(6)
七海は後ろを振り返った。
晶のビー玉のような瞳と目が合った七海は、どうすれば良いのか戸惑った。
心なしか、晶も普段のふてぶてしい態度が和らいでいるような気がする。
いつもの自分らしくないな……と七海は思った。いつもなら晶が自分の後ろに立っていれば「また、ホットケーキですか?!」とか言うのだろうけど、今日はホットケーキのことを言うだけの気力がない。
晶の方もいつものふてぶてしい口調で「ホットケーキ作れよ」とか言ってくれれば良いものの、いつもとは違う妙に神妙な表情をして黙っているだけだ。
「――あの、さっきはありがとうございました」
七海は、そう言えばさっき晶が青年に「引き取ったら?」と言ってくれたことにお礼を言ってなかった、と思い出して慌てて頭を下げた。
「ありがとうって、何の話?」
晶はスッといつものふてぶてしい表情になると、ふてぶてしい口調で言った。
「さっきのあの男の人のことです。『引き取ったら?』って言ってくれたじゃないですか」
晶がいつものふてぶてしさを出してきたので、七海もいつもの自分の口調みたいな感じで返すことが出来た。
「あれか? 別に礼なんていらねーよ。でも、あいつ結構しつこかったよなー」
「すみません、あの人、実は……」
七海は言いかけて、次の言葉を飲み込んだ。
あの人が「Tanaka Books」に来て、「六華」と姉の名前を言って、自分が「お引き取りください」と言った一連の流れを、晶は見ている。
あの人にはあんなに如何にもイヤそうな態度を取ってしまったし、やっぱり晶には事情を話した方がいいんじゃないかと七海は思ったが、どう説明すれば良いのか、なかなか良い言葉が見つからない。
「昔、いろいろとあったヤツが来たってことだろ? 説明なんていらねーよ。お前の話なんて、聞いてもつまらなそうだし」
晶はいかにも「面倒だな」というようなふてぶてしい表情で七海から顔を背けた。
七海は晶のいつものふてぶてしい表情を見て、ずっと緊張してこわばっていた自分の表情がほころぶのを感じた。
ただ単に自分の話を聞く興味がないだけなのかもしれないが、晶が「説明なんていらねーよ」と言ってくれることは、今の七海にとっては非常にありがたい。
「――ありがとうございます」
七海は思わずほころんだ表情のまま礼を言った。
「はあ? お前、何でまた礼なんて言ってるんだよ? しかも、いきなり笑ってるし」
「あっ、すみません」
七海はますます笑顔になり、晶はますますふてぶてしい表情になった。
「それよりも、お前さあ、ホットケーキ作れよ。今日、いつもの倍作ってほしいんだけど」
晶が七海から視線を逸らしたまま言った。
「倍ですか?」
「そう! 夜、仕事する予定だから、途中で食うんだよ」
「わかりました、焼いてきます」
七海はいつも通りの表情でホットケーキを作りに給湯室へ歩いて行った。
七海は給湯室でホットケーキをいつもの倍焼き終えると、一つは皿の上に、一つは適当な大きさに切り分けてタッパーに詰めた。
この給湯室にはタッパーまで用意してあるのだ。多分、信彦が晶のために食事を作り、晶の部屋に食事を持たせるためにタッパーがあるのだろう。
(――堀之内さん、ノブさんがいなくなったらどうなるんだろう?)
七海は皿の上のホットケーキにメープルシロップを掛けながら、思わず考えてしまった。
七海がトレイに出来上がったホットケーキを乗せて、晶が待っているであろう本を自由に読めるスペースへの廊下を歩いていると、途中でふと声が聞こえてきた。
七海はトレイを近くの戸棚の上に置くと、会話が聞こえてきた窓の方にソッと近付いて、思わず聞き耳を立てた。




