(8)
エレベーターの3階のボタンが光ると、静かに扉が開いた。
いつ来ても、晶の住んでいるビルの3階は静まり返っているな、と七海は辺りを見渡しながら思った。
やはり、この静けさも晶の「魔法」の仕業ということなのだろうか……。
七海は3階の奥にある晶の部屋の前に着くと、ドアを「コンコン」とノックした。
――返事はない。
「堀之内さん、七海です」
七海は返事がないことに構わずになるべく大きな声でドアに向かって話しかけた。「近くのデパートの有名なケーキ屋さんのケーキ頂きました。食べますか?」
やはり返事はない。
晶的には「つべこべ言わずに、ケーキをドアノブに引っ掛けて帰れ」ということなのだろうか。
でも、七海は構わずに言葉を続けた。
「私と初めて会った時のこと、覚えてますか? 堀之内さん、あの時ものすごく酔っていて、『ビールを買うためにビルの外に出た』って言ってましたよね? でも、違うんですよね? このケーキ持って来てくれた方が言ってました。『お守りが壊れたと言ったら、すぐに新しいものを持って来てくれた』って……」
七海の言葉の途中で、ドアが「ガチャ!」と開いた。
ドアが開いた途端、部屋の中から、まるで辺り一面に大量のバラの花びらが舞い落ちてきたかのような濃厚なバラの香りが流れ込んで来た。
本当に、晶の部屋の中はどんな仕掛けになっているのだろうか。
部屋の中から顔を覗かせた晶は、相変わらずふてぶてしい表情だった。
ビー玉のようにキラキラと光る瞳も、いつもと変わらない。
晶は七海の手からケーキの入っている紙袋を取ると、中から紙箱を取り出して、フタを開いた。
紙箱の中には、何種類かのケーキとタルトが入っていた。
どれも見た目に色とりどりでかわいらしく、美味しそうなものばかりだった。
「――わあ、かわいい! 美味しそう!」
七海は紙箱の中のケーキとタルトを見て、思わず声を上げた。
一瞬、辺りにシーンとした静けさが訪れる。
七海は「しまった」と思って、恐る恐る晶の方を見上げた。
晶のビー玉のような瞳と目が合う。
晶は七海と目が合うと、いつものようにふてぶてしい表情で、「何だよ、お前」と言った。
「お前さあ、そんなにケーキ、食べたいのかよ?」
「あっ、いえ、そんなわけでは……」
七海が慌てて首を横に振りながら言うと、晶は「仕方ねえな」という表情をしながら、ドアを大きく開けた。
「入れよ」
「えっ?」
「食べてけよ、ケーキ」
「えっ? いいんですか?!」
別にケーキがものすごく食べたいというわけではなかったけど、まあ、これはこれで晶に会えた展開になったから良かったかな、と思いながら七海は晶の部屋に足を踏み入れた。
想像していたよりも普通の部屋だな、と七海は思った。
魔法使いの部屋と言うと、七海は自分の好きな「魔法使いジョニー」シリーズのジョニーの部屋を思い浮かべてしまう。
確か、ジョニーの部屋は古くて薄暗く、壁中が本棚になっていて魔法の本がぎっしりと詰まっていて、天井からは魔法の薬の材料である乾燥したハーブがたくさんぶら下がっていて、テーブルの上には望遠鏡や地球儀やキャンドルやランプなどが所狭しと置かれていた。
七海の想像だと、魔法使いの部屋は結構ものにあふれているようなイメージだ。
でも、現実の魔法使いの部屋は意外なほどものがなく、いつものあの晶のふてぶてしい姿からは想像できないほど、スッキリと片付いていた。
部屋の中央にソファとテーブルがあり、ソファの向かいには普通にテレビが置いてある。部屋の奥の方にはクロゼットがあって、晶がいつも着ているようなフレッドペリーのジャージとかリーバイスのジーンズとかが掛かっている。
あまりにもシンプルな部屋なのに、辺り一面に漂う濃厚なバラの香りが何ともアンバランスな感じだ。
そして、クロゼットのまた奥には……。
(――キレイ!)
七海は思わず心の中で声を上げた。
クロゼットの奥には窓があり、窓の前に置かれた棚にはガラスのビンに入ったビー玉のようなものがいくつか並べられていた。
ビンの中に入ったビー玉のようなものは、太陽の光に反射してキラキラと輝いている。
あのビー玉、どこかで見たことがあるかと思ったら、前に晶に頼まれて海の近くの高級住宅街へ届けたあのビー玉と同じもののようだった。
ビー玉の飾られている横には、そこだけものにあふれたスペースがあった。
グラジオラスの花が花瓶にさしてテーブルの上に置いてあるし、良く分からないハーブや花びらの乾いたものとか散らばっていたり、妙に古い本が置いてあったり、ランプやキャンドルなどが乱雑に置かれてある。
濃厚なバラの香りは、どうやらそこから漂って来るようだった。
多分、晶はここで魔法使いの仕事の作業をするのだろう、と七海は思った。
「――お前、あんまりジロジロ見るなよ」
「あっ、すみません!」
部屋の入り口で立ち止まっていた七海は、晶にたしなめられて慌てて部屋の中に入った。
部屋に入ると、部屋の壁にオアシスのアルバムの「Definitely Maybe」のジャケット写真のポスターが貼ってある。
そして、ポスターの隅に重ねるようにして一枚の写真が貼ってあった。
(――この写真)
貼ってあった写真は、前に信彦が七海に見せてくれた、小さい頃の晶と晶の父親と母親が写っている家族写真だった。
(――堀之内さん、やっぱりこの写真持ってるんだ)
そして、壁に貼っていつも見ているんだな、と七海は思った。




