(6)
信彦が晶にあかねのことを問いただしてからしばらくの間、晶は「Tanaka Books」に顔を見せなかった。
「晶は気まずいことやショックなことがあると、部屋に閉じこもってしまうことがあるんですが、今回はなかなか長いですね。母親が亡くなった時も、しばらく部屋から出て来なかったんですよ」
七海が信彦に晶のことを訊くと、信彦はため息をつきながらこう言っていた。
本当にあの人は子どもだな、と七海は思った。
ショックなことがあったならまだしも、気まずいことがあると部屋に閉じこもるなんて、親に怒られた後に拗ねて押し入れなどに閉じこもってしまう子どもと同じではないか。
「でも、堀之内さん、食事とかってどうしているんですか?」
七海は心配になって思わず訊いてみた。
部屋に閉じこもるなんて、思わず自分の姉の六華を思い出してしまった。
まさか、晶に限ってそんなことはないだろうけど、このまま部屋に閉じこもったまま出て来なかったらどうしよう、何も食べなくなったりしてしまったらどうしようと考えてしまう。
「ああ、それは大丈夫ですよ。夜に晶の部屋のドアノブに僕が作った食事をぶら下げておくと、翌朝にはちゃんと容器がカラになった状態でぶら下がってますから。その辺、あいつはゲンキンなんですよ」
信彦が何でもないように言った。
気まずい相手の作った食事を平気で平らげてしまう晶と、肝心なことを言わない相手に甲斐甲斐しく食事を作ってあげる信彦。
この二人の関係性は本当に不思議だな、と七海は思った。
「じゃあ、私も今日帰る時にホットケーキを焼いて、ドアノブにぶら下げておきます。堀之内さん、しばらくホットケーキ食べてないでしょうし」
七海が言うと、信彦はニッコリと笑みを浮かべた。
「七海さんは優しいですね、ありがとうございます。晶も喜びますよ」
「いえ、あの……。別に深い意味はないんですけど……」
七海は誤魔化すように慌てて手元の本を本棚に並べ始めた。
(――ただ、お姉ちゃんみたいになったらどうしようかと思っただけで、別に堀之内さんのことを本気で心配しているわけじゃないんだから)
七海は本棚に本を入れながら、心の中で呟いた。
晶だって、自分がホットケーキを持って行かなくたって、信彦の作った食事だけで十分食い繋いで行けるだろう。
もちろん、「Tanaka Books」にいる自分に会わなくたって、晶はいつものふてぶてしい表情をしながら平気で暮らしているのだろう。
でも、やっぱり晶がしばらく「Tanaka Books」に来ないことが心配だし、少し淋しいなと思ってしまったのも事実だった。
姉の六華が食べてくれることを期待して、毎日必死になって作っていたホットケーキ。
結局、六華は七海が最初に作ったホットケーキをほんの少し食べて、その後は一回も口にすることはなかった。
そんな六華が食べてくれなかったホットケーキを、本当に美味しそうにほんの少しすら残さずに食べてくれる晶。
六華のために上げたホットケーキの腕とは言え、もう二度と六華がホットケーキを食べてくれないとはわかっていても、それでも晶が自分のホットケーキを美味しそうに食べてくれるのは嬉しかった。
本当に嬉しかったのだ。
七海はその日、仕事が終わった後に給湯室でホットケーキをたくさん焼いた。
給湯室にあるタッパー全てにホットケーキを詰め込んで紙袋に入れると、3階の奥にある晶の部屋のドアノブに引っ掛けた。
(――堀之内さん、ホットケーキに気付くかな?)
七海が「じゃあ、帰ろうか」と廊下を歩き始めると、後ろで「ガチャ!」とドアの空く音が聞こえた。
七海が音に反応して思わず後ろを振り返ると、開いたドアが「ガチャ!」と閉まるところだった。
ドアノブに引っ掛けておいた、ホットケーキの入った紙袋がなくなっている。
七海は(何という早業……)と呆れた気持ちにもなったが、何も引っかかっていないドアノブを見て少し微笑むと、エレベーターに乗って階下へ降りた。
翌日、七海が晶の部屋のドアの前へ行ってみると、すっかりカラになったタッパーが入っている紙袋が、ドアノブに引っかかっていた。




