まるめがねコレクション
色斑にじみ(イロムラニジミ)と申します。
「い、いらっしゃいませ」
声が少しうわずってしまったのは、閉店間際の時間帯、来客を予想していなかった油断だろうか。
それとも、そこに佇む少女の雰囲気に見とれてしまっていたのだろうか。
この店の名前は「Collection」(コレクション)、いわゆる眼鏡店だ。この店を営んでいた祖父が亡くなり、私がこの店を引き継いだ。本当に小さな小さな眼鏡店、1日の来店は数名程度。そんな当店に数時間振りの来店。それが彼女だった。
店に入ってきたのは制服姿の女子高生だった。紺のブレザーに赤いリボン、チェックのスカート。確か、近くの私立の女子校のものだったと思う。肩に掛かるくらいの長さの艶やかな髪と、大きくて茶色の瞳が印象的な美少女が、どこか不安げな様子でこちらを見ている。
「あの、なにかお探しですか」
私は彼女に声を掛ける。彼女は入り口からまだ一歩も動いていない。
「あっ、あの、ええと・・」
私の声に反応した彼女はビクッと我に返ったようにこちらの方を見る。
ああそうか、私もそこで察知した。
「さっき、そこで人とぶつかって・・・」
彼女が差し出したのは、見事なまでにフレームの歪んだメタル素材の眼鏡だった。
耳に掛かるツルの部分をテンプルと言うが、本来一直線に畳まれるべき左右のテンプルが、アルファベットのエックスの様になっている。レンズも外れて枠がぐにゃりと変形している。これはかなりの重症だ。
「こちらへどうぞ。よく確認してみますので」
彼女を接客テーブルに案内すると、私も対面に座る。彼女が改めて口を開く。
「すごく・・曲がっちゃってますよね」
「そうですね」
「あの・・元に、もどりますでしょうか・・」
彼女は不安そうに尋ねる。心配になるのも無理はないだろう。
彼女は恐らくそこそこ強度の近視で、今は私の顔すら曖昧に見えている状態なのだから。
店内に入ってきた時の反応も、きっと視界がぼやけていたからだ。
彼女の家はこの近くなのだろうか。いづれにせよ、掛けて帰れないとなるとなかなか大変だ。
「元通りってのは正直厳しいけれど、なんとか掛けられるようにはします」
彼女は半ば諦めていたのだろうか、目を大きく見開いて
「ほ、本当に?」
「はい。20分程お時間を頂ければ」
「大丈夫です!待ってます』
「わかりました。それではお預かりします」
眼鏡を預かり、店の奥の工房へ移動した私は、眼鏡の修正に取り掛かる。
と、その前に__
「よろしかったら、どうぞ」
「うわぁ、ありがとうございます」
そう言ってコーヒーをテーブルに置く。
飲み物をサービスする店は珍しくないがウチの場合、インスタントコーヒーではなく、
本格的なエスプレッソマシンを使っている。
これは祖父の趣味で以前から店に置いていた物だ。
いわゆる顧客サービスの一環というもので、実際そこそこの評判を得ている。
狭い店内に淹れたてのコーヒーの香ばしい香りが漂う。
コーヒーを出し終えた私は、工房へと移動した。
工房と言っても、店内を見渡せるようになっている作業スペースの事で、あらゆる工具や部品のストックなどが此処に置いてある。作業台の前に座ると、透明ガラス越しに少し離れた窓際の席で待つ彼女の様子が見える。
改めて見るとその容姿は年齢よりも大人びていて、制服姿でなければ20代にも見えるかもしれない。
落ち着いた物腰も相まって、大人の女性の雰囲気を纏い始めている、そんな印象だ。
彼女は私が出したコーヒーを飲み始めた。
「けほっ、けほっ」
・・小さく咳き込むと彼女はチラッとこっちを見た、ような気がした。
そして軽く咳払いをすると一緒に出したミルクと砂糖を入れ始めた。
おや、コーヒーは苦手でしたか。
その姿が可愛らしくも滑稽で、思わず吹き出しそうになるのを必死で堪え、私は作業に集中し始めた。
「お待たせいたしました」
作業は15分程度で終わり、彼女の所へ持っていく。
「あ、はい」
店内の眼鏡を眺めていた彼女は席へ戻り、私は直した眼鏡をテーブルの上へ置く。
「うわぁ、キレイに直ってるぅ」
彼女が弾んだ声を上げる。よほど嬉しかったのか、眼鏡を手に、上から下から眺めている。
眼鏡屋としては、こういうリアクションをされるのは実に嬉しいことである。
「あんなにひどかったのを直せるなんてスゴいです!」
眼鏡が直ってテンションが上がっているのか、大人びた印象だった彼女は、年相応の可愛さを見せてくれた。
至近距離で笑顔を見せるメガネ姿の彼女の表情は、女性としての魅力を十二分に感じさせるそれであった。
眼鏡屋がメガネ萌えしてどうする。それを悟られぬよう、自然と目を逸らす。
「か、かかり具合も確認しますね」
「は、はい」
彼女の髪に触れる距離まで近づくと、微かな香りが鼻をくすぐる。
「しっかり掛かっているので大丈夫そうですね」
「はい」
「しばらくはこのまま使えますよ」
「はい。あ、でも・・」
「?」
「またメガネが壊れちゃったら、直してもらいに来てもいいですか?」
「ええ、勿論です」
「きっと、すぐ壊れちゃうかな・・」
「えっ?」
予想外の言葉に思わず聞き返してしまう私。
「実は、人とぶつかったんじゃないんです。」
「わたし、クラスメイトに嫌われていて・・今日も・・」
「・・そういう事ですか。」
要するに、彼女はクラスメートからいじめに遭っていて、メガネはそれで壊れたという事だ。
「でも、どうして?」
「初対面の女性に申し上げるのはどうかと思いますが、私は今の時間の中で少なくともあなたに嫌悪では無く好感を持ちました。あまり、人に嫌われるようなタイプに見えませんが・・」
俯いていた彼女はふいに顔を上げ、真っ直ぐこちらを直視した。
「よかったら、話してくれませんか」
彼女はまた少し俯き、一呼吸置くと語り始めた。
「私、親友がいたんです」
「ユウちゃんって言うんですけど、子供の頃からずっと一緒で、高校でも同じクラスになりました」
「ユウちゃんは元気で明るくて、委員長もやっているんです。でも頑張りすぎちゃって」
「クラスの中で浮いちゃった?」
「はい」
「最初はわたし以外の子達が話しかけないくらいだったんです。でも、暫くして嫌がらせが始まって・・」
「ユウちゃんも段々落ち込んじゃって、学校に来なくなっちゃったんです」
「それで、ユウちゃんのいない教室で、皆がユウちゃんの事を悪く言っているのに耐えられなくって・・」
「お願いだからそんな事言わないでって、そうしたら・・」
「なるほど、矛先が君へ向いてしまったという事ですね」
彼女の頬を伝う涙。
「わたし、何もしてあげられなかったんです。わたしがユウちゃんを守ってあげられればこんな事にはならなかったかもしれないのに」
「ユウちゃんは今もずっと学校に来ていないんです・・」
彼女の話を聞きながら、私は湧き上がる衝動を表に出さぬよう細心の注意を払わねばならなかった。
ああ、なんと美しい・・
自らが悪意の矛先となっていても尚、友達の事を気にかけられる優しさ・・
その無垢な魂、純粋さ・・
君は私のCollectionにふさわしい!!
「・・あれ、えっ、何で・・」
私の感情が高ぶるのと反比例するように、目の前の彼女は意識を失った。
数時間後、彼女は地下室にいた。
薄暗い照明は、部屋の隅々を見渡すには頼りなく、ひんやりと澱んだ空気がそこを支配していた。
「・・う、んっ・・えっ?」
目覚めた彼女は状況が理解できず、ぼやけた表情で周囲に視線を送る。
が、その瞳は直ぐに得体の知れない恐怖の色に染まった。
彼女は後ろ手に手錠を掛けられ、身動きが取れない。
首には冷たく光る金属の首輪が装着され、天井から吊るされた鎖が繋がっている。
「何・・これ・・」
「気がつきましたか。コーヒーはお気に召しましたか」
「ど、どういう事なの、まさか、あれに何か・・」
「おめでとうございます。あなたは選ばれたのです」
「私のコレクションに」
「私は美しく造られたものに目がありません。そう、例えば眼鏡のように繊細に加工された金属製品や、幾千の時を刻み続ける機械式のアンティーク時計。そして最も私が心惹かれるモノは、神が造り出したる不完全な芸術品であるーー」
「ニ・ン・ゲ・ンです」
「あなたは友人の為に涙する事のできる素晴らしい魂の持ち主だ、そして若く清らかで美しい」
「嫌、気持ち悪い・・」
「ですが、いつか老いさらばえて朽ち果てていく。私はそれが我慢ならない。私は美しいものを永久に!完全な状態で残しておこうというのです!!」
「・・あなたは狂ってる・・わたしを殺すの?」
「殺す?私を犯罪者か何かと勘違いされていますね。私はあなたを蹂躙し、犯して殺害するような野蛮な事は致しません。ただあなたはその美しい姿のまま、私の手によって永久保存される。ただそれだけです」
私は引き出しから、真新しい注射器を取り出した。
「お願い、止めて」
「恐れる事はありません、眠るように、本当に眠るようにあなたは永遠を手にするのです」
「悲しい事、辛い事から解放してあげようというのです」
「いや、助けて・・お願い・・」
私は彼女に数歩近付くと、彼女の左側に立つ。
そしてその後ろにある、部屋の一部を仕切る黒いカーテンに手をかける。
「本当に、助けて・・」
「さあ、あなたも私のコレクションに加わるのです!」
めくったカーテンの向こうには、人の背丈ほどのガラスケースに、液体漬けにされた美しいモノが整然と並んでいた。
「いやぁあああああぁっっ!」
「いらっしゃいませ」
今日も眼鏡を掛けた「候補者」がやってきた。
完
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