(4)
七海は入ってきた男を見て「あっ!」と小さく声を上げると、思わずイスから立ち上がった。
店の奥のドアから入ってきたのは、金曜日に七海が抱きかかえてビルまで運んでやった、あのふてぶてしい男だった。
明るい店内の中で見ると、男のキレイな顔立ちがよりハッキリと手に取るようにわかる。
あのビー玉のような瞳も、店の窓から差し込む太陽の光に反射して、キラキラと輝いていた。
「――あの時の」
七海が小声で言うと、男は「はあ?」と言うような表情をした。
「お前、あの時の……」
七海が戸惑っていると、さっき男が入ってきた店の奥のドアから、今度は信彦が入ってきた。
「――何だ、晶、このお嬢さんと知り合いだったのか?」
「そんなんじゃねーよ。ほら、金曜日に俺が……」
「ああ、お前がビルの外に出た日だな。――もしかして、このお嬢さんが助けてくれたのか?」
「――」
晶と呼ばれた男は、ムスッとした表情で小さく頷いた。
信彦は七海に近付くと、「あの時、晶を助けてくれてありがとうございました」と笑顔で言った。
「――すみません、あの」
七海はますます戸惑った表情をした。「あの……、ちょっと話がよく飲み込めないのですが……」
七海は今までのことを整理するために「自分はこの本屋さんに何をしに来たんだっけ?」と考えた。
確か、朝通勤したら会社が倒産していて、落ち込みながら道を歩いていたら、ここの本屋の「短期スタッフ募集」のポスターを見つけた。次の仕事が見つかるまで、ここで短期バイトすれば良い、と思ってこの本屋に来たんだ。
そう、自分はこの本屋で働きたいと思って来たんだ。
なのに、金曜日に出会ったふてぶてしい男が突然出て来るし、本屋の店長もいきなりお礼を言って来るし、何がどうなっているのか……。
「おっと! 確かにそうですね。まあ、詳しい話はこれから話します。とりあえず、立ち話も何ですから、ここで僕と晶と三人で話しますか? 今、イス持って来ますから」
「ここって、でも、お客さんが……」
七海は思わず心配になって言った。
自分とこのふてぶてしい男と信彦の三人がこんなレジの近くでイスに座って話し込んだりしたら、他の客の迷惑にならないだろうか。
「――客って、何の話?」
晶が「面倒だな」とでも言いたそうな口調で言った。
「客って、だってお客さんが……」
七海はさっきまで雑誌のコーナーに立っていた主婦らしい女性を指さそうとした。
(――あれ? いない?)
雑誌コーナーに顔を向けた七海は、さっきまで確かに雑誌を立ち読みしていた主婦が突然いなくなっていることに気付いた。
(――でも、確かにさっきまであそこにいたのに!)
店内をキョロキョロと見渡してみると、他にもいた客が忽然といなくなっている。
店の中にいるのは、七海と信彦と晶だけだ。
「――晶、お客さん、どこに行ったんだ?」
パイプ椅子を二つ抱えて持ってきた信彦が訊くと、晶は何でもないような表情で答えた。
「どこにも行ってねーよ。客にはノブさんがレジにいるように見えるだけだよ」
「異次元ってヤツか?」
「ちょっと違うけど、まあ、そんなもんかもな」
「――と言うことなので、お客さんのことは心配しなくても大丈夫ですよ」
信彦は七海に満面の笑みを向けた。「じゃあ、早速、話しましょうか? 立ち話も何ですから、どうぞ座ってください」
――一体、この人たちは何なのだろうか。
七海は思わず、くるりと後ろを振り返ってそのまま店から出て行こうかと思った。
(――ちょっと気にはなるけど)
ファンタジー小説が好きな七海にとって、異次元とか急に客がどこかへ行ってしまうとか、そういう「不思議系の話」は何とも興味深いところではある。
でも、小説の中と現実では、話が違う。
七海が立ったままいろいろと考えていると、急に身体が「フワリ」と動いて、自分の意思とは関係なく、さっきまで腰を下ろしていたイスに倒れ込むように座ってしまった。
トスンとイスに座ると、七海は自分の身体が再び自由になるのを感じた。
(――えっ? 何?)
今、イスに座ろうと思っていないのに、何かよくわからない力が自分に加わってイスに座らせたような気がする。
「――ノブさんが座れって言ってるだろ?」
晶がまた面倒だとでも言いたそうな口調で言った。
七海は晶のビー玉のように輝く瞳を見つめながら、(この人って、もしかして……)と思った。
(この人って、もしかして、『普通の人』じゃないの?!)




