魔法を手放すこともできなかったんだよ! だから、俺は……」
晶はここで言葉を詰まらせた。
「だから……?」
信彦が訊くと、晶は信彦の方に顔を向けた。
「だから、俺はこのビルの中でしか魔法が使えなくなることと引き換えに母さんを生き返らせたんだ。でも、それだけじゃあ足りなかったんだ。母さんを生き返らせるには、それだけじゃあ足りなかったんだよ。だから俺は……、俺とノブさんが母さんと二度と会えなくなることも引き合いに出したんだ。それで、何とか母さんを生き返らせることが出来たんだ」
「何、だって……?」
信彦は晶の言葉を聞いて、驚きのあまり後退りしてしまった。
「ごめん、ノブさん。ノブさんが母さんと会えなくなるのがツラいって良く分かってたよ。でも、あの時はそうする以外、どうしようもなかったんだ。それくらいの引き合いを出さないと、母さんを生き返らせることができなかったんだ。
生き返った母さんは、俺のことも父さんのこともノブさんのことも、全て忘れてしまっていた。誰かを生き返らせると記憶がなくなるなんて、そんなん知らなかったよ。でも、二度と会えないのなら、それで良いと思った。母さんも悲しまないし……。
俺は母さんに別の人間の記憶を植え付けて、別の人間として生きていくようにした。だから、本当は母さんが生きているってことも黙ってたんだ。生きてるのに会えないってわかったら、ノブさんが悲しむと思って。ノブさんが月命日に参っている墓は、別の人の墓なんだ……」
晶は言葉を詰まらせると、少ししてもう一度「本当にごめん」と言い、顔を俯かせた。
七海は黙ったまま、ジッと晶と信彦の様子を見ていた。
死んだ誰かを生き返らせることって、魔法使いとは言えどもそんなに大変なリスクを伴うものだったのか、と七海は思った。
自分はたった3ヶ月のバイトで姉の六華を生き返らせたいと思ったが、晶があんなにも自分の願い事を突っぱねて来た気持ちもわかる気がした。
「――晶、それで良かったんだ」
信彦は晶の方に近付くと、俯いた晶の肩に手を置いた。
信彦の目は溢れて来た涙で、晶の瞳のようにビー玉みたいに輝いていた。
「ノブさん……」
晶は顔を上げて信彦の方を見た。
「それで良かったんだ。愛美さんが生きていてくれるのであれば、愛美さんに二度と会えなくなって構わない。お前の判断は全然間違ってないよ。確かに会えないのはツラいけど、愛美さんが元気で生きている方がよっぽど嬉しい。お前はよくその決断をしたな、お前だってツラかっただろうに……」
「ノブさん、ありがと……」
晶は再び顔を俯かせた。
晶が顔を下に向けると、床の上に涙がひと滴、零れ落ちた。
七海も自分の頬に伝っている涙を、手の甲で拭った。
確かに自分も大切な人が元気で生きているのであれば、それと引き換えに二度と会えなくなる方を取るだろう。
でも、それは余りにも悲しくてツラい決断だ。
特に自分の母親が生きていると言うのに二度と会えないなんて、晶はこのビルの中でどれだけツラい淋しい気持ちをしながら生きていたのだろう……。




