47.手を差し伸べるモノ
――鶫は意識が混濁している鈴城を背負いながら、必死で道を駆けていた。
「ふざけん、な!! あそこまでやられたなら、もう死んどけよ!!」
苛立ちを込めてそう叫びながらも、背後を気にしつつ淀みなく足を動かす。はっきり言って、状況は非常に悪いと言っていい。
――あの後、鶫たちは燃え盛る迷路から脱出し、少し離れた場所で炎と煙を上げる迷路だった建物を眺めていた。
「流石に魔獣も、あの炎の中では生きてはいられないだろ。結界が解けるのも時間の問題だな。……おっと、起きてられないなら寝ててもいいぞ?」
「うん……。そろそろ限界……」
鶫がフラフラしている鈴城を気遣ってそう告げると、鈴城は鶫の肩に倒れ込む様にして寝息を立て始めた。どうやら、見た目以上に無理をしていたらしい。
そして鶫は運びやすいように鈴城を背中に乗せると、他の皆が待っている場所に向かって歩き始めた。――異変が起こったのは、その直後だ。
大きな瓦礫が崩れる音と、鶫の真横を掠めるように飛んでいった、黒い炎を纏ったバレーボール程の大きさの炎弾。たらり、と衝撃で切れた頬から血が流れた。
鶫がバッと後ろを振り向くと、崩れていく迷路の中から黒い影が出てくるのが見えた。
――それは、一匹の鬼だった。
青鬼の時よりも一回り小さくなった体に、黒いゴツゴツとした鎧のような物が全身を覆っている。その鎧の隙間から溢れるように黒い炎が湧き出ており、状況から考えると、先ほどの炎弾はこの鬼からの攻撃だと判断していいだろう。
鶫はその光景を見て、乾いた笑い声をあげた。
「ははっ、嘘だろ?」
――まだ続きがあるなんて聞いてないぞ。
壬生との戦闘から判断すると、あの青鬼の推定難度はE級クラス。普通であれば迷路での怪我で死んでなければおかしい。こうして新たな能力を身につけて復活するなんて、どう考えてもあり得ない。
そこまで考えてから、鶫は鈴城をしっかりと支え、全力でその場を離れようとした。今は思考している時間すら惜しい。あの鬼が生きている以上、鶫にできるのは鈴城を抱えて逃げることだけだ。
だが鶫が走り出すのとほぼ同時に、黒い鬼も続くように動き出した。
――あいつ、速い!!
その速度は、今の鶫の走る速度とほぼ同等。少しでも速度を緩めれば、簡単に追いつかれる。しかもあの鬼には、炎弾という遠距離からの攻撃方法もある。下手をすれば一瞬で仕留められてしまう可能性も高い。
鶫は鈴城のことを起こそうかと迷ったが、すぐに首を振った。彼女のスキルは強力だが、使用には制限がある。この状況ではスキルを使ったとしても、逃げ切ることは出来ないだろう。
そして冒頭の叫びへと戻るのだが、鶫の精神はもう限界に近かった。時折背後から放たれる炎弾を紙一重で躱し、少しずつ詰められる距離に神経をすり減らす。いつ死んでもおかしくない状況で、鶫は必死で逃走ルートを分析していた。
――このまま皆が待っている場所に向かわけにはいかない。少しでも障害物がある道を選んで時間を稼がないと。
……この時点で、鶫は瀕死の魔法少女のことを完全に切り捨てていた。頼みの六華が動けない今、鬼を倒す術はもう無いに等しい。鶫にできるのは、結界主である魔法少女が死に至るまで、鬼から逃げ続けることだけだ。自分の命の危機である以上、他の人間のことまでは構っていられない。
背中の鈴城を庇いながら、僅かな殺意を感じ取って炎弾を避ける。体中に細かい傷が増えていき、だんだんと足が動かなくなっていく。それでも鶫は足を止めるわけにはいかなかった。だが、限界はやがて訪れる。
「――っ、あ」
足元にあった石に躓き、鶫は体勢を崩してしまう。――その隙を、鬼は見逃さなかった。
黒い炎弾が背後から飛んでくる。鶫はなんとか体勢を変えようとしたが、どうしても半歩分避けられない。鶫は纏まらない思考の中で、とっさに鈴城を庇う様に体をひねり、目を閉じた。
――この位置なら、急所には当たらない。だから、怪我を負ったとしてもまだ動けるはずだ。
諦めたわけではない。鶫は、ここで死ぬつもりなんて一切なかった。そして来るべき衝撃に身構え、鶫は歯を食いしばった。
だが、痛みは一向に訪れない。
「……え?」
鶫は目を開けて、後ろを振り返った。
――そこに居たのは、白いフード付きマントを纏った人間だった。フードには兎のような長い耳が付いており、風をうけてゆらゆらと揺れている。
その人物は大きな板を盾の様に前に突き出して、鶫たちを守るように鬼の前に立っていた。
鶫は最初、時間稼ぎが成功したのだと思った。瀕死だった魔法少女が亡くなり、入れ替わりに彼女が入ってきたのだと考えたのだ。だが、尋常じゃない既視感がそれを否定する。
――鶫は、その人物のことを『知って』いた。
ガタガタと、体が震える。生理的な涙が滲み、嗚咽の様な声が漏れた。信じたくない。だが、目に入る現実がそれを否定する。
――どうして。なんで。アイツだけは――魔法少女になってはいけなかったのに!!
鶫は、震える声で叫んだ。
「――あ、ああ!! 千鳥!? どうしてお前が!!」
その叫びを聞いて白いフードの人物――千鳥は振り返って、悲しそうに笑った。
「……ごめんね、鶫」
◆ ◆ ◆
鶫たちが鬼を引き連れて迷路の中に消えた後、千鳥は釈然としないものを感じながらも、足早に虎杖たちが待機する場所へと向かった。
――何か理由はあるんだろうけど、鶫まで連れて行かなくてもいいのに。
千鳥は、鶫のことが本当に心配だった。今日に限らず、あの弟は目を離した瞬間に危険に足を突っ込んでいるというケースが多々あるのだ。
幼いころからそんなことが続いたせいで、千鳥は自分が必要以上に過保護になってしまったという自覚がある。だが鶫本人には、危険を冒している自覚はほとんどないのだから、千鳥の心労は測りきれないだろう。
今までは運が良かったのか、大した怪我もなく過ごすことができたのだが、年末の入院のこともあり、千鳥はどうしても不安が消えなかった。
だからこそ、千鳥は待機場所に戻ると、夢路に気絶している壬生のことを任せて、迷路がある場所へと戻ることにしたのだ。
その道の途中で、千鳥は以前に芽吹とした会話のことを思い返していた。
――芽吹は二人の関係を、共依存だと判断した。
たった二人きりの家族ということを差し引いても、互いに対する執着があまりにも大きすぎる。その際に芽吹は、一度しっかりDNA鑑定をして血縁関係をはっきりさせた方がいいと言っていたが、千鳥はその提案を拒否した。
鶫との血縁関係を疑っているわけではないが、千鳥は怖かったのだ。
もし、自分が鶫と家族じゃなかったら――。そう考えると、恐怖で震えが止まらなくなる。まるで自分の世界が根幹から変わってしまう様な、そんな恐ろしさがあった。
「恵先輩は、私と鶫の関係は歪だと言っていた。でも、それでも私は……」
――七瀬千鳥は、七瀬鶫のことを心から好いている。それは異性としてではなく、家族としてである。だが、もしも二人の間に血の繋がりがなかったら?
その大前提が崩れた時、いったい自分はどうするのだろうか。そんなこと、考えたくもなかった。
心の中に一抹の不安を抱えながら、千鳥は走り続けた。そして千鳥が燃える迷路の前にたどり着いた時、彼女は信じられないものを見てしまった。
「そん、な……」
千鳥が走ってきた方向から遠ざかるように駆ける、鶫の姿。その背にはだらんと両手を垂らした鈴城が乗っており、彼女に意識があるようには見えない。そしてその二人を追う様に、黒い姿をした鬼が咆哮を上げながら走っていく。
悲鳴を飲み込んで走り去る彼らの姿を見つめながら、千鳥は呆然と呟いた。
「……鈴城さんが失敗した? いえ、でもあの鬼の姿は、どう見てもさっきの青鬼とは違う。もしかして新手の魔獣、なの?」
そう口にしながらも、千鳥はカタカタと震える体を抱きしめることしか出来なかった。あの黒鬼は、きっと先程の青鬼よりも手強い。足だって鶫と同じくらいに速い上に、見た限りでは遠方からの攻撃手段もあるようだ。
――もし、鶫があの鬼に追い付かれたら。
間違いなく、鶫は死ぬことになるだろう。背負っている鈴城を捨てていけば逃げ切れる可能性は高くなるが、あの鶫がそんな選択をするとはどうしても思えない。
「ど、どうすれば。私はどうしたら、鶫を助けられる?」
――走って行って千鳥が囮になる。
無理だ。そんなことをすれば、逆に鶫が鬼の気を惹きつけるために動くに違いない。
――壬生を起こし、戦ってもらう。
起きても彼女が戦えるかどうか分からないし、今から戻っても間に合うとは思えない。
いくつか現状を打開する案を考えるも、どれも実現不能なものばかりで、決定打に欠ける。そして千鳥は、あえて考えない様にしていた案を口に出した。
「広場に倒れている魔法少女を手にかければ、あるいは……」
そして新しく派遣された魔法少女がここに来てくれれば、全てが解決する。……けれどそれは、千鳥の社会的な死を意味する。
どんな事情があったとしても、殺人を犯せば極刑は免れない。そもそも、魔法少女に対する傷害は、普通に罪を犯すよりもずっと重い。魔法少女の社会的重要度から考えれば、それも当然のことだ。もしこの場を上手く乗り切ったとしても、千鳥と鶫はもう一緒にいられなくなる。
千鳥は震える手をぎゅっと握りしめ、目を閉じた。こうして悩んでいる間も、鶫の身は危険にさらされている。――決断を、しなくてはならない。
「ふッ、うう……」
嗚咽と共に、閉じた目の間から涙が滑り落ちていく。鶫を救う為にやらなければならないことは分かっているのに、心がそれを否定する。
良くも悪くも、千鳥は善良な人間である。人を殺す覚悟なんて、簡単にできるわけがないのだ。
「――そんなに弟のことが心配か」
泣いている千鳥のすぐそばで、誰かがそう言った。無機質な、青年のような声。千鳥はハッと目を開けると、ぐるりと辺りを見渡した。だが、周りには人影はない。
「貴方は、だれ?」
警戒しながら千鳥がそう問いかけると、その声の主は「下を見ろ」と言った。千鳥が恐る恐る声に従って下を見ると、そこには一羽の白兎がいた。金色の瞳が、千鳥のことを見定めるようにじっとこちらを見つめてくる。
「一つ問おう。娘よ、お前は何があっても弟の味方で在ることができるか?」
千鳥は、白兎の唐突な言葉に戸惑いながらも、しっかりと頷いた。千鳥が鶫の味方になるのは、当たり前のことである。
――だが、この白兎は何故そんなことを聞くのだろうか。その真意を千鳥が問う前に、白兎は続けて口を開いた。
「娘。名を何という」
「ちどり。……七瀬、千鳥です」
困惑しながら答えた千鳥に、白兎は淡々と続けた。
「そうか。千鳥よ、このままではお前の弟は死ぬ。それは分かるな?」
「それは……」
その言葉に、千鳥はぐっと唇を噛んだ。そんなことは言われなくても分かっている。だからこそ、千鳥は迷っているのだ。
――でも、もし。もしも他に方法があるなら、人を殺す以外の方法を選びたかった。
そんな千鳥の迷いを察したのか、白兎は一つの提案をした。
「――ふむ。ならば、契約をしようではないか」
「……え?」
「千鳥。お前に戦う力を与えてやろう。――その代わり、事が済んだら私の『願い』を叶えてもらう」
白兎は目を細め、小さな白い手を千鳥に向かって差し出した。
「選べ。二度は言わん」
千鳥は涙に濡れた目を大きく見開いて、白兎のことを見つめた。――これは、神様からの『勧誘』だ。
千鳥は今、人生の岐路に立たされている。そう――魔法少女に、なるかどうかの。
在野の魔法少女は、神様に願いを叶えて貰うのと同時に、神様からの要望に応える必要があると聞いたことがある。
その願いとやらが何なのかは、きっと今は聞いても答えてはくれないだろう。この白兎の姿をした神様が求めているのは、応か否かの二択だけ。千鳥がそれ以外の言葉を口にすれば、夢幻のように消え去ってしまうだろう。
ならば、千鳥の答えなんてもうとっくに決まっている。
千鳥はそっとその場にしゃがみ込みながら、鶫のことを考えた。
――きっと、怒るんだろうな。
鶫は、きっと千鳥が魔法少女になることを許しはしないだろう。危険だからすぐに引退しろ、と叫ぶ姿が簡単に目に浮かぶ。
千鳥は、ふっと小さく笑って白兎の手を取った。そして恭しく頭を下げ、言った。
「どうか力を貸してください。――私は、鶫を助けたいんです」
「ああ。――契約は、成立だ」
その言葉と共に、ふわりと暖かい風が千鳥の周りを取り囲んでいく。まるで、体の一部が作り替わっていくかのような不可思議な感覚だった。服装が徐々に変化してく様を眺めながら、千鳥は白兎に問いかけた。
「神様。私は貴方のことを何と呼べばいいのですか?」
白兎はこてん、と首を傾げ、何かを考えるような仕草をした。そして、くるりと千鳥に背を向け、空を見上げながら言った。
「そうだな……。私のことは白とでも呼ぶといい。――さあ、準備ができたなら急ぐぞ。こちらもあまり時間がないからな」




