(8)
『――ああ、あなたはさっき店にいた』
『この本屋さんの方、ですよね?』
『はい、ここの店長をしています、鈴木と言います』
『僕は金子樹と言います。この先のD銀行に勤めているものです』
何やらゴソゴソという音が聞こえてきた。
多分、金子が名刺か何かを信彦に手渡したのだろう。
『口座か何かのことでしょうか?』
七海はこの「Tanaka Books」が主に地元のトップクラスであるD銀行、つまり金子の勤めている銀行を使っていることを思い出した。
『いえ、違います。こちらで働いている石橋七海さんのことなんです』
『ああ、七海さんのお知り合いか何かでしょうか?』
『実は僕、その七海さんのお姉さんの六華さんと友だちだったんですが……』
「友だちって……。この人、何言ってんの?」
七海は思わず声を漏らした。
「はあ? お前、どうしたんだよ?」
「友だちって……。違うんです、この人、お姉ちゃんの彼氏だったんです」
「彼氏?」
『そうなんですね』
『はい、僕が県外に出張している間に六華さんが病気で亡くなって……。先日、出張の期間が終わって帰って来たので、落ち着いたらお墓参りにでも行こうと思っていたんです。でも、昨日、こちらで六華さんの妹さんの七海さんを偶然見かけたので声を掛けたのですが、お引き取り下さい、お悔みは良いです、と言われてしまいました。
良く分からないのですが、七海さんがすごく怒っていたみたいで、どうしたのかと思いまして……。こちらのお店の方なら何か知っているかと思って、声を掛けさせて頂きました』
『――僕は七海さんにお姉さんがいたことも、病気でお亡くなりになったことも知りません。なので、七海さんがどうしてあなたに怒っているのかもわかりません。
ただ、七海さんがお引き取り下さいと言っているのであれば、今日のところはお引き取り頂いてもよろしいでしょうか? 事情はわかりませんが、七海さんにも色々とあるのでしょうから』
信彦が優しいがキッパリとした口調で言うと、少しの間、沈黙が続いた。
『――わかりました。でも、本当に事情が』
七海はそこまで信彦と金子の会話を聞くと、大きな音を立ててイスから立ち上がった。
本当に、あの人はどこまでのん気に「事情が分からない」などと言っているのだろうか。
七海は晶の言う通り、ちゃんとラジオのスピーカーから聞こえている信彦と金子の会話を聞いていようと思ったが、もう居ても立っても居られなくなった。
「どうしたんだよ? お前」
晶が突然立ち上がった七海を見上げた。
「――やっぱり、ガマンできない」
七海は怒りで身体中を震わせながら言った。
自分の殺気立った様子に、晶が珍しく驚いた表情をしているのがわかったが、七海には晶のことを気にしている余裕はなかった。
立ち上がった七海は、真っすぐにさっき信彦と金子がいたビルの廊下まで走って行った。
でも、行ってみると廊下には誰もいなかった。
(――そうだ、あの会話、時間が少し遅れて聞こえてたんだった)
あの後、金子は信彦の言葉通りその場を引き取り、信彦もどこかへ行ってしまったのだろう。
(――あの人、まだこの近くにいるはずだ)
七海はそのまま走ってビルの外へと飛び出して行った。




