56.六華の役割
――政府に隣接する高級ホテルのイベントホールでは、盛大なパーティーが催されていた。
パーティー会場には政治家や官僚、様々な分野の識者、各方面の功労者などが一堂に会している。その中には、着飾った魔法少女たちの姿もあった。
壇上にある横断幕には『第20回六華就任記念』と大きな文字が描かれている。
この横断幕を見て分かるように、六華という組織ができたのは今から二十年前のことである。――だが、政府はどうしてわざわざそんな組織を作ったのだろうか?
それには深い理由があった。
遡ること二十二年前。日本は魔獣による破壊からの復興を終え、全てが充実した黄金時代へと足を踏み入れようとしていた。……そんな折に、今でも語り継がれる大事件が起こってしまったのだ。
――始まりの魔法少女、『朔良紅音』の殉職である。
朔良紅音は、A級の魔獣と相打ちになり命を落としてしまった。八年もの間、第一線で魔獣と戦い続け、日本国民の希望であり続けた彼女の死の影響はあまりにも大きかった。
人々は嘆き悲しみ、年頃の少女たちは段々と魔法少女になることを忌避するようになっていった。――あの朔良紅音ですら死んでしまうのだから、自分なんかが務まるはずがない。あの頃は、そんな諦観の空気が国中に流れていたのだ。
その状況を重く見た政府は、朔良紅音の死から二年後に、六名の魔法少女を選抜した。そしてその六名を『六華』と称し、朔良紅音に与えていた権限と同等のものを彼女達に与えた。
『六華』という名称には、朔良紅音のイメージである桜――『五枚の花弁を超える者』という意味を持たせている。政府は朔良紅音を失った国民の心の穴を埋めるために、実力派の魔法少女たちを大々的に宣伝することにしたのだ。
その目論見はみごと成功し、二十年経った今では『六華』が国民の精神的支柱としての機能を果たしている。流れゆく時代の中で、現在は完全な実力のみでの選抜ではなく、人気も加味した国民投票へとシステムは移行したが、その本質は変わらない。
――だが、政府には一つだけ後悔していることがあった。
……朔良紅音は、たった一人で『六華』がしている役割をこなしていた。彼女一人の肩に掛かる重責は、一体どれ程のものだったのだろうか?
朝から晩まで心休まる時はなく、外に出れば気高い魔法少女としての姿を求められ、強い魔獣が出れば一目散に現地に駆けていく。彼女の生き様は、あまりにも献身的で心強かった。――いや、国の全てが彼女に過酷な生き方を強いてしまっていたのだろう。
無理に無茶を重ね、心と体をすり減らしていく。無自覚の焦燥感が彼女を追いつめていった。……彼女が最後に戦ったA級の魔獣も、本来なら問題なく倒せるレベルだったのだ。
――稀代の英雄は、人々の期待によって潰された。
それを思い出す度、政府は自分たちのしてきたことの罪深さを思い出す。――この国は、『朔良紅音』の犠牲の下に成り立っているのだ。
もう二度と、朔良紅音のような哀れな被害者を作ってはいけない。
それは政府――延いては天照の意向でもあった。政府所属の魔法少女にいくつかの制限が掛かるのは、その為である。
『六華』という組織も、一歩間違えば朔良紅音の二の舞になると思われたが、それは幸いにも杞憂に終わった。
この二十年の間に魔法少女の存在は、軍人からアイドルのような存在に移り変わり、過度な崇拝は徐々に無くなっていった。
魔法少女が過酷な戦いを強いられるのは変わらない。けれど、彼女たちが自由意思で魔法少女を辞めても、世間に責められない環境を作ることはできた。
そして戦い抜く覚悟のある少女のみが残り、心の折れた少女たちは安全な日常に戻ることができる。歪に思えるかもしれないが、それが政府に取れる唯一の策だったのだ。
――だが、その平穏も『イレギュラー』の存在によって崩れつつある。
出現時間のずれ、個体数の変化、結界事故などのイレギュラーに際し、魔獣探知予測の『八咫鏡』は役に立たない。いざという時頼りになるのは、六華という絶対的な戦力のみ。
かつての朔良紅音の時のように、『英雄』の存在が求められる事態が起こり始めていた。
もっとも危険だったのは、箱根へのA級の魔獣出現の時だ。現地へ向かえる魔法少女が見つからず、一時は未曽有の大災害になるかと思われたが、在野の魔法少女の協力によって事なきを得た。
中にはその在野の魔法少女――『葉隠桜』を英雄視する動きはあるが、現在はそこまで騒ぐほどではない。たとえ在野であれ、力の強い魔法少女が増えるのは政府としてもありがたいからだ。
そして政府はイレギュラーへの対応を水面下で進めていたが、今回の結界事故を受けてその計画を前倒しにすることを決定した。
六華の枠組みの延長――『十華』の発足である。緊急法案が通れば、三月中には活動を開始できるだろう。世間からは多少反発があるかもしれないが、撤回するわけにはいかなかった。
――全ては、この国を守るためである。
◆ ◆ ◆
パーティー会場の中に、二人の女性がいた。一人はワインレッドの長い髪をした、妖艶な雰囲気を持った女。もう一人は、白髪の小柄で儚げな少女である。彼らは壁際で目立たないように会話をしているが、周りにいる人々は絶えず二人に視線を向けている。
彼らが注目されるのも無理はないだろう。その二人こそが、本日の主役でもある六華の序列一位と二位――遠野すみれと雪野雫なのだから。
遠野は手に持ったワインを優雅に傾けながら、雪野に微笑みかけた。
「またこれから一年よろしくね。雫さんは真面目で優秀だから、とても頼りにしているの」
「……頼りに? 仕事を押し付けやすい、の間違いだろう? あんたが働かないせいで、僕が何度休みの日に呼び出されたと思ってるんだ」
朗らかに告げられた遠野の言葉を、雪野は苛立った様子で切り捨てた。儚げな見た目に反し、その少年の様な言葉遣いは少しアンバランスな印象を受ける。
雪野は遠野のことを見上げるように睨み付け、小さく舌打ちをした。
――六華序列二位。A級討伐最短記録保持者。ファンにもメディアにも塩対応を取り続ける氷の少女。雪野雫は、様々な異名を持っている。
だがその実態は霞のように曖昧で、詳しい個人情報は出回っていない。それは本人の意向と、元は在野の魔法少女だったことが影響しているのだろう。
一方睨み付けられた遠野は、微笑を浮かべながら口を開いた。
「そんなことを気にしてたの? でも雫さんだって、私が神宮での仕事中は外には出られないって知っているでしょう? 私は悪くないと思うけど」
遠野は魔法少女であると同時に、天照を祀る神宮の巫女でもある。
彼女は幼い頃から政府管理の神宮の巫女として活動しており、年齢が一桁の頃から『絶世の美少女』として持て囃されてきた。
それ故に知名度が高く、巫女を敬う高年齢層からの支持も厚い。そして魔法少女としての適性もさることながら、美しく成長したことにより、今もなお壮絶な人気を誇っているのだ。人気投票で一位を取るのも当然の結果だろう。
そんな遠野の返答を聞いて、雪野は大きな溜め息を吐いた。
……祭事の最中に動けないのは当然のことだ。だが、それにしたって頻度が多すぎる。遠野は祭事を口実に、サボっている可能性も高いと雪野は考えていた。
――遠野はここぞという時はきちんと仕事をこなすのだが、それ以外の時のムラっ気が大きすぎるのだ。それは今回序列五位に上がった日向葵にも言えるが、まだ彼女は埋め合わせをしようとするだけマシな方である。
「だからって、限度があるだろ。僕には僕の都合がある。契約神の意向があるから六華として活動することを引き受けたけど、本来なら僕は魔法少女なんてさっさと辞めてしまいたいんだ。あんただって僕の事情は知っているだろう?」
雪野が不満げにそう言うと、遠野は軽く首を傾げながら目を細めて笑った。
「せっかく選ばれたんだから、もっと楽しめばいいと思うけど。栄えある六華になれる優秀な子なんて、ほんの一握りしかいないのに」
「そんな厄介事しかないトロフィーに興味は無い。……はあ、もっと他の奴らが真面目だったら楽だったんだけど」
そう言って、雪野は肩を落した。
――そもそも、『六華』という連中には協調性が殆どない。元々チームで動くことがないというのが一番の理由だろうが、メンバーがあまりにも個性的すぎるのだ。
遠野はやる気にムラがあり、壬生と鈴城は天然で行動が読めない。日向は野心家で、雪野はそもそも働きたくない。……六華で人格がまともなのは柩くらいしかいない。
「六華も枠を広げて動ける人員を増やすらしいけど、まだ時間はかかりそうだな。たっく、そんなに悠長にしてる場合か?」
雪野が呆れたようにそう言うと、遠野は苦笑した。
「政府にも事情があるんだから、そんなに責めないであげて。――そういえば、雫さんは聞いた? 百合絵さんと蘭さん、例の男の子と連絡先を交換したらしいわ」
その言葉に、雪野はピクリと肩を上げた。
例の男の子。その少年は結界に入ることができた――つまり魔法少女としての適性がある『男性』である可能性が高い。雪野としても、多少は気になっていた。
――だが、それを遠野に指摘されるのは少々癪だった。
雪野は遠野に気取られない様に、目を逸らしながら首を振った。
「……別に僕はそんなのどうでもいい」
「本当は気になっているくせに。――適性者の男の子なんて、早々いるものじゃないしね」
見透かすような目をして、遠野はそう言った。雪野は鬱陶しそうに遠野を見ながら、眉をひそめた。
「そうだとしても、あんたには関係ないことだ」
「そう? ならいいけど。ああでも、今回の結界事故についての報告は念のため目を通しておいて。資料はメールで送っておいたから、後で確認してね」
遠野はそう告げると、手に持ったワインを飲み干してその場から去っていった。
……恐らく、わざわざ雪野のいる場所に来て長々と話しかけたのは、その連絡事項を伝える為だったのだろう。
手持ち無沙汰になった雪野は仏頂面で壁に寄りかかりながら、携帯を出してメールに添付されていたファイルを開いた。そして最初の数ページを流し読みすると、結界事故に巻き込まれた者の氏名が書かれている記述を見つけた。
「七瀬、つぐみ? ……どこかで聞いたことがあるような気がする」
そう小さな声で呟き、雪野は考え込む様に手を口に当てた。そして暫くすると何かを思い出したのか、ハッとして目を見開いた。
「前に渚の奴が大はしゃぎで話していた生徒のことか。……ふん、会ってみる価値くらいはあるかもな」
そう言って、雪野は皮肉げに笑った。その呟きを聞いたものは、誰もいない。
――様々な思惑が錯綜し、やがて因果は収束していく。張り巡らされた糸がどう繋がっていくのかは、まだ誰にも分からなかった。
今回の話で第二章が終了となります。次の章からもよろしくお願いしますね!
面白いと思ったときは↓の評価欄から応援して頂けると嬉しいです!




