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ビルの中の魔法使い  作者: 木原式部
2. Songbird(ソングバード)
14/105

(5)

「もう、超お腹空いてさあ! ――ああ、ノブさん、ありがと」

 晶は信彦が持ってきたアイスコーヒーを飲むと、ブランデーケーキの続きを食べ始めた。

 もちろん、さっきと同じように切らないままかぶりついている。

「すみません! あの、まだお客様が……」

 七海が目を吊り上げながら晶に言ったが、葉月は笑顔で七海を制した。

「いえ、気にせずに。どうぞ食べてください」

 七海は葉月の方に申し訳なさそうな視線を投げかけたが、葉月は信彦と同じようにニコニコと笑顔を見せながら、晶がブランデーケーキにかぶりついているのを見ていた。


(――もう、本当に何なの! この人!)

 七海はため息を吐いた。

 でも、まあ、良かったな、とも七海は思った。

 一応、これでも晶が自分のせいでいつも通りに起きて来れないのではないかと少しは気にかけていたのだから。

 しかし、本当に信彦の言った「半日はグッスリなんですが、それを過ぎるとケロっと下に降りてくる」という言葉通り、本当に「ケロっと」下に降りてきたのには驚いた。

(――やだ、私ってば、別に心配なんてしてないつもりだったのに)

 七海は首をブンブンと横に振ると、葉月の方を見た。


 葉月は晶が如何にも美味そうにブランデーケーキにかぶりついているのを、笑顔で見ている。

 さっきまで暗い表情かおをしていた葉月とは、別人のようだ。

 まるで、父親が小さい我が子を見るような目だな……とも七海は思ったが、それでも葉月が明るい表情をしてくれたのは嬉しかった。


 これで、葉月に小説の良いアイディアが思い浮かんでくれれば良いのだけど……。


「――どうですか? あの人」

 七海は葉月にコッソリと小声で言った。 

「いや、彼、すごく良いキャラしてますね。――ちなみにどういう人なんですか? ここの店長さんと親しいみたいですけど」

「あっ、ええと……」

 葉月の無邪気な発言に七海は口ごもった。

 何者と言われても、「ああ、実は彼は魔法使いなんです!」なんて、さすがに言えない。


 でも、あんな晶みたいなキャラの人間が「魔法使い」だなんて、すごく小説向きのあり得ない話ではないだろうか……。


「――お前、何コソコソしゃべってんだよ?」

 晶がブランデーケーキで口をもぐもぐさせながら突っかかってきたので、七海は胸をドキッとさせた。

「あっ、いえ、その……。あの、この方、小説を書いているので、その、面白いネタとかないかなって話していたんです」

 七海は慌てて言った。

「小説?」

「そうだよ、晶。この小説を書いたの彼なんだ」

 信彦がさっき七海に見せた、葉月の「ソングバード」のサイン本を晶に渡した。


「ふーん……」

 晶は信彦から手渡された「ソングバード」の本と葉月を交互に何度か見た。

 七海は「あれ?」と思った。

 晶のことだから、本を渡されても特に興味を持つこともなく、「あっ、そう」とか言って本をすぐ返しそうなのに、何だかずいぶん神妙で真面目な表情かおをしている。

「――あの、何か?」

 葉月も晶の表情が気になったのか、訊いてきた。

「いや、別に。小説書いてんだなって思って」

 小説書いてんだなって……。

 七海は「そんなの当たり前じゃない」と思わず突っ込みを入れたくなったが、珍しく真面目な表情かおをしている晶のことが気になって、言いかけた言葉を飲み込んだ。


 晶があんな真面目な表情するなんて、何か気になることでもあるのだろうか。


「そうなんです、小説書いてるんです。でも、締め切りが近いのに、なかなか筆が進まなくて……」

 葉月はさっき七海に言ったのと同じ言葉を晶に言うと、ため息を吐いてうつむいてしまった。

(――どうしよう、また落ち込んじゃった)

 七海は焦った。


 焦る七海とは対照的に、晶はまた神妙な表情かおをすると、ブランデーケーキの最後のひと口を口の中に押し込んで、残っていたアイスコーヒーを一気に飲んだ。

「別に、書けないんだったら、ムリに書かなくてもいいんじゃね?」

「えっ?」

 晶の言葉に、晶以外の三人が一斉に声を上げた。

「それってどういう意味ですか?」

 七海が今度こそ神妙な表情かおをしている晶に突っ込みを入れた。

「どういう意味って、そのままの意味に決まってるじゃねーか。書けないんだったら、ムリに書かなくてもいいんじゃね? 俺だったら、ムリに書かないけど」

「で、でも……。第一、締め切りがあるし、葉月さんの次の作品を読みたい人が待ってるとか、そういう事情もあるし……」

「事情って、そんなの知るかよ。書けないものは書けないし」

「でも、葉月さんは小説が書きたいけど筆が進まないだけなんじゃないんですか? 書けないから書かないと言うのとは、ちょっと意味が違うような気が……」


「――まあ、まあ」

 言い合っている七海と晶の間に信彦が笑顔で割って入ってきた。「話はその辺でお終いにしよう。そろそろ、閉店の準備をしないと」

「あっ……」

 七海が時計を見ると、信彦の言う通り閉店間際の時間だった。

 店の外はすっかりと暗くなっていて、窓ガラスに自分たちの姿が映っている。

「葉月さん、お店、閉店なんですが、もしなら駅まで送りましょうか? 僕もちょっと駅前まで用事があるんで」

 信彦が今度は葉月に笑顔を向けた。

「いいんですか?」

「はい、用事のついでなので遠慮しないでください。――七海さん、ちょっと出かけてくるので、店の片づけをお願いします」

「わかりました」


 信彦と葉月は一緒に店を出て行った。

(――ノブさん、この人には甘いのよね)

 七海は信彦が店を出て行くのを見ながら心の中で呟いた。

 いくら葉月が常連のお客さんだからと言って、さすがにお客さんの前でブランデーケーキにそのままかぶりつく男がウロウロしているのはマズいのではないだろうか。


 しかも、さっきの晶の言葉……。

 晶がさっき言った「書けないんだったら、ムリに書かなくてもいいんじゃね?」と言う言葉、いくらなんでも投げやり過ぎではないだろうか。


 まあ、確かに晶を見る葉月の目は、子供を見る時の父親の目のように優しくて楽しそうだったし、「ムリに書かなくてもいいんじゃね?」と晶が言った時も、葉月は驚いた表情こそしたが、不快そうな表情はしなかった。

(――でも、だからと言って、「書けないんだったら、ムリに書かなくてもいいんじゃね?」って、いくらなんでもそんなこと言わなくても……)

 七海はそう思いながら、イスに座っている晶の方を何気なく見て、また胸をドキッとさせた。

 晶は自分と同じように、店を出て行く信彦と葉月のことを見ている。

 晶の信彦と葉月を見ている表情が、何だかひどく切なそうに見えたのだ。

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