9.おめかし
――次の日は、朝早く起きてすぐの出発となった。
まず朝に北海道の市場に赴き蟹を食べ、南下して仙台にて牛タンを焼き、山梨でわんこ蕎麦のように信玄餅を飲み込み、愛媛で有名なみかんジュースを箱買いして喉を潤す。
そして最後に長崎の佐世保で海を眺めながら、ダースで注文したハンバーガーを口いっぱいに頬張る。
――まごうことなき、食い倒れの旅だ。転移の無駄遣いでもある。まあ、主に食べているのは鶫ではなく、ベルの方なのだが。
「うむ。このはんばーがーとやらも中々の逸品だ。もう少し肉が大きければ、なお良かったのだがな」
ベルは器用にハンバーガーの袋を持ち、ぱくぱくと勢いよく円の形を崩していく。そして数分もしないうちに、買い込んだハンバーガーはあっという間に無くなってしまった。
「……本当によく食べるよなぁ」
北は北海道から南は長崎まで。こんなにたくさんの距離を移動するとは思っていなかった。
時間としては五時間くらいの行程だったのだが、あまりにも濃い時間だったと思う。
もっとも主に食べていたのはベルの方であり、鶫は蟹の殻を剥いたり、肉を焼いたりなどの雑用をこなしていたので、トータルで一食分ほどしか食べていない。
最初に行った海鮮市場で、茹でた蟹を山ほど買ってこいと命じられた時は、本当にどうしようかと思った。
もしかしてこれは鶫が全部払うのかと戦々恐々だったのだが、ベルがどこからともなく取り出した札束のおかげで支払いの問題はクリアできた。
今時は神様もお金を持っているものなんだなぁ、と鶫はなんだか感心してしまった。
「いきなり『デート』だなんて言い出すから何かと思ったけど、こんなのただの食道楽じゃないか。はあ、緊張して損した」
鶫は短めの紺のキュロットスカートに、フェミニンなブラウス。膝まであるリボンのような靴下にショートブーツを履き、上着に明るい空色のジャケットを羽織っている。その服は、なぜかびっくりするくらい女性に変身した鶫に似合っていた。
出かける前に、上記の服を与えられて「これを着ろ」と言われた時はどうなることかと思ったが、やることといえばただの雑用だった。この何とも言えない微妙な感情を一体どうすればいいのだろうか。
「我の小粋な冗談が理解できぬとは……。貴様は本当に残念な奴だな」
はぁ、と馬鹿にしたようにため息を吐きながら、ベルは肩を竦めた。神様のジョークは鶫には高尚すぎて理解できないので勘弁してほしい。
「それにしても、折角まともにみれる格好にしてやったというのに、その態度は何だ。魔法少女であることを周りにバレたくないというのであれば、もっと女のように振る舞うことを覚えるべきだろうが」
「それは、そうなんだけど……」
今日のメインは確かにベルの食道楽だが、今回の外出にはちゃんと別の意味もあった。
「――貴様は変身時でも、態度や言動、そして立ち振る舞いがあまりにも男くさい。見る者が見れば貴様の性別などあっという間に看破されるぞ」
「それは自覚があるけど、そういうのって簡単に直るものじゃないだろう? こればかりは時間を貰わないと難しいよ」
言葉遣いには多少気を付けることはできるけど、鶫の容姿で露骨に女言葉を使用するのはどうしても違和感がある。今の鶫にできるのは、せいぜい歩き方に気を付けたり、変身時に一人称を『私』に変えることくらいだ。それ以上は、何をどう直せばいいかすら分からない。
「まずはそうやって足を開いて座るのを止めろ。見苦しいぞ」
ベンチに腰かけていた鶫に、ベルが鋭い声で言う。鶫はばつが悪そうに膝をそろえながらため息を吐いた。
「女の子って面倒だなぁ」
「馬鹿をいえ、こんなのはまだまだ序の口だ」
「うわぁ……」
正直、先が思いやられる。
――だが、全てがバレた時のことを考えると、嫌でも努力をしなくてはならない。
男が神様と契約出来ないのが大前提のこの日本で、鶫だけが魔法を使える。そのことを誰かに知られたらどんな騒ぎになるかわからない。でも、碌なことにならないことだけは予想できる。
「お土産も買えたし、俺――いや、私としては結構楽しめたんだけど、ベル様の方はどうだった? それにしても、神様も食事をとるとは知らなかったよ」
しかも、あんなに大量に。今日ベルが食べた食事の量は、どんなに少なく見積もっても二十キロを超えている。毎日この量を食べるとしたら、エンゲル係数が恐ろしいことになりそうだ。
「本来我らに食事は必要ない。所詮この身は分霊だからな。物を食べるのはあくまでも趣味のようなものだ。……だが、一度食べ始めるとどうにも歯止めがきかん。それさえなければ、もっと楽しめるのだが」
「なんだ、お腹が空いていたわけじゃないんだ」
「まあ、そうなるな。――もういいだろう、この話は」
「うん。そうだね」
そう話を打ち切りつつも、鶫は思案する。
――ベルの言葉を聞いて確信した。きっと鶫のあの【暴食】というスキルは、ベルの神性に由来したものだ。そう考えると、ベルがどんな逸話をもった神様なのかだいたい予想がついてくる。でも、それは口に出すべきではないだろう。
隠している、というには少しお粗末だが、ベルがこのことに触れられたくないというのは態度で分かる。それに触れないくらいの分別は、鶫にもあるのだ。
「そういえば、お金を預かったままなのを忘れてた。金額は特に気にしないで使ったけど、大丈夫だった?」
鶫はそう言って、封筒に入ったお金をベルに向かって差し出した。
朝に渡された札束は、もう半分くらいの厚さになっている。残りはおよそ三十万ほどだろうか。ちなみに今日のラインナップだと、蟹への出費が一番大きかった。
ベルは封筒を一瞥すると、興味がなさそうに首を振った。
「いや、それは貴様が持っているといい。――そもそも、それは貴様に対する報奨金だからな」
「……ん? どういうことだ?」
「昨日、魔獣を倒したことに対する報奨金だ。政府から出ているのだが、まさか知らなかったのか?」
――正直に言おう。全く知らなかった。
もしかしたら小耳にはさんだことくらいはあるかもしれないが、鶫にとって魔法少女関連のことはいままで全くの他人事だったのだ。覚えていなくても仕方がないだろう。
鶫にとって魔法少女としての活動は、ベルに対する恩返しのようなものなので、報奨金があろうがなかろうが気にはしないのだが、そういうものがあると分かると、ちょっと金額が気になってしまう。
「ちなみに、E級だといかほど頂けるのでしょうか」
「何だ急にかしこまりおって。気色悪い。――そうだな、在野の魔法少女だと本来の報奨金百万円の七割、つまり七十万円が支払われることになる」
「七十万! そんなに貰えるのか!」
「いいや、どう考えても少ない。自らの命をチップに戦った結果がこのはした金だぞ? よくもまあ他の魔法少女どもはこんな金額で戦おうと思えるな。今日一日食べ歩いただけであっという間に吹き飛ぶぞ」
「そんな勤労意欲をそぐようなことを言わなくても……」
この神様は、人の心というものを本当に分かっていない。でも、もしかしてセレブな人間とかもこんな感じの思考回路をしているのだろうか。
「D級は五百万。C級は一千万。今の貴様にはここまでが限界だろう。B級になると金額が跳ね上がるが、その分難度も上がるからな。今は気にする必要もない」
「夢があるような、そうでもないような……。しばらくは低級を狩ってスキルの把握に努めるとするよ。死にたくはないからね」
「そうだな。――だが、我は貴様を無駄に使いつぶすような真似はしないと約束しよう。神の中には気に食わない契約者を高ランクの魔獣にけしかける奴もいるからな。それに比べたら貴様は運がいい方だぞ」
「魔法少女の世界にも色々あるんだな……。正直、あんまり知りたくなかった」
鶫の想定よりも、魔法少女にはブラックな内情が存在しているらしい。世の中の夢見る少女たちはこの事実をきちんと把握しているのだろうか。
もしかしたら魔法少女の人口を減らさないために、政府が情報規制をしているのかもしれない。恐ろしい話だ。
「ああ、そうだ。そういえば言い忘れていたな」
「え、なに? 急な爆弾発言とかはできれば止めてほしいんだけど」
びくり、と鶫は肩を揺らした。この神様は、鶫にとっては大事なことを、まるでどうでもいいことのように告げる傾向がある。
またとんでもないことを言われるだろうと構えていたのだが、耳に入ってきたのは予想外の言葉だった。
「――その服、良く似合っているぞ。選んだ甲斐があったな」
そう、優し気な声で告げられた。
言葉の意味をじっくりと咀嚼する。服が、似合っている。つまり褒められた。誰が? 鶫が? この格好を?
――それは、ええと、あれ? ちょっと嬉しい気もするぞ……?
「……おい、なにもそんなに苦渋に満ちた顔をすることはないだろうが。我は別に変なことは言っていないぞ」
「いや、うん。……今はそっとしておいてほしい」
不満そうにベルは言う。
だが鶫はそれどころではなかった。これは尊厳の問題である。
――女装が似合っていると言われて嬉しいと思うのは、男としてどうなのだろうか?
いくら今は女の体だとしても、これはアブノーマルな性癖に足を突っ込んでいるのではないか?
いや、だが冷静に考えるべきだ。女形の役者は「美しい」と褒められたらきっと喜ぶだろう。鶫の変身だってそれとそんなに変わらない筈だ。きっとそうに違いない。
色々考えた結果、鶫は『気の迷い』だったと納得することにした。まあ、女体になってホルモンバランスが変われば、そんな気分になることもあるだろう。
つまり、鶫は正常である。何の問題もないのだ。
そうやって一人で納得している鶫を訝しそうに眺めながら、ベルはふん、と鼻をならした。
「やはり人間は訳が分からんな。この我が褒めたのだから、もっと喜ぶのが筋だろう。この不敬者めが」
「返す言葉もない……」
そういつもの調子で皮肉に軽口を返しながら、鶫は思う。
――ああ、やっぱり少し格下扱いされるくらいがしっくりくるな。鶫は、心からそう思った。
――そんなひと悶着もありながら、一人と一柱の休日は過ぎていったのだ。