4ぷに(SMAP6人目のメンバーぷに助)
2016年12月31日。
この日をもって、SMAPは解散した。
以前より各方面から解散を惜しむ声が上がっていたが、メンバーの意思は固く、その決定が覆る事のないままこの日を迎えた。
そんなSMAPに、6人目のメンバーがいたことを皆さんはご存じだろうか。
そう、森君こと、森ぷに助である。
ぷに助はSMAPの初期メンバーで、数々のヒット曲を5人と共に歌ってきた。
けれど、ぷに助だけ道半ばで彼らと袂を分かつことになる。
月並みな言葉で言えば、音楽性の違い。
今日は、そんなぷに助とSMAPの話を少しだけしようと思う。
1980年代前半。
SMAPのメンバーは、まだジャニーズJrとして先輩アイドルのバックダンサーを務めていた。
その多くが十代の少年である中、ぷに助だけが三十代の壮年期。
しかし周りのJrたちは、そんなぷに助の事を「ぷ兄!ぷ兄!」と呼び、慕っていた。
1988年4月。
木村、中居、香取、稲垣、チョナン・カン、そしてぷに助がユニットを組み、デビューしたのがSMAPである。
デビュー直後こそコケはしたが、その後は順風満帆。
曲を出せばミリオンヒット、テレビに出れば軒並みその番組は高視聴率。
飛ぶ鳥を落とす勢いとは、まさにこの事だった。
そんな激動の芸能界を生きたSMAPメンバーの中に、ぷに助もいた。
時に厳しく、時に優しく。
ぷに助は、唯一の三十台としてSMAPというグループを背中で引っ張った。
そんなぷに助に、SMAP脱退を決意させた出来事。
それはとあるコンサートで起こった。
2005年1月。
ナゴヤドームで開催されたSMAPツアーファイナルは、SMAPの力強い歌声とファンの歓声で、熱気は最高潮に達しようとしていた。
ファン待望、4年ぶりに決定した全国ツアーは、毎夜大盛況。
全国各地でチケットsold outを出し、最終日を迎えた。
当然最終日の今日も、会場は満員。
ファンたちが叫ぶアンコールの声が、裏に引っ込んだSMAPメンバー全員の耳に届いていた。
「おい、聞こえるか?ファンが俺たちを呼ぶ声だ。まさかへばった奴なんていないだろうな?絶対に疲れたなんて言わせねえぞ。慎吾、剛、吾郎、正広、木村!」
そのぷに助の言葉と共に、ステージ上にSMAPメンバーが舞い戻る。
ぷに助はステージから観客席の方をぐるりと見回した。
ここにいる人たちはSMAPの歌に共感し、一人一人がSMAPを支えてくれている最高のファン。
全員に満足して家路に・・・・・・ん?
ぷに助は、そこでふと気がついた。
ぷに助の名前が入ったうちわだけ、観客席のどこを探しても見当たらないのだ。
慎吾、剛、吾郎、正広、木村。
彼らのうちわはある。
でもぷに助のうちわだけ、ない。
その事実は、四十代最後の年を迎えたぷに助の心を大いに傷付けた。
泣き叫びながらステージを駆け下り、誰にも何も言わずにそっと家に帰った。
カーテンを閉め切った部屋で、ベッドの上に膝を抱え、自問自答を繰り返すぷに助。
俺には何が足りないのか、彼らと何が違うのか。
そうして辿り着いた答えが、こうだった。
「ないんだったら、自分で作るしかない」
2016年12月31日。
ぷに助は現在、うちわ職人を生業としている。
客層はアイドルの追っかけから天狗までと幅広く、わざわざ海外から彼のうちわを取り寄せるセレブもいる。
SMAPを脱退し、事務所を辞めたぷに助は、その後うちわ業界で類まれなる大成功を収め、世界の富豪ランキングで43位まで上り詰めた。
ちなみに一つ下は、あのブラッドピッドである。
そんなぷに助は、今回のSMAP解散についてこうコメントしている。
「解散という事で、彼らの代表番組である鉄腕DASHが終わってしまうのは、ただただ残念。しかし、メンバー全員にお疲れ様でしたと伝えたいですね」
SMAPという国民的アイドルを影から支えたぷに助の事を、どうか皆さんも忘れないでほしい。
この日記、何ぷにですか?
「赦し屋とひこじろう」、「未成年委員会による日本の壊し方」という二つの作品を書いているので、よかったらそっちも読んでみてください






