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葉隠桜は嘆かない  作者: 玖洞
三章
61/202

58.目に映る地獄

「確かにあの時、俺は本来見えるはずがないモノが見えていました」


 鶫がそう告げると、涼音は安堵した様に笑った。そんな涼音とは対照的に、隣にいる祈更は鶫を見て少し驚いた様に目を丸くしている。鶫がこうも簡単に認めたことに驚いているのか、それとも本当に異能を持っていたことに驚いたのか。

……どちらかは分からないが、あれだけ脅すように詰め寄っておいて、その反応はあんまりだろう。


 鶫は腑に落ちないものを感じながらも、あの日見た炎のことを説明した。


 炎が初めて見えたのは、つい二日前からということ。涼音の糸と違い、鶫の行動次第では見えたり見えなくなったりすること。すぐに異能のことを話さなかったのは、他に問題ごとが多すぎてすっかり忘れていたから。そんなことを、できるだけ涼音を刺激しない様に話した。


「だからですね、別に先生のことを頼りないと思っていたわけじゃないんです。ほら、千鳥の件もあったので、相談する暇もなかったので……」


 鶫はそう説明を締めくくった。

 幸いなことに、話を聞いているうちに落ち着いてきたのか、涼音の様子もだいぶ穏やかになっていた。


――一先ずはこれで大丈夫だろう。鶫はそう考え、ほっと胸を撫で下ろした。


 そして黙って鶫の話を聞いていた祈更は、頭痛を耐えるように自分の額を押さえながら、軽く涼音のことを小突いた。


「ほら、やっぱり考えすぎだったんじゃないか?」


「え? で、でも……」


「それに俺は昨日も言っただろう。わざわざ時間のない朝じゃなく、もう少し落ち着いてからの方がいいって」


 祈更がそう告げると、涼音はハッと何かに気づいた様な顔をして、おろおろと動揺し始めた。その姿は、先程までの殺気立った様子とは違い、普段の涼音に近いように見える。


 その二人の急激な変化に、鶫は戸惑った。涼音の様子もそうだが、あんなに威圧感を放っていた祈更の方が、明らかにやる気を無くしている。どう見てもおかしい。


「あ、そ、そうよね。七瀬君は大変な事件に巻き込まれた後なのに、私はまた(・・)……」


 そう言って、涼音は申し訳なさそうに視線を下に落とした。その顔色は青白く、カタカタと小刻みに震えている。まるで、何かに怯えているかのようだった。


「涼音先生? 大丈夫ですか?」


 心配になった鶫はそう声を掛け、涼音の肩に触れようとした。だが、隣にいた祈更に手を制される。


「七瀬、お前は気にしなくていい。――(なぎさ)、今日はここまでにしよう。一度顔を洗ってくるといい。後のことは、俺がきちんと説明しておくから」


「……そうさせてもらうね。――七瀬君も、迷惑をかけてごめんなさい」


 フラフラとしながら立ち上がった涼音は、ひどく申し訳なさそうに眉を下げながら深々と頭を下げた。そうして鶫の返事も待たずに、足早に部屋の中から去ってしまった。


 よく分からない展開に鶫が呆然としていると、そっと目の前に缶コーヒーが差し出された。反射的に、それを受け取る。


「やる。他の生徒には話すなよ」


「あ、どうも」


 そして祈更は自分の分のコーヒーの蓋を開け、椅子の背もたれに寄りかかると、大きな溜め息を吐いた。その姿は、どことなく仕事に疲れた会社員のようにも見えた。


「悪かったな、朝からこんなことに付き合わせて」


「そこまで気にはしてないですけど……。でも私用だったなら、呼び出すのはもっと他の時でも良かったじゃないですか。何事かと思いましたよ」


 鶫が不満げにそう言うと、祈更は肩を竦めた。


「これでも俺は努力した方だ。……あいつ、俺が止めなかったら昨日の夜にお前の家に乗り込んでたぞ。その方が良かったのか?」


「何ですか、それ。ちょっと怖いんですけど……。えっと、涼音先生は大丈夫なんですか? かなり様子がおかしかったみたいですけど」


 そう言って、鶫は恐々と祈更に聞いた。どう考えても、涼音の様子はおかしかった。

――いつもと違う鬼気迫った様子は、普段の涼音の様子からは到底想像できないものだった。鶫でさえ一瞬別人ではないかと疑ったくらいだ。


 鶫の問いかけに祈更は肩を竦めると、諦めたように話し始めた。


「お前に自分と同じ力があると分かって、いてもたってもいられなくなったんだろう。……ああいう時の涼音は、まるで何かに乗り移られたような言動をするからな。あれ以上は止められなかった」


 涼音が焦っていた理由は、何となく察することができる。涼音の異能については一度きりしか聞いたことはないが、彼女の能力はあまりにも救いがなさすぎる。

 鶫が同じ能力を持っている可能性に気づき、暴走してしまったのは無理もないことなのかもしれない。


――彼女はきっと、同じ力を持つ仲間(ひがいしゃ)が欲しかったのだろう。それは、あまりにも悲しい望みだった。


……だが涼音の態度と、祈更の態度の問題はまた別である。


「じゃあ、なんで祈更先生はあんなに高圧的だったんですか……。睨むし、凄むし、こっちは尋問を受けてる気分だったんですから」


――あの時の祈更は、ベテランの尋問官もかくやという有様だった。普段生徒に対しても強く接しているせいか、あまりにも堂にはいっていた。少しでも申し訳ないと思っているのなら、あんなに高圧的にしなくても良かったのではないだろうか。


「時間がないのは本当だったからな。無駄な腹の策り合いは時間の無駄だ。それに俺は睨んだつもりはない。こっちは涼音の説得のせいで碌に眠っていないんだ。目つきが悪くなるくらいは仕方ないだろう」


 祈更は悪びれもせずにそう言うと、ぐしゃりと自分の前髪をかき上げた。


「で、お前は大丈夫なのか? 俺にはよく分からないが、超常の物を視るのは精神に負担がかかるんだろう? 涼音はよくそれで倒れているぞ」


「俺の場合は強く念じない限りは何も見えないので。……よくよく考えると、涼音先生の力とは少し違う気がしますね」


 涼音の異能は鶫のそれと違い、視界のオンオフができない。それに加え、いくら死の運命が見えたところで何の役にも立たないのだ。もしその能力を持っているのが鶫だったら、今頃間違いないく精神が病んでいたに違いない。


 そう言って表情を曇らせた鶫に、祈更は苦笑して言った。


「あいつの視ている世界は、控えめに言っても地獄(・・)だ。知ってるか? あいつ、昔の映画やドラマは一切見ないんだ。調子が悪い時は、テレビすら付けようとしない。どうしてだか分かるか?」


「昔の映画……? いえ、ちょっと分からないです」


「あいつの異能は、死者(・・)にも適用されるんだ。考えてもみろ、登場人物のほとんどが糸でグルグル巻きにされている映像を見ていて楽しいか? 糸の理由が分かっているなら、なおさらだろう」


 祈更が話したことの映像を思い浮かべ、鶫はそっと口を押えた。あまりにも気分が悪かったからだ。祈更がそれを地獄と称するのも納得できる。


 鶫は自身を落ち着けるように細く息を吐きだし、祈更のことを見つめた。


「……そこまでひどいとは思っていませんでした」


「だろうな。……だから、というのは図々しいかもしれないが、あまり涼音のこと責めないでやってくれ。今回の件も落ち着いたら再度謝罪はさせる。それでも不満があるようなら、出来る限り関わらないように俺が配慮しておくから」


 そう言って祈更は、鶫に向かって頭を下げた。

――普段は毅然とした態度で生徒に接している祈更が、こんな姿を見せるなんて鶫は思っていなかった。


「だから、そこまで気にしてないですから。……それにしても、なんで祈更先生がそこまでするんですか? いくら涼音先生が幼馴染とはいえ、あまりにも過剰すぎる気がします」


――前から思っていたが、祈更と涼音の関係性はいまいちよく分からない。

 最初は色恋沙汰に巻き込まれたとばかり思っていたのだが、祈更の涼音に対する態度はまるで幼い妹に対するものに近い。それに加え、何か引け目(・・・)の様なものも感じるのだ。


 鶫がそう問いかけると、祈更は目を伏せて大きなため息を吐き、口を開いた。


「お前に無理に話をさせたんだから、俺も何か秘密を話すのが妥当か。そうだな……、この話にしよう。あいつが話したと思うんだが、涼音は十歳の時に事故に遭い、不運にも異能が開花した。――その事故の原因は、俺なんだよ」


「え?」


「俺が他の友人と川で遊んでいる時に、あいつが混ざろうとして岩の上で足を滑らせた。……俺がもう少し気を付けていてやれば、それは防げたはずなんだ」


「でも、それって先生だけが悪いわけではないと思うんですけど」


 傍から聞いている限りでは、単純に涼音のうっかりミスとしか思えない。だが、祈更は鶫の言葉に首を横に振った。


「いいや。俺は他の友人の前で、年下の幼馴染と一緒に行動するのが恥ずかしかったんだ。だからわざと険しい道を選んで、あいつを振り切ろうとした。……それがこの様だ。笑えないだろ」


「……それは」


 そう言って自嘲した祈更に、鶫は何も言えなかった。


――明確に誰が悪い、というわけではない。涼音だってきっと祈更のことを責めてはいないだろう。あえて言うならば、運が悪かっただけだ。

……けれど、鶫がそう言ったところで祈更は納得しないだろう。本人の中では、もう答えは出てしまっているのだから。


「俺とあいつのことは別に気にしなくていい。それに、はっきり言ってお前の方が大変だと思うぞ。あまりにも騒がれるようなら学校側からも生徒に注意するが、それでも限界はある。……最悪の場合、政府に保護してもらうことも考えた方がいい。涼音の伝手で六華の『雪野雫』を頼ってもいいが、その場合どう転ぶか分からないからな。あまり期待しない方がいい」


「前に先生が言ってた六華の知り合いって、雪野雫だったんですね。結構年齢に差がありますけど、どういう関係なんですか?」


「涼音の親戚だ。まあ、直接血が繋がっているわけではないらしいが」


「へえ、そうなんですか」


 雪野雫、最新の投票で序列二位に躍り出た優秀な魔法少女である。あまり人と関わろうとしない冷たい性格だと噂されているが、実際はどうなのだろうか。気にはなるが、今それを聞いても仕方がないだろう。


 鶫が素直に感心していると、祈更は諭すような声で話し始めた。


「……それと、映像だけでお前の異能に気付く奴は涼音くらいしかいないだろうが、自分から周りに吹聴しようとはするなよ。流石にそれで騒ぎになったら庇いきれないからな」


「いや、別に言いふらすつもりはないですよ。……俺ってそこまで馬鹿に見えます?」


 いくら今が古の神々の跋扈する時代とはいえ、オカルトじみた能力に対する偏見は根強い。魔法少女――神と契約していない者が超常の力を使うことは間違っている、という主張をする人だって少なくないのだ。

 それに加え、能力の特殊性から、下手をすれば研究対象としてアングラな組織などに狙われかねない。どう考えても、黙っている以外に選択肢がないだろう。


 祈更は鶫の不満そうな返答を聞き、小さく微笑んだ。


「少なくとも、そこまで賢そうには見えないな。先月のテストも散々だっただろう。もっと勉強した方がいいぞ」


「うわ、今ここでそれを言います? 普通に傷つくんですが……」


 鶫は少しだけショックを受けながら、そっと胸を押さえた。確かに先月のテストの出来はあまりよくなかったが、病み上がりだったことを考慮してほしい。


「ははっ、冗談だからそこまで気にするな。――ああ、そろそろ時間だな。一限目には間に合うだろうから、七瀬は教室に戻れ」


「涼音先生は待たなくていいんですか?」


「どうせ暫くは戻ってこないぞ。……化粧を一から直すっていうのは、かなり時間が掛かるみたいだからな」


 祈更はそう言って、重苦しくため息を吐いた。……言葉に無駄に実感が籠っている。深くは突っ込まない方がいいかもしれない。


「じゃあ、俺は教室に戻ります」


 そう言って鶫は席から立ち、祈更に背を向けた。そんな鶫に、祈更がついでのように声を掛ける。


「ああ。――そうだ、七瀬」


「はい?」


「お前、他にも隠し事(・・・)があるだろう」


 祈更のその言葉に、扉にかけた手が止まる。鶫はゆっくりと振り返りながら、口を開いた。


「何言ってるんですか。これ以上のことなんてあるわけないでしょう」


 鶫がそう答えると、祈更は苦笑しながら首を横に振った。


「いや、別に秘密があったとしても、それを俺に話す必要はない。追及するつもりもないし、聞き出すつもりもない」


 お前には大きな借りがあるからな、と祈更は笑った。

 鶫はそんな祈更を訝しそうに見つつ、どうにか動揺を飲み込んだ。カマをかけているだけかもしれないが、下手な言葉は返せない。


 言葉に迷っている鶫を見て、祈更はからかうような声音で言った。


「――気を付けろよ。お前、結構分かりやすいからな」


「……ご忠告どうも」


 そう言って鶫が逃げるように扉を閉めると、部屋の中からクスクスと小さな笑い声が聞こえた。……本当に、心臓に悪い。


 鶫は足早に廊下を歩きながら、心底疲れたように言葉を吐き出した。


「あの人、本当に勘が良いな……」


 流石自分で「鼻が利く」と言うだけはある。今回はとりあえず見逃してくれたようだが、やっぱり油断はできない。鶫が涼音の敵に回らないうちは大丈夫だろうが、それでも警戒は必要だろう。


――本当に、この学校は面倒な人しかいないな。


 鶫はそんなことを考えながら、自分の教室――問題児達が集うクラスへと足を進めた。






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― 新着の感想 ―
数学教師さんこれ分かってる!?それとも何かあることだけは勘付いてる?いやぁ、どっちにしてもヒヤヒヤの学校生活になりそうですね。
[一言] 魔眼持ちは、魔眼を支配しているようで実は支配されているかも知れないとか聞いたことがあります。
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