(7)
晶はそれからもしばらくは「Tanaka Books」に顔を出さなかった。
ただ、七海や信彦がホットケーキや食事を晶の部屋のドアノブに引っ掛けておくと、翌日には見事にカラになっている状態で返されているので、ちゃんと元気でいることだけは確かだった。
七海のホットケーキの紙袋には、時々魔法に使うであろう材料を買って来いというメモも入っていた。
七海はメモのグラジオラスとかハーブとかメモに書いてある通りのものを買って、ホットケーキと同じようにドアノブに引っ掛けておいた。
「――さすがに晶のヤツもさすがに顔を出しても良い頃だとは思いますが、今回は母親が亡くなった時に次いでの最長記録ですね」
そろそろ「Tanaka Books」の閉店の時間の頃、信彦が七海に向かって言った。
「ずいぶん堀之内さんの姿、見ていないですよね。ちなみにお母さんが亡くなった時はどれくらい引きこもっていたんですか?」
「一か月くらいでしょうかね? でも、あの時は最初の二週間くらいは僕が食事を持って行ってもほとんど食べなかったんですよ。僕もショックでしたが、晶もよほどショックだったんでしょう。それで、一か月経って晶が出てきた時には、晶はなぜかこのビルの中でしか魔法が使えなくなっていたんです」
「そうだったんですね……」
やっぱり晶がこのビルの中でしか魔法が使えなくなったのは、母親の死に対するショックだったのだろうか、と七海は思った。
いや、違う。
あのあかねが晶の母親だとすれば、晶の母親は生きていることになる。
そうすると、晶はどうして、このビルの中でしか魔法が使えなくなったのだろうか。
母親が生きていること、そして、晶の母親が生きていることを誰にも言わなかったことに、何か関係があるのだろうか……。
「――すみません」
店の入り口のドアが開いて、客が一人入ってきた。
右手に紙袋を下げている、上品そうな年配の女性だった。
女性を見て、七海は前にブランデーケーキをお土産にくれた、海の近くにある高級住宅街に住んでいる晶の客らしい女性のことを思い出した。
「いらっしゃいませ」
七海が笑顔で言うと、女性も上品そうな笑顔を七海に向けた。
「すみません、こちらに堀之内晶さん、住んでいらっしゃるんですよね? 今、いらっしゃるかしら?」
「あっ、はい、確かにここのビルに住んでいるんですが、今はちょっと……。あの、何かありましたでしょうか?」
七海が言うと、女性は手に下げた紙袋を七海に手渡した。
「そうしたら、これ、堀之内さんに渡してもらえますか? 近くに寄ったので、この間のお礼なんです」
七海が女性の手渡した紙袋を見てみると、「Tanaka Books」の近くにあるデパート内に入っている有名なケーキ屋の紙袋だった。
「この間のお礼、ですか?」
晶が作っている魔法のお守りとか護符とかのお礼だろうか、と七海は思った。
「ええ、4月の中旬前くらいだったかしら? 堀之内さんにいつも作ってもらっているお守りが壊れてしまって……。そうしたら、堀之内さんがわざわざ新しいのを届けてくださったんです」
「えっ?!」
七海と信彦が同時に驚いたような声を上げた。
「あのお守りがないと、私たち大変なことになってしまうから、本当に困ってしまったんですけど、堀之内さんに話したら、すぐに持って来てくれて……。確か、堀之内さん、個々の家にはいらっしゃらない方なんですよね? なのに、ムリさせてしまったので、そのお礼なんです」
4月の中旬前くらいって……。
七海は晶と初めて会った時のことを思い出した。
あの時、自分はバンのバックドアから転がり落ちてきた泥酔している晶を抱きかかえて、このビルまで運んで行った。
晶はその時「あれはビールが切れてたから買いに行ったんだよ!」と言っていたけど……。
(――あれ、ウソだったんだ)
ビールが切れて、「少しくらいなら」と近くのコンビニまで買いに行ったんじゃないんだ。
お客さんのお守りが壊れてしまったから、新しいのを届けるためにビルの外に出たんだ……。
(――本当に、あの人は本当に子どもだな)
別に素直に本当のことを話したって良いのに、と七海は思った。
本当のことを話さないのがカッコ良いとでも思っているのだろうか、それとも、本当のことを話すのが照れくさいとでも思っているのだろうか。
どっちにしても、本当にあの人は子どもだ。
「――あいつ、何で本当ことを言わなかったんだろう」
女性が帰った後、信彦が七海の受け取った紙袋を見つめながら、独り言のように呟いた。
「そう、ですよね……」
「晶は昔から、両親が生きていた頃から僕のことをずっと慕ってくれていたんです。両親が死んでもそれは変わらなかったんですけど、何というか、どこかこういうところがあるんですよね。肝心のことを話してくれないというか……」
七海は信彦が俯きながら淋しそうに話すのを見ると、思わず手に持っていた紙袋の持ち手をギュッと強く握ってしまった。
「――あの、私、これ、堀之内さんに届けてきますね。で、堀之内さんに会ってきます」
「えっ?」
信彦は顔を上げると、七海の方を見た。
「大丈夫です。ここのケーキ、ものすごく美味しいんですよ。堀之内さんもこのケーキが食べられると思ったら、絶対に出てきますから」
七海は信彦に笑顔を見せると、なるべく足取りを軽くしながら、「Tanaka Books」を出て行った。




