(5)
七海は「Tanaka Books」で本の整理などをしながら、チラリチラリと晶と信彦が話をしているであろう本を自由に読めるスペースの方を見た。
本を読めるスペースと店の間の扉は珍しく閉まっていて、二人がどんな会話をしているのかは聞こえなかった。
今、「Tanaka Books」内には客はいない。
七海が本を自由に読めるスペースに戻って、晶と信彦がどんな会話をしているのか聞きに行くこともできないことはないが、やっぱり止めておいた方がいいな、と七海は首を横に振った。
しばらくすると、「ガチャ!」と本を自由に読めるスペースの扉が開いて、晶が「ガツガツ」と大きな足音をさせながら店に入ってきた。
「あっ、堀之内さん……」
七海は入ってきた晶に声を掛けたが、晶があまりにも不機嫌で拗ねたような表情をしていたので、後に続く言葉が出て来なかった。
晶は七海の方をチラリと見たが、そのまま視線を逸らすと、不機嫌な表情のまま店を出て行った。
「――いやあ、参りましたよ」
晶が店を出て行ったあと、信彦が如何にも「困った」というような表情をしながら店に戻ってきた。
「どっ、どうだったんですか?」
七海が訊くと、信彦はため息をついた。
「どうもこうも……。七海さんが教えてくれたということは伏せて、晶にそのあかねさんのことを話しました。僕の同級生がワイナリーで晶の母親の愛美さんに似ている人を見たって。
晶は途端に不機嫌になりましたよ。最初は『ただ、似てるヤツじゃねーのか?』と言っていたんですが、左手の甲のやけどの痕まで一緒だと言ったら、ますます不機嫌になって、『そんなの、知らねーよ』と繰り返すだけで……。僕がしつこく訊いたら、いきなり立ちあがって出て行ってしまいました」
これではまるで、いたずらを咎められている子どもと同じだな、と七海も心の中でため息をついた。
「そうすると、堀之内さんはそのあかねさんがお母さんかどうかって言うことは、何も言わなかったんですね」
「そうですね。でも、あいつがあんなに不機嫌になるなんて、あれは『Yes』と言っているようなものですよ。長く付き合っている僕にはわかります」
「じゃあ、やっぱり……」
「そうですね、あのあかねさんは晶の母親の愛美さんに間違いないのではないかと思います。でも、どうしてそのことを晶があんなにも隠すのか、そればかりはまったくわかりません。そして、どうして僕に愛美さんが生きていることを黙っていたのかも……」
信彦は少し淋しそうな表情を見せた。
確か、信彦は独身だと言ってたな、と七海は思い出した。
連れ合いや子どものいない信彦にとって、友達の子どもの晶は自分の本当の子どものような存在なのかもしれない。
晶だって、両親は二人とも亡くなってしまっているし、親戚は自分と敵対しているから、信彦のことを自分の父親や肉親のように思っているのかもしれない。
そんな信彦に、母親が生きていたことを言わないなんて、晶にはよっぽどの事情があるのだろう。
そして、そんな本当の子どものように手間暇かけて世話している晶に「友だちでもある母親」が生きていることを教えてもらえなかった信彦は、よっぽどショックを受けているのではないかと七海は思った。
「これから、どうしましょうか?」
七海が訊くと、信彦は再び「困った」というような表情を見せた。
「とりあえず、ほとぼりが冷めるのを待ちますか。晶の機嫌が治ったらまた話をしたいとも思います。でも、同じ繰り返しになるような気もしますが……」
「そうですね。あかねさんも堀之内さんと会いたがっていたので、その話もしないといけないですし……」
「あかねさんが晶に会いたがっているというのは、取りあえず言わないでおきました。晶が何とか観念して本当のことを話したら、話しましょう。晶だって、母親に会いたいはずですけど、最初から話すと話が混乱しそうですから」
「そうですよね……」
晶はこのビルの中から出られないから、ワイナリーで働いているあかねには会えないはずだ。
あかねだって記憶がないから、晶に会いにこのビルに来るということもなかっただろう。
と言うことは、晶は母親が生きていることは知っていたとしても、母親には会っていないということになる。
一体、これはどういうことなのだろうか、と七海は心の中で首を傾げた。




