Act.8-01
「――永瀬はきっと、俺を今でも恨んでる……」
俺は相変わらず、公園のベンチに座ったまま、砂夜から贈られたジッポーを見つめ続けた。
自称〈天使〉も、先ほどまでの剣幕からは想像出来ないほど、神妙な顔付きで俺を見下ろしている。
「けど、俺はいい加減な気持ちを永瀬に伝えることも出来なかった……。永瀬が、あまりにも真っ直ぐに俺を見つめていたから、なおさら……。
最期に見た永瀬の涙も、未だに忘れられない……。俺の心に突き刺さって、ずっと離れな……」
全てを言い終える間もなく、俺は嗚咽を漏らした。
仮通夜の時だけではなく、本通夜の時も、葬儀の時も、火葬の時も全く泣けなかったのに、今になって、涙が止めどなく零れ落ちてゆく。
砂夜がこの世から消えてしまってから気付いた想い。
俺にとって、砂夜がこれほどまでに大きな存在だったとは、考えもしなかった。
と、その時、俯きながら涙を流す俺を、仄かな温もりが包み込んできた。
自称〈天使〉に、抱き締められていた。まるで、我が子を慈しむように。
「――恨むわけ、ないじゃない……」
自称〈天使〉の声が、穏やかな川のせせらぎのように、ゆっくりと流れ込んでくる。
「私は、ずっとあなたを見てた。私のために、苦しみ続けてきた姿を……」
俺はハッとして、涙で濡れた顔を上げた。
そこには、金髪と蒼い瞳を持つ天使の姿はなく、代わりに、肩より長めの黒髪に、茶味を帯びた双眸の女が、穏やかな笑みを湛えながら立っていた。
俺は声を発するのも忘れ、瞠目したまま女を見つめる。
「ビックリした?」
女は肩を竦めながら、俺に訊ねてきた。
俺はやはり、呆然としたまま、ゆっくりと首を縦に振る。
まさか、こんな所で砂夜と再会するとは夢にも思わなかった。
「〈天使〉なんてガラじゃないでしょ?」
つい先ほどまで、『こーんな麗しい容貌を持った魔物がどこにいるってんだいっ?』などと踏ん反り返っていたのが嘘のように、砂夜は照れ臭そうに頬を指先でポリポリと掻いている。
「ほんとは、この姿のままで宮崎の前に出るつもりだったんだけど……、いきなり出たら、宮崎が怯えて逃げちゃうんじゃないかって思って、全く違う姿に化けてみた。でも、どっちにしても脅かしちゃったのには変わりなかったみたいだね」
悪戯っぽく笑う砂夜に、俺もようやく、「卑怯じゃねえか」と苦笑いを浮かべるだけの余裕が生まれた。
「けど、どうして天使なんだ? 幽霊として出てくるってんならまだしも……」
「なにそれ? だったら私に化けて出てきてほしかったわけ?」
「いや、そうじゃなくて……」
口調は俺の前に出てきた時よりはソフトになっていたが、どちらにしても、俺を黙らせてしまうほどの気の強さは、生前と全く変わっていない。
どうしたものかと頭を抱えていると、砂夜からクスクスと忍び笑いが漏れてきた。
「ほんと、宮崎って相変わらずからかい甲斐があるわ」
砂夜は笑みはそのままで、俺の隣に腰を下ろした。
「宮崎と別れてから、私は、ただひたすら歩いてた。どんなに力んでも、涙は止まるどころか、どんどんと溢れてくるんだもん。凄く困っちゃった。
泣いて、ずっと泣いて、だんだんと体力も消耗されてきちゃったんだね。すっかり注意力がなくなってて、気付いたら……、自分のすぐ目の前に、眩しい光が猛スピードで迫ってた……」
ここまで言うと、砂夜の表情がわずかに曇った。
考えるまでもない。
それからすぐ、砂夜の生命の灯は消えてしまったのだ。
ほんの数秒という、一瞬の時間で。