(6)
信彦に頼まれた買い物を済ませると、七海はまた足早に「Tanaka Books」へと戻って来た。
七海が紙袋と抱えて「Tanaka Books」のドアを潜ろうとすると、店の前に男が一人ウロウロしているのに気付いた。
(――あの人、さっきぶつかった人?)
七海は男が履いている真っ白いコンバースのスニーカーを見て、店の前でウロウロしている男が買い物へ行く途中にぶつかった男だということを思い出した。
男は店の前を行ったり来たりしているが、店に入ろうとはしない。
一体、あの人、何をしているんだろうか、と七海は首を傾げた。
もしかして、「Tanaka Books」に用事があるのだろうか。
「あの……」
七海は男に話しかけてみた。
男がゆっくりと七海の方を振り返る。
「――」
七海が男の目と合った瞬間、男の黒縁の眼鏡の奥の瞳が一瞬ギラリとした光を放ったような気がした。
七海は「あれっ?」と思ったが、次の瞬間にはその「ギラリ」とした光は消えてなくなっていた。
「もしかして、この田中書店に何か? 私、この本屋のスタッフなんですが」
「ここのスタッフ?」
男は七海のことをジッと見つめた。
七海は男の視線に何か寒気のようなものを感じた。別に男の視線に異性特有のいやらしさとかそういうものを感じたわけではない。
何というか、やけに刺すような視線だな、と思った。
「はい、スタッフですが……?」
「いや、何でもないです。失礼します」
男は七海から視線を逸らすと、その場を離れていった。
「えっ? あの……」
あんなに店の前をウロウロしていたのに、さすがに「何でもない」のは違うだろう。七海は男を引き留めようとしたが、男は人ごみに紛れてどこかへと行ってしまった。
(――何? あの人)
七海は首を傾げながら、「Tanaka Books」のドアを潜った。
「――七海さん、お帰りなさい。買い物、ありがとうございました」
レジにいた信彦は礼を言うと、七海から紙袋を受け取った。
「ノブさん、あの……」
「どうかしましたか?」
「さっき、お店の前で男の人がウロウロしていたんです。店に用事があるのかな? と思って声を掛けたんですけど、どこかへ行ってしまって……。何だか、ちょっと気になったんですけど」
七海はさっきの男の眼鏡の奥のギラリとした光を思い出しながら言った。
「男の人ですか? 僕は今日、特に人に会う予定とかはないんですけどね。知り合いか何かかな? どんな感じの人でしたか?」
「30過ぎくらいで、黒縁の眼鏡をかけてました。私が声を掛けたら、どこかへ行ってしまったんですけど……」
七海が信彦にさっきの男の特徴を説明していると、まるで七海の話に割り込むように、遠くの方から「ガツガツ」と大きな足音が聞こえてきた。
晶だ、と七海は思った。
でも、あの「ガツガツ」という足音、いつもよりもずい分早足なような気がする。
店の奥のドアが「バンッ」と大きな音を立てて開く。
ドアから入ってきたのは、やっぱり晶だった。
でも、いつもと様子が違う。どうして晶はあんなに慌てたような表情をしているのだろうか、と七海は思った。
そして、どうして手にグラジオラスの花を持っているのだろうか。




