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葉隠桜は嘆かない  作者: 玖洞
三章
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80.懐かしい声

 勢いを増した攻撃を紙一重で避けながら、着実に柩へと近づく。糸を繋ぎ直す時間も惜しいので、転移を使って逃げるのは出来る限り控えなくてはならない。


 神経を研ぎ澄ませ、最小限の動作だけで箱を避けていく。不規則に回転する箱が皮膚を薄く切り裂いていくが、動けなくなる程ではない。……自分が焦っているのは理解しているが、それでも(てき)は待ってくれないのだ。


 細い糸を柩の足元に忍ばせ、遠くにある木を経由して反対方向から引っ張る。体勢を崩した柩に叩きこむかのように糸を伸ばし、何とか柩の手足に糸を絡めることに成功した。


「――よし、このままっ……!!」


 そのままの勢いで柩を縛り上げようとした鶫は、不意に強い眩暈に襲われた。チカチカと目の前に白い光が瞬き、その場でたたらを踏む。――どうやら、神力の減りが思っていたよりも早かったらしい。


 意識が飛びそうになる頭を何とか叩き起こし、鶫は焦りながら前を向いた。――視線の先にいる柩が、笑っているような気がした。


「……ッ、!!」


 ざわざわと周囲に箱が展開される気配に、肌が粟立つ。――急いで転移をすれば、確実に逃げられる。けれど、そうすれば折角の拘束が全て解けてしまう。……その一瞬の迷いが、命取りとなった。


――ああ、間に合わない。


 あたり一面に箱が現れ、嵐の再現がされようとしたその瞬間。小さな影が、鶫の横を駆け抜けていった。


「こんな時に油断なんてしないで下さいよ!!」


 そんな声を上げながら、右手に赤い紙を持った女の子――日向が柩の前へと躍り出た。そして持っていたその紙を勢いよく柩に貼りつけ、叫ぶように言う。


「『停止』して下さい!! もう、いい加減にして下さいよ!!」


 赤い紙を胸に貼りつけられた柩は、そのままの姿でピクリとも動かずにその場に停止している。その胸元の紙には、先ほど日向が叫んだ言葉――『停止』という文字が書かれていた。


――日向の能力は、【札】と【音】だ。恐らくは、その札の一枚を使用したのだろう。顔を顰めながら鶫の方へと走ってくる日向を見て、鶫はがくりとその場に膝をついた。重石を背負ったかのように、体が重い。結界の外での神力切れがここまで体に影響を及ぼすとは思っていなかった。


「ちょっと。貴女大丈夫なんですか?」


「あまり、大丈夫とは言えないですね……」


 正直な所、頭痛は酷いし体の節々も痛い。結界の外で枯渇状態に陥ると、こんな状態になるのか。鶫はそんなことを考えながら、小さく息を吐いた。神力は時間経過で徐々に回復していくが、この調子だとあと数分はまともに動けないかもしれない。


 辛そうに胸を押さえながらそんな言葉を返した鶫に、日向は心配そうな顔をして右手を差し出した。


「まあ、あの柩せんぱいが相手ならこの醜態も仕方ないかもしれませんね。……さっさと移動しますよ。私の札だっていつまでも効果があるわけじゃないんですから」


「ありがとうございます、日向さん。――本当に、助かりました」


――もしもあの瞬間に日向が飛び込んでこなかったら、鶫はきっと大怪我を負っていただろう。自分の力を過信していたわけではないが、自分が動ける時間を見誤っていたのは確かだ。この場に日向が駆け付けてくれたのは、本当に幸運だったと言える。


「別に貴女の為じゃないですから。……雪野の奴からも話を聞きましょう。私にも、やれることがあるかもしれないですし」


 日向はそう告げると、難しい顔をして柩の方へ振り向いた。けれど前向きな言葉に反し、その目には拭いきれない諦めが宿っているようにも見えた。




◆ ◆ ◆




「駄目だな。それだけでは何の解決にもならない」


 鶫たちと合流した雪野は、日向の手持ちの札の仕組みを聞いた上で、そう判断した。


 日向の【札】は、結界の外では五枚しかストックを作ることができず、一日に一枚ずつしか増やせない。しかもその書きこむ文字はあらかじめ設定しておかなくてはならず、後から変更は出来ない。後の四枚は『治癒×2』『防御』『回避』といったもので、柩を長時間拘束できるような効果は期待できないだろう。


 それにたとえ今日の分の製作枠で『停止』に準じる札を作ったとしても、一時しのぎになるだけで根本的な解決には至らないのだ。


 そして彼女のもう一つの能力、【音】はどちらかといえば強力な攻撃スキルであり、人に対して使うにはあまりにも危険性が高い。どちらにせよ、八方塞がりなことには変わりなかった。


「じゃあ、今は打つ手がないって言いたいんですか、貴女は」


「ああ、そう言っている。今はお前の札で柩の動きを封じているが、札の効果も永遠ではない。恐らくは、効果時間はあと十分といったところか?」


 淡々とそう告げた雪野に、日向は憤ったような声で言った。


「……確かにそれくらいの時間しか持たないでしょうね。でも、だったらどうしろっていうんですか。貴女達はもう動けない。他の弱い魔法少女が来たってすぐに殺されるのが目に見えている。私の札だってそうぽんぽん出せるモノじゃないですし、まさか柩せんぱいのことを見捨てろって言うつもりですか?」


「それも視野に入れなければならない。……いくら僕らが十華と持て囃されていたとしても、出来ることは限られているんだ。その中で最善を選ぶのは、当然のことだろう」


「ッ、この冷血女!!」


 激昂して胸倉を掴みかかった日向に対し、雪野は感情を抑えたような声で告げた。


「はっきり言わせてもらうが、僕は柩の殺害も視野に入れている。彼女を止められる人材がいない以上、人に被害が出ていない内に終わらせてあげた方が彼女の為にもなる」


「は? 貴女、何を言ってるんですか? 柩せんぱいを殺す? そんなの許せるわけないに決まってるじゃないですか!!」


 柩を殺す。そう告げた雪野に、日向はあからさまな動揺を見せた。なにも動揺しているのは日向だけではない。鶫は地面に蹲りながら、呆然と二人の会話を聞いていた。


――覚悟。責任。雪野は何度かその類の言葉を口にしていた。彼女が言っていた覚悟とはつまり『柩が死ぬこと』への覚悟ではなく、『柩を殺すこと』への覚悟だったのだろうか。……それはあまりにも悲しい覚悟だった。


 そして雪野は、胸元を揺さぶっていた日向の手を乱雑に払うと、キッと怒りを込めた目を日向に向けた。


「僕だって、好き好んでこんなことを言っているわけじゃない。――考えてもみろ!! ここで僕らが彼女を止めることが出来なければ、柩は多くの人間を殺すことになってしまう!! あの柩がそんなことを望んでいると思うのか!? もしそんなことになれば、柩は生き残ったとしても自ら命を絶つぞ。あいつはそういう奴だ。……だったら、今ここで死なせてやった方がまだ幸せだろう。僕は、あんなにも人の為に頑張っていた彼女を、人殺しで終わらせたくないんだ」


「でも、柩せんぱいを殺すなんて、そんなの……」


「それに、僕の契約神からの診断結果もようやく出た所だ。――柩の今の状態は、極めて悪い。イレギュラーの魔核の破片は彼女の体の中に入り込み、全身に根を張っている。その核の場所さえ分かれば手の打ちようもあったんだが、妨害も入って場所までは分からなかったそうだ。……しかも彼女の契約神は完全に乗っ取られ、神力を供給するだけの機械となっている。神力切れが望めない以上、柩の体が完全に壊れない限り彼女は止まれない。……他に方法なんか無いんだよ、日向」


 雪野の諭すような言葉に泣きそうになりながら、日向はそっと雪野の胸元から手を離した。日向は血が滲むほどに唇を噛みしめながら、辛そうな顔をして地面を見つめている。


 そして鶫は雪野の言葉を心の中で繰り返しながら、そっと目を伏せた。

――雪野の言う事は、正しい。鶫だって、柩が人を傷つけることを良しとするとは思えなかった。解決策がない以上、事態が大きくなる前に終わらせてあげた方が柩の為になるのかもしれない。


……それでも、理性と感情は別物だ。

 いくら理論武装で正論を説かれても、鶫は柩に生きていて欲しいと願っている。あんなに優しくて真面目で優秀な人が死ぬなんて、どうしても鶫には認められなかったのだ。


――それにまだ、夢路からの手紙も渡せていない。彼女のささやかな夢だって、半分も叶っていない。そして何よりも、多くの人が彼女の生存を願っている。あの人は、間違いなく生きているべき(・・・・・・・)人なんだ。魔獣なんかに使いつぶされていい人間じゃない!!


「――考えろ、諦めるな。何か、何か手があるはずなんだ」


 俯き、誰にも聞こえないような小さな声でそう零す。


 考えろ。思考を止めるな。まだ何かあるはずだ。今持っている手札を整理しろ。出来ることが、まだあるはずだ。そうやって思考を整理しながら、僅かな可能性を摸索する。


 日向の残りの札の効果。神力がほぼ枯渇した雪野が出来ること。そして――今の鶫に可能なこと。鈍痛がする頭を押さえながら、必死で考えを巡らす。


――その時、頭の中でカチリと鍵が開く様な音が聞こえた気がした。ぼやけた視界の端に、白い少女が見える。


『しょうがない子。――少しだけ、手伝ってあげるよ』


 やわらかな春の日差しのような声が、頭の中に響く。

――その瞬間に感じた情動を、何と表現したらいいのだろうか。喚きたくなるような懐かしさと、胸の奥をズタズタにされるかのような切なさ。荒い波のように溢れた感情が、涙となって頬を濡らした。


 じんわりと熱を持つ左眼をそっと押さえながら、鶫は緩やかに微笑んだ。その眼の正しい使い方は、知らないうちに頭の中に入っている。それを不思議だと感じるよりも先に、嬉しさで胸がいっぱいになった。


「ありがとう。――お姉ちゃん(・・・・・)


 どうしてそんな言葉が口から洩れたのか、鶫には分からない。ただ、そうだ(・・・)と感じたのだ。


 ポタポタと流れ出る涙を袖口で強引に拭いながら、鶫はゆっくりと立ち上がった。右目を手で押さえ、左眼だけで柩のことを見やる。


「右の肺に、真っ黒な種火。そこから流れ出るように全身に黒い炎が広がっている。あの種火――核さえ排除できれば、可能性はあるはず」


一層激しさを増した頭痛に耐えながら、鶫はそう口に出した。この頭痛は、精度を増した魔眼の副作用だろう。でも、耐えられないほどではない。


 鶫はおぼつかない足どりで雪野と日向の間に立つと、二人の手を取った。鶫は怪訝そうな顔をする二人の顔を見つめると、小さく笑ってから、深々と頭を下げた。


「葉隠? どうしたんだ?」


「二人にお願いがあるんです」


 祈るように、言葉を吐き出す。

――一度きりの賭けになる。もし失敗すれば、それこそ大惨事になってしまうかもしれない。けれど鶫は、その可能性に縋らずにはいられなかった。


 鶫だけでは、果たせない。でも三人ならば、可能性はぐっと広がる。


「私に一度だけチャンスをくれませんか。――どうか、二人の力を貸してください」



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