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ビルの中の魔法使い  作者: 木原式部
2. Songbird(ソングバード)
22/105

(13)

 七海が百貨店のビニール袋や花を持って「Tanaka Books」に戻ると、葉月の方はまだ戻っていないらしく、ペットボトルも「魔法使いジョニー」の新刊本もそのままだった。


 代わりに晶が本を自由に読めるスペースの片隅で、ぼんやりとした表情で座っている。


 七海が店の奥の給湯室でホットケーキを作って晶の鼻先に皿を突きつけると、ぼんやりとしていた晶の表情が一転した。

 ビー玉のような瞳も輝きを増す。

 もしかして、そんなに瞳が輝くほどお腹が空いていたのだろうかと七海は思った。

「サンキュー」

 晶はそう言うと、ホットケーキの皿と七海が百貨店から買って来た魔法の材料らしいものが入って居るビニール袋を持って、席を立った。

「ここで食べないんですか?」

「すぐにやらねーといけないことがあるんだよ。俺、忙しいんだ」

 得意げに言う晶に向かって、そんなに忙しそうにも見えないけど……と七海は思ったが、口に出しては言わなかった。

「皿、ちゃんと返してくださいね」

「わかった、わかった」


 晶が本を自由に読めるスペースを出て行くと、入れ違いのように葉月が戻って来た。


 葉月の表情かおは相変わらず暗い。


 何だか、店を出て行くときよりも暗いような表情かおをしているな、と七海は思ったが、晶の時と同じように口に出しては言わず、ただ、「お帰りなさい」とだけ笑顔で言った。

 葉月は七海の方に少し笑みを返すと、軽く会釈をして、店の奥の本が自由に読めるスペースへと戻って行った。

 葉月の表情が気になった七海は、店の仕事をしながらチラリチラリと葉月の方を見た。

 葉月はいつもならノートパソコンを開いて何やら文字を打ったりしているが、ノートパソコンをカバンにしまったまま、さっき買った「魔法使いジョニー」シリーズの新刊を読んでいる。

 いつもならノートパソコンは開いた状態で本を読んだり紙に文字を書いたりしているのに……と七海は気になった。


 葉月はノートパソコンを開かないまま、閉店近くまで本を読んだまま過ごした。


 葉月は閉店の10分前になると、ずっと座っていたイスから立ち上がろうとしたが、信彦が声を掛けた。

「葉月さん、帰りますか? もしなら座って待っててください。今日、また駅前へ行く用事があるので、送りますよ」

「良いんですか?」

 葉月がいつもよりも申し訳なさそうな表情で訊いた。

「もちろんです」

 信彦が笑顔で答えると、遠くの方から「ガツガツ」という足音が聞こえてきた。

 ドアが開くとさっきホットケーキが乗っていた皿を持った晶が入ってきた。

「何だ、お前、また来てたんだ? ホットケーキ、一緒に食ってくか?」

 晶が七海に皿を放り投げるように渡しながら言った

「えっ? また食べるんですか」

 葉月が答えるよりも早く七海が驚いた声を上げた。

「お腹空いてさあ、仕事すると超お腹減るんだよな」

「別に作っても良いですけど、堀之内さんって、いつもホットケーキしか食べてないじゃないですか? ちゃんと他の食べ物とか食べてるんですか?」

 七海は前に晶が「俺、自分の作ったもの食べると、絶対に吐いちまうんだよ」と言っていたことを思い出した。

 別にその発言がなくても、晶の言動からして「自炊する」という発想はなさそうだし、ちゃんと栄養のバランスとか考えて食べ物を摂取しているのだろうか、と七海はふと疑問に思った。


「他のって……。この間、ブランデーケーキ食ったけど」

「えっ? じゃあ、最近はホットケーキとあのブランデーケーキしか食べてないんですか?」

「別にいいじゃん、好きなものを好きな時に食べれば。――お前も食う?」

 晶がもう一度、葉月に訊いた。

「いえ、僕は……。お店も閉店なので帰ります。ありがとうございます」

「そう。――じゃあ、お前、一人分焼いて来いよ、ホットケーキ」

「わかりました!」

 七海が給湯室へ行こうとすると、「あの……」と葉月が七海を引き留めた。


「石橋さん、いろいろとありがとうございました。後、ホットケーキも本当に美味しかったです」

 葉月は言いながら、頭を下げた。

「あっ、いえ……。こちらこそありがとうございます」

 七海は葉月の言動に「あれっ?」と思った。

 葉月はどうしていきなり、こんな他人行儀にも思えるくらい丁寧にお礼を言ったのだろうか。

「堀之内さんも、いろいろとありがとうございました。堀之内さんの話、面白かったです」

「――」

 あいさつされた晶は、ただ葉月のことを晶らしくない神妙な表情かおで見ていた。

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