(10)
「――お前、また何をボーッとしてんだよ?」
ホットケーキで口をモゴモゴとさせながら、晶が言った。
「いえ、別に……。ただ、その」
「ただ、その?」
「葉月さんがノートパソコンをカバンにしまう時、カバンの底にあった本が見えたんですよ。『魔法使いジョニー』シリーズの本で、葉月さんが読むのは意外だな、と思って」
「『何とかジョニー』って、お前が俺とノブさんに見せた、あの本?」
魔法使いなのに、どうして「魔法使いジョニー」の「魔法使い」の部分を敢えて忘れてしまうのだろうか、と七海は突っ込みを入れたくなったが止めた。
「はい。あの本、ライトノベルのファンタジー小説だから、純文学の賞を獲った『ソングバード』書いた葉月さんが読むのは意外だなって思って」
「別にいいじゃん、そんなの。誰が何の本を読もうたって」
「確かにそうですけど……」
「それにお前、あんまりあいつの前で小説書く話とか言うなよ。俺、前にも言ったじゃん。『書けないんだったら、ムリに書かなくてもいいんじゃね?』って」
「確かにそうですけど……」
七海はさっき「確かにそうですけど……」と言って口をつぐんだが、今度は口をつぐむことができなかった。「でも、このまま葉月さんが小説を書かないままだと良くないと思います。せっかく才能があってデビューしたのに、このまま筆が進まないまま小説を書かなくなったら、世間から忘れられて……」
「世間から忘れられたっていいじゃん。別に小説書くだけが人生じゃないし。それよりも自分ができないことをムリにやる方がイヤじゃねーのかよ」
「でも、葉月さん、このまま世間から忘れられて、ずっと暗い表情のままでいたら、どうなるんですか? もしかすると……」
「もしかすると?」
七海は晶のビー玉のような目で問いかけられて、また口をつぐんでしまった。
晶はどうしてこんなに葉月のことを擁護するんだろうか、と七海は思った。
さっき、葉月と話が盛り上がっていたし、擁護する程、晶は葉月のことを気に入っているのか、それとも自分と同じように葉月のことを気にしているのだろうか。
晶が葉月のことを擁護する気持ちもわからなくもないが、世間から忘れ去られてしまった先に、もしかすると最悪の事態が待っているかもしれないなんて晶にはわからないんだろうな、と七海はまた「ムッ」とした気持ちになった。
そう、晶にはわからないんだ。
ただ、わからないからって、わからないのは仕方のないことだ。晶は自分と同じような経験をしたことがないんだし。
自分だって、晶がビルの中からずっと出られない状態で、一体どういう気持ちで生きているかなんてわからないし……。
自分だったら、ビルの中からずっと出られないのは「不便」とか「不幸」と思ってしまうかもしれないが、ビールを買うためにうっかりビルの外に出てしまう晶は、特に何も気にしていないのかもしれない。
「――良いです、すみませんでした。お皿、片づけますね」
七海は言うと、晶が食べ終えたホットケーキの皿を取り上げて、部屋を出て行った。
晶が後ろから何か言っている声が聞こえたが、七海は返答せずにそのまま皿を持って給湯室へ引っ込んで行った。
翌日、葉月はお昼前に、「Tanaka Books」に現れた。
葉月はレジにいた七海に「昨日はホットケーキ、ごちそうさまでした」と笑顔で言うと、次に表情を曇らせて「今日もあそこ使わせてもらいます」と言って、奥の本を自由に読めるスペースの部屋へと消えて行った。
やっぱり、晶の言った通り、葉月は小説を書くことを言われるのがイヤなのだろうか、と七海は葉月の後ろ姿を見ながら思った。
七海が葉月のことを考えていると、しばらくして葉月が奥の部屋から本屋の方へとやって来た。
「――すみません、これお願いします」
葉月はレジの脇に平積みになっている「魔法使いジョニー」シリーズの最新刊を取り上げると、レジの七海に手渡した。
「ありがとうございます。――あの、もしかして『魔法使いジョニー』シリーズ、好きなんですか?」
七海は昨日、葉月のカバンの中に「魔法使いジョニー」シリーズの本が入っていたことを思い出した。
「はい、このシリーズ大好きで……」
「私もこのシリーズのファンなんです! もうこの最新刊読んだんですけど、すごく面白かったですよ」
七海はやっぱり葉月も「魔法使いジョニー」シリーズが好きだったのか、とさっきまでいろいろと考えていたことを忘れて、思わず饒舌になってしまった。
「本当ですか? 読むの楽しみだな。ジョニーと王女の関係がどうなるかすごく気になって……。まだシリーズ続くみたいだから、進展してないんだろうけど」
「私もすごく気になります! でも、ジョニーが放浪癖あるから、王女と結婚して王室に入るのは難しいんですよね、きっと」
「そうですよね。後、王女も自分が年上のこと、気にし過ぎですよね」
「王女って200歳でしたっけ? でも、あのシリーズだと王室の人は一般人より10倍寿命が長いから、本当は二十歳そこそこなんですけどね」
「ジョニーも王女と結婚して王室に入れば、10倍寿命が延びるから、気にすることなんてないのに」
「そうそう!」
七海と葉月はひとしきり「魔法使いジョニー」の話題で盛り上がった。
葉月は七海の思った通り、七海の好きな「魔法使いジョニー」シリーズのファンだった。他にも読んでいる本を訊いてみると、七海と同じようなファンタジー小説や俗に言う「異世界転生」などのハイファンタジーを好んで読んでいるようだった。
七海はハイファンタジーの小説を語る時の葉月の生き生きとした表情を見て良かったと思う反面、やっぱり「意外だな」と思った。
あの「ソングバード」はファンタジー要素がまったくない純文学だ。これだけファンタジー小説が好きなのであれば、普通は「自分もファンタジー小説を書きたい」と思うのではないだろうか。
七海は特に小説を書こうとしたこともないが、もしも自分が小説を書くのであれば、やっぱり大好きな「魔法使いジョニー」シリーズみたいな、魔法使いが出てくるファンタジー小説を書くのではないかと思って、心の中で首を傾げた。