(2)
(――やっぱり、何かいちいち突っかかる人だな)
こっちは心配してやっているのに、と七海は少々頬を膨らませた。
晶が「大丈夫じゃねーよ」と言っている通り、確かに晶はかなり疲れているような表情をしていた。
まあ、本人が「寝れば大丈夫になるんだよ」と言っていたから、寝れば回復する問題なら別に良いけど、あの疲れたような表情は気になる。
(――やだ、私、何を心配してるんだろう。本人が「寝れば大丈夫」って言ってるのに)
七海は首を横にブンブン振ると、さっき乗ったエレベーターのところへ戻ろうと歩き始めた。
歩き始めた七海がふと横を見ると、階段がある。
多分、この階段、本屋の奥に続いている階段だ、と七海は思った。エレベーターのところまで行くには結構歩くし、この階段を降りた方が早いかもしれない。
七海は階段を降り始めた。
七海は階段を降りながら、果たしてこの「それ作るの超疲れんだ」と晶が言っていたものは何だろうか? と考えた。
紙袋は小さいし、何かが入っている感じはするが、とても軽い。
それにしても雑な折り方だな……、と七海は紙袋を見ながら思った。
慌てていたからなのか疲れていたからなのかはわからないが、紙袋の上の折って封がしてある部分がひどいことになっている。
折り方はナナメだし、端もグチャグチャになっている。
さすがにこれでは渡す相手に失礼だろう……と、七海は階段の途中で立ち止まって紙袋の上の部分を折り直そうとした。
紙袋の封の部分をソッと剥がす。
封の部分を剥がすと、紙袋の中からさっき晶の部屋から流れてきた花の良い香りがしてきた。
七海は花の香りに誘われるように、紙袋の中を覗き込んだ。
紙袋の中には、ビー玉のような小さな玉が一つ入っている。
どういう仕掛けになっているのかはわからないが、ビー玉はキラキラと静かな光を放っていた。
七海は悪いなと思いながらも、ビー玉を袋の中から取り出してみた。
ビー玉を取り出した途端、七海は思わず目を見開いた。
(――キレイ)
何てキレイなんだろう……、と七海はビー玉にすっかり魅せられてしまった。
まるで万華鏡がビー玉の中に閉じ込められているようだ。動かしていないのに、ビー玉の中の光が自ら動いているかのように一瞬一瞬違う色や輝き方を見せている。
どの色もどの輝きも、まるでこの世のものとは思えないほどの美しさだ。
七海はビー玉を見ることに夢中になって、しばらくその場から動けなかった。
(――これ、一体何なんだろう?)
晶が「それ作るの超疲れんだ」と言っていたから、晶が作ったものには違いないが、お守りとか魔法の道具とか、そういうものなのだろうか。
七海はしばらくビー玉に見入っていたが、ふと我に返った。
(――いけない、もう、行かないと)
あまりモタモタしていると、晶に「お前、何してんだよ?!」とドヤされてしまうかもしれない。
七海は慌てて階段を降りながら、ビー玉を紙袋の中に戻してキレイに封をし直そうとしたが、紙袋の封の部分のシワが上手く伸ばせない。
シワを良く伸ばそうと手元に気を取られた七海は、足元がふらついて階段を踏み外しそうになってしまった。
(――あっ!)
七海は心の中で声を上げた。
「――危ない!」
七海が階段を踏み外しそうになった瞬間、誰かが七海の腕を掴んだ。
七海が顔を上げると、いつの間にか晶がいて、自分の腕を掴んでいる。
(――えっ?)
この人、いつの間にここに? と七海は思った。
「お前、何やってんだよ?! 頭でも打ったらどーすんだ?」
「えっ? 頭?」
七海は突然の晶の出現と言葉に戸惑った。
――そうか、この人は魔法使いだから、突然ここに現れてもおかしくない、のかな?
でも、「頭でも打ったら」って……。そうか、階段を踏み外して転んで「頭でも打ったら」って意味なの、かな?
七海は考えながら、表情を歪ませた。自分の腕を掴んでいる晶の力が、余りにも強かったからだ。
七海の表情に気付いたのか気付いていないのか、晶は掴んでいた手をパッと離した。
「まったく、危なっかしいヤツだな。もう、階段なんて使うんじゃねーぞ。エレベーター使え……」
晶は言っている途中で堪えきれないように大きなあくびをすると、七海に背を向けてその場から離れようとした。
「あの……」
七海は思わず晶の背中に声を掛けた。
「何だよ?」
「あの、ありがとうございます。その、助けてくれて」
「礼言うくらいだったら、もう階段使うな。さっさとエレベーター乗って、それ届けて来い」
晶はそのまま七海の方を振り返りもせず、行ってしまった。
いつもは「ガツガツ」と大きな足音を立てて歩くのに、晶の足取りは静かだった。
七海はさっきドアの隙間から見えた晶の疲れたような顔や大きなあくびをしていたことを思い出した。
――疲れて寝ようとしていたのに、自分が転びそうになったから助けにきてくれたのだろうか。
七海は廊下に戻ると、晶の言う通りエレベーターに乗って階下へ降りて行った。
晶が紙袋と一緒に渡したメモ紙には、殴り書きのような文字で住所が書いてあった。
メモ紙からも、微かにあの晶の部屋から漂ってきた花の良い香りがする。
七海が苦労して殴り書きの文字を解読すると、海の近くにある高級住宅街の住所だった。
バスに乗って目的地へ行くと、レンガ造りの大きな家に辿り着いた。
対応してくれたのは品の良さそうな老婦人だった。七海はやっぱり紙袋の封の部分をキレイに折り直しておいて良かったな、と心の底から思った。
「どうもありがとう、あの方にもよろしくね」
老婦人はニコニコしながら、七海に言った。
老婦人が「あの方」というからには、この老婦人は晶のことを知っているのだろうか。そして、晶が魔法使いだということも知っているのだろうか……。
七海は老婦人に訊いてみたかったが、さすがに訊くことはできなかった。
老婦人は七海に帰り際、「これ、あの方に渡してね」と地元で有名な菓子屋の手提げ袋を渡した。