(7)
「――ああ、あなたはさっき店にいた」
信彦の声だ。
この窓の向こうは本屋の隣の、ビルの入り口に続く廊下に繋がっている。信彦はビルの廊下で誰かに声を掛けられたようだった。
「この本屋さんの方、ですよね?」
七海は次に聞こえてきた声に、胸をドキッとさせた。
さっき店に来た、あの青年だ。
あの二人、これから何を話そうとしているのだろうか。
七海はそのまま廊下に出て行って、「お引き取り下さい」とまた青年に言おうとも思った。
でも、七海の心にあの青年がこれから信彦にどんなことを話すのか知りたいという気持ちもある。
七海は窓に耳を張り付けてもっとよく二人の会話を聞こうとしたが、自分の胸の鼓動が邪魔をして声がよく聞こえない。
「――お前、さあ」
窓に耳を張り付けて信彦と青年の会話を必死に聞き取ろうとしていた七海の反対の耳の方に、違う声が飛び込んできた。
七海が違う声がした方を振り返ると、いつの間にか晶が自分のすぐそばに立っていた。
あまりにも七海と晶の顔の距離が近いので、晶のビー玉のような瞳の中に七海の顔が写っている。
「――」
驚いた七海は、思わず声にならないような声を上げて、慌てて晶から離れた。
晶はいつの間にこんなにも自分の近くに来ていたのだろうか。
「お前さあ、あの二人の話、聞きたいのかよ?」
晶が信彦と青年の声が聞こえてくる窓を指さした。
「――あっ、はい」
七海が小声で頷くと、晶は「面倒だな」というような表情で七海にさっきまでいた本を自由に読めるスペースに行くように手招きした。
七海は「?」と言った表情のまま大人しく晶の後に付いて行った。
本を自由に読めるスペースへ行くと、晶は部屋の隅にあった小さなラジオを持って来て、テーブルの上に置いた。
そして、晶がラジオの上に手をかざすと、突然「ギュン」と言う機械的な音がラジオのスピーカーから聞こえてきた。
七海は思わず耳を手で覆った。
少しして、七海が耳を塞いでいた手をソッと離すと、ラジオのスピーカーからは聞き覚えのある信彦の声が聞こえてきた。
『――ああ、あなたはさっき店にいた』
『この本屋さんの方、ですよね?』
信彦の声に続いて聞こえてきたのは、あの青年の声だ。
七海はまた胸をドキッとさせた。
「――あの、これって、録音か何かしたんですか?」
七海がラジオのスピーカーを指さしながら、晶の方を向いた。
「お前さあ、俺を誰だと思ってんだよ?」
振り返ると、晶はいつの間に持ってきたのか、さっき七海が廊下の戸棚の上におきざりにしてしまったホットケーキにがっついている。
ああ、そうだった。この人、魔法使いだった、と七海は思い出した。
晶が魔法で、ラジオのスピーカー越しに信彦と青年の会話を聞かせてくれているらしい。
しかも、ご丁寧にさっき途中まで聞いた会話の続きから流れている。
「あっ、ありがとうございます」
「礼なんて良いよ。それより、せっかくやってやってんだから、ちゃんと聞けよ」
「はい」
七海は近くのイスに座ると、ラジオのスピーカーから流れてくる信彦と青年の会話にジッと耳を澄ました。




