(8)
七海はその日、葉月の書いた「ソングバード」の本を購入して、家に帰って早速読んでみた。
あらすじが「若い男女の切ないひと夏の恋の思い出を描いた話」ということだけは知っていたが、読んでみるとまた印象が違う。
七海はベッドの中で横になりながら、夢中になって「ソングバード」のページをめくった。
確かに普段七海が読んでいるファンタジー系の小説とは分野が違う。
こういう本が俗に言う「純文学系」ということになるのだろうか。
でも、普段読んでいるものと分野が違うとは言っても、この「ソングバード」が素晴らしい小説だと言うことは良く分かる。
七海は本を読み終わると、良い本に出会った時に胸の奥で感じる幸福感に浸りながら、やっぱり葉月にはもっと小説を書いてもらいたいな、と改めて思った。
翌日、七海は葉月が来たらすぐに「ソングバード」の感想を言おうと思いながら、「Tanaka Books」に出勤した。
葉月に感想を言う前に、信彦に「ソングバード」の感想を言ってみると、信彦は「そうですよね」と笑顔で七海に同調してくれた。
「あの『ソングバード』は名作ですよ。僕も読んだときは感動しました。だから、この店でトークショーをやらないかって葉月さんに持ちかけたんです」
信彦も「ソングバード」を気に入っていたんだ、と七海は嬉しくなった。
「葉月さん、あの『ソングバード』と他に短編を一編しか書いていないんですよね? その短編って書籍化されてるんですか? 他のも読んでみたいです」
「書籍化されてませんが、その短編が掲載された時の文芸誌は持ってますよ。もしなら、七海さんに貸しましょうか?」
「ありがとうございます!」
七海は葉月が来るのを待っていたが、その日、葉月はなかなか現れなかった。
夕方になり、陽が傾いた頃、店のドアが開いて葉月が入ってきた。
葉月は相変わらず暗い表情をして「今日もあそこ使わせてもらいます」と言ったが、それでも信彦を見ると少し笑みを見せて「昨日は送って頂きましてありがとうございました」と会釈をした。
「いえ、こちらこそ」
信彦も葉月に笑みを浮かべた。
葉月はそのままスッと暗い表情に戻ると、店の奥の本が読めるスペースへ行ってしまった。
七海は奥のスペースを片づけに行くようなフリをして、葉月の後をさり気なく追いかけた。
葉月はいつも使っている一番奥にあるイスに座って、カバンからノートパソコンを取り出した。
本を読めるスペースには七海と葉月の他に客はいない。
「――葉月さん」
七海が声を掛けると、葉月は顔を上げて七海に少しだけ笑みを浮かべた。
「ああ、石橋さん。どうかしましたか?」
「実は私、昨日、葉月さんの『ソングバード』読んだんです」
「あの本を?」
「はい、とっても良かったです。感動しました!」
「ありがとうございます」
葉月は何故か七海から視線を逸らすと、顔をうつむかせた。
七海は「あれっ?」と思った。自分の小説を褒められたのに、あまり嬉しそうな表情をしなかったからだ。
もしかすると、葉月は自分の小説を褒められて照れてしまっているのかもしれない。
「あんな良い小説書けるなんて、葉月さん、すごく才能あると思います。だから……」
七海が言葉を続けようとした時、部屋の入り口の方から「ガツガツ」と大きな足音が聞こえてきた。
七海が振り返ると、晶が部屋に入って来るところだった。
晶はイスに座っている葉月を見ると、「あっ!」と声を上げた。
「昨日の小説書いてるヤツじゃん。何? また来たの?」
常連とは言え葉月はお客様なんですけど……、と七海は思ったが、よく考えてみると晶は店長の信彦と親しいだけでこの本屋の店員でも何でもなかったな、と思い直した。
「はい、ここでいつも小説書いたり本を読んだりしてるんです」
「ふーん……」
晶は昨日「ソングバード」を手渡された時のように、妙に神妙な表情をして、葉月のことをジロジロと見た。
何で晶はこんなに葉月のことをジロジロと見るのだろうか、と七海はまた疑問を感じた。
「ここの店長さんと親しいみたいですよね? この本屋にはよく来るんですか?」
「よく来るって言うか、この本屋の上に住んでるんだよ。――ああ、お前さあ」
晶は葉月の隣のイスに腰を下ろすと、七海の方を見上げた。
「なっ、何ですか?」
「ホットケーキ焼いて来てよ。こいつの分も」
「えっ? 葉月さんの分もですか?」
「ノブさんは良いって言ってたぜ。他に客いないし」
「わかりました……」
七海は心の中でため息を付くと、給湯室へ向かった。
(――全く、ノブさんは本当にあの人には甘いんだから)
七海が給湯室で二人分のホットケーキを焼いていると、あの本を読めるスペースから時折笑い声が聞こえてきた。
晶と葉月の会話がかなり盛り上がっているらしい。
考えてみれば、あの二人は年齢が近いから、話が合うのも当然と言えば当然なのかもしれない。
魔法使いと小説家のコンビって……。
それこそ本当に小説にでも出てきそうなシチュエーションだな、と七海は思った。
でも、良かったな、とも七海は思った。
葉月は晶のことを気に入っているみたいだし、あの暗い表情をしているよりも、笑っている方が七海も嬉しいしホッとする。
(――それにしても、あの人も普通に同年代の男の子と会話するんだ)
七海は晶が葉月と普通に話しているのが、何となく意外だった。
だって、あの人、魔法使いだし、
いつも、自分に対してはふてぶてしい態度だし、
その割には、ノブさんにかなり甘えているし、
時々、「自分の部屋に来い」とか用事を言う時以外は何をしているかよくわからないし……。
晶のプライベートは謎に包まれている……というと大げさだが、七海は改めて晶が普段何をしているのか、どう生きているのか、そして今までどう生きてきたのか知らないことに改めて気付いた。
(――まあ、特にあの人のことなんて、知りたいわけでもないし)
七海は心の中で呟きながら、出来上がったホットケーキ二皿をトレイに乗せて、店の本が自由に読めるスペースの部屋へと持って行こうとした。
七海が部屋に入ろうとすると、晶と葉月は楽しそうに何かを話していた。
いつの間にか葉月の使っているテーブルの上には烏龍茶のペットボトルが、晶のところにはドクターペッパーのペットボトルが半分ほど減った状態で置いてある。
「――じゃあ、N高なんだ。俺、M高だったんだ、中退したけど」
晶が話しているのを聞くと、どうも二人は出身高校の話をしているらしかった。
どこでどう高校の話になったのかは良く分からないが、二人とも七海が到底入れないような県でも有数の進学校の出身のようだ。
七海は思わず部屋の入り口で立ち止まって、聞き耳を立ててしまった。
意外にも魔法使いの晶は、中退したとは言え、普通に高校生をやっていたことがあるらしい。