(8)
でも、どうして「ビルの中」でしか魔法が使えないのだろうか、と七海は思った。
それに、さっき信彦は「外に出られないんですよ」と言っていたが、魔法が使えなくたって外に出ることはできるのではないだろうか。
実際、晶と初めて会った時、晶はビルの外にいたはずだ……。
「――実は、晶は他の魔法使いに狙われてまして、魔法が使えない状態で外に出るのは危険なんです。だから、外に出られないんです」
信彦がニコニコしながら答えた。
「で、でも、私が初めて会った時、ビルの外に……」
「ああ、あれは……」
「あーっ! うるさいな。あれはビールが切れてたから買いに行ったんだよ!」
振り返った晶の声が、七海の頭の中にキーンと響いた。
「ビール、ですか?」
「そうだよ。バイトのヤツもノブさんもいなかったし、少しくらいならってそこのコンビニまで買いに行ったんだよ! そしたら、あいつらが……」
なるほど、と七海は思った。
つまり、金曜日の夜はこういうことだったのか。
ビルの中でしか魔法が使えない晶は、「少しくらいなら」とビルの外のコンビニまでビールを買いに行った。
そして、晶のことを狙っている「他の魔法使い」に捕まってしまう。
ビールを飲んで泥酔していて、尚且つ魔法の使えない晶はそのまま「他の魔法使い」の運転するバンでどこかへ連れ去られそうになった。
晶は何とかバンのバックドアから脱出したが、泥酔しているから身体が思うように動かない。
そこへ自分がやってきた、ということなのか。
やっぱり、この人は子どもだな、と七海は思った。
まさか、うっかりビールなんか買いに行って、他の魔法使いに誘拐されそうになるなんて……。
まあ、ビールを飲めるから大人と言えば大人なんだけど、やっぱり子どもだ。
七海は呆れて、思わず晶のことをまじまじと見つめた。
晶は七海の視線に気付くと、ジロリと睨み返した。
「お前、まだ何か文句あるのかよ?」
「いえ、別にないですけど……」
七海は慌てて晶から視線を逸らした。
(――やっぱり、何かいちいち突っかかる人だな)
「で、石橋さん、どうされますか? こちらで働かれますか?」
信彦に言われて、七海は自分がこの本屋へ求人に来たことを思い出した。
確かにこの本屋で働くのにはメリットがある。時給は良いし、本好きな自分にはピッタリの職場だし、接客業なら学生時代にファーストフードでアルバイトした経験があるから職歴もある。
店長の信彦も良さそうな人だ。
ただ、このふてぶてしい男と上手くやって行けるか、しかも魔法使いの仕事なんて当たり前だかやったことも聞いたこともないから、大丈夫なのかという心配はある。
「お前さあ、何迷ってんだよ。時給とか超良いし、魔法使いの仕事なんて滅多にできねーぞ」
晶にからかうように言われて、七海は思わずまた晶のことをまじまじと見つめてしまった。
この人、店の待遇よりも「自分自身」がネックになっているということに気づいていないんだな……。
「そうだ! 石橋さん、もう一つ重要なことを言い忘れていました。取りあえず、仕事は3ヶ月の短期なんですが、お仕事をちゃんと3ヶ月やってくださったら、特典があるんです」
「特典、ですか?」
信彦の言う特典ってなんだろう? と七海は思った。
本屋の仕事だから、図書カードとか有名な作家の全集でもくれるのだろうか?
それとも、晶の魔法の薬とか護符をくれるとか、なのだろうか?
「そうだよ。お前、驚くなよ! 3ヶ月ここで働いたら、魔法で願い事が一つ、何でも叶うんだぞ」
晶が得意げに言った。
(――願い事が、何でも?)
七海は目を見開いた。
七海は思わず晶の方に身体を乗り出した。
晶は七海の反応に驚いたような表情を見せた。
「何だ、お前、急に真剣な顔になって」
「あっ、いえ、すみません」
七海はイスに座り直した。
七海は自分の胸がドキドキして来るのを感じた。
願い事が一つ何でも叶うって、本当に何でも叶うと言うのだろうか?
だったら、一つだけ……。
「あっと、でも、お前、待てよ!」
晶が何かを思い付いたように大声を上げたので、七海はまた両耳を手でふさぎたくなった。
「な、何ですか?」
「願い事が何でも叶うと言っても、誰かを死なせたりとか生き返らせたりとかはナシな」
「えっ? そうなんですか?」
七海はパンクしそうなほどドキドキしていた胸が、ギュウと縮んで行くのを感じた。
「やっぱりなー。そうやって真剣な目になるヤツって、大体『誰かを消せ』とか『誰かを生き返らせろ』って言うんだよな」
「でも、何でも叶うって言いましたよね? 魔法で人を生き返らせることってできないんですか?」
「もちろん、できるさ」
晶が当たり前のような表情で言うと、七海はまた晶の方に身を乗り出した。
「じゃあ、どうして……」
「魔法で誰かを死なせたり生き返らせたりするのは禁忌なんだよ」
「禁忌……」
「そんなことしたら、俺が魔法使えなくなるんだよ。下手すると死ぬんだよ、俺が。そんなこと出来っか!」
そんな……と七海は思った。
せっかく、自分がずっと願っていたことが現実になるチャンスがやってきたと思ったのに。
七海は少しの間うつむいていろいろと考えていたが、ふと顔を上げて、再び晶に真剣な表情を向けた。
「じゃあ……、誰かを不幸にすることはできるんですか?」
「はあ? 誰かを不幸に?」
「はい、誰かを不幸にすることは出来るんですか?」
「って言うか、お前、誰か不幸にしたいヤツがいるのかよ?」
「います」
七海が真剣な表情のままキッパリと答えると、晶は珍しく真面目な顔をしながらイスから立ち上がると、七海の顔を不思議そうにのぞき込んだ。
晶のビー玉のような瞳に、七海の顔が写る。
七海は男の人の顔がこんなに近くにあるのに、後退りすることも顔を背けることもできなかった。
なぜか身体を動かすことが出来なかった。
これも、もしかして魔法の一種か何かなのだろうか、と七海は思った。




