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葉隠桜は嘆かない  作者: 玖洞
二章
30/202

28.記憶の残滓

 鶫がふらつきながらベッドに戻り、頭を抱えていると、部屋の扉が開く音が聞こえた。寒そうに口元のマフラーを押さえながら、千鳥が部屋の中へと入ってくる。


「あ、起きてたのね。着替えを持ってきたんだけど、これで合ってる?」


 ほんのりと頬を赤く染めながら、千鳥が服――主に下着の入った手提げ袋を鶫に手渡した。

 それを受け取りながら、鶫は微妙な気恥ずかしさを感じながら礼を言った。普段は服の洗濯などは別々に行っているので、いくら姉弟でもこうして下着を見られると少し恥ずかしい。


「うん、大丈夫。わざわざありがとう」


「気にしないで。――まだ顔色が悪そうだけど、平気? 休んでいてもいいのよ?」


「問題ないよ。むしろ寝すぎてて体が痛いくらいだし」


 鶫がそうおどけて言うと、千鳥は安心したように笑った。


「鶫が一週間も入院になるのは寂しいけれど、しっかりと体を治さないとね。……本当に、鶫が死なないで良かった」


「千鳥……」


――目の前で家族が血を吐いて倒れる。それはどれほどの恐怖だったのだろうか。もし鶫が逆の立場だったらと思うと、体が震える。


 鶫はそっと彼女の右手を握った。千鳥の手に残る硬い剣ダコの跡は、まるで彼女の今までの努力を示しているかのようだ。少しだけかさついたその手が、鶫には何よりも尊いものに思えた。


「心配をかけて本当にごめん。……でも俺は、多分千鳥に危険が迫ったらまた同じようなことをするかもしれない」


 忙しい千鳥にあまり心配をかけるようなことは言うべきではない。そんなことは鶫にだって分かっていた。けれど、これだけは伝えておきたかったのだ。

 今まで何度も心の中で繰り返してきた言葉を、自分に言い聞かせるように声に出した。


「俺は千鳥を失うのが何よりも恐ろしい。――だって、千鳥は俺の唯一の家族(・・・・・)なんだから」


 鶫がそう言った瞬間、千鳥の瞳が不自然に揺れた気がした。そして千鳥は、取り繕う様に口を開いた。


「でも、今回の件は政府のシステムの不具合だったんでしょう? あんな風に巻き込まれることなんて早々ないと思うけど……」


「それは、どうかな……」


 ベルの言った言葉を思い出す。あのラドンは箱根の地に残る神話伝承を元にして顕現した存在だと言っていた。

 本来であれば誇るべきことなのだろうが、この日本には怪物、神話伝承はそれこそ山のようにある。ラドンという前提がある以上、今後も予測システムで把握できない魔獣が出現することは、ほぼ確実だ。そうなってしまえば市街への被害だって今以上に増えるだろう。


 今はまだ検証中だろうが、確証さえあればそのことは民間にも発表されるはずだ。そうなってしまえば、多少の混乱は免れないだろう。

 今よりも魔獣に人が害される確率が上がれば、千鳥が被害に遭わないとは言い切れない。鶫だって、四六時中彼女のことを見守っていられるわけではないのだ。


 鶫は千鳥の為なら強大な敵にだって、なけなしの勇気をもって奮い立てる人間だ。だからこそ(・・・・・)、千鳥を失うことを何よりも恐れている。千鳥という精神的な支柱が失われてしまえば、鶫は自分がどんな風になるのかまったく想像がつかない。考えただけで吐きそうになるくらいだ。

……それは家族愛というよりは、依存に近いのかもしれない。


「俺もできるだけ無理はしない様に気を付けるけど、千鳥もこれからは今以上に周りに気を付けてほしい。……頼むよ」


 そう言って祈るように目を閉じた鶫の頭に、コツンと何かが当たる――それは千鳥の頭だった。千鳥は空いていた左手で鶫の手をとり、息が触れるほど近くで、千鳥が言った。


「大丈夫よ。――私は鶫の側からいなくなったりしないから。何があっても、隣にいる」


「……それは少し重いかも」


「ええっ、鶫の方が最初にあれだけ熱烈に言ってきたのに? それはちょっと酷いんじゃない?」


「はは、冗談だって。嬉しいよ――ありがとう」


「もう、びっくりしたんだからね!」


 そう言って、二人で顔を見合わせてくすくすと笑いあった。


――ふと、子供の頃のことを思い出す。こんなことが前にもあったような気がしたのだ。幼いころ、怖い夢を見て飛び起きた時に駆けつけてくれた姉さん(・・・)。あの人は泣きじゃくる鶫を優しい顔で慰めてくれて――


――ずきん、と頭と胸が痛む。くらりと視界が一瞬だけ揺れた。

……いま何かを思い出しかけたような気がしたんだけれど、気のせいだったのだろうか?


「……そういえば、さっき芽吹先輩が変なことを言っていたんだ」


 千鳥の手を放し、一息ついたところで鶫は呟くように言った。そう――まるで笑い話でもするかのように。


「『過去のことを覚えていないのに、何故君たちはお互いを姉弟(かぞく)だと認識できるんだい?』だってさ。変なことを聞くよな、先輩も。……千鳥? どうかしたか?」


「あ、ううん。何でもないの。ただちょっと寝不足みたいで」


 心なしか表情を曇らせて千鳥はそう言った。もしかしたら倒れた鶫のことが心配であまり眠れなかったのかもしれない。そう考えると、罪悪感が少し顔を出してくる。

 別にラドンと戦ったことは後悔していないけれど、千鳥にこんな顔をさせたかったわけではないのだ。


「そうか……。俺が言える台詞じゃないだろうけど、あまり無理はしないでくれよ。千鳥が元気でいてくれるのが俺にとっては一番重要なんだから。それにこれ以上千鳥に迷惑をかけたら、また剣道部の後輩に呼び出されるだろうし……」


 その時のことを思い出し、鶫は苦笑した。今年の七月頃――鶫がベルと出会うよりも少し前の話だ。

 千鳥が鶫の世話を必要以上に焼いていることを知った彼女の部活の後輩たちが、「先輩の手を煩わせないでください!」と校舎裏で鶫に直談判してきたのだ。その場は突然現れた芽吹が爆笑しながら収めてくれたのだが、鶫の心の傷は割と深かった。すわ告白かと思った鶫の純情を返して欲しい。


 鶫がそう言うと、千鳥は頬を赤らめて口を尖らせた。


「あの子達にはちゃんと言って聞かせたから。……それに、私は迷惑だなんて思ってないからね」


「一応俺だって一通りのことは出来るんだから、そこまで気を回さなくてもいいんだぞ? 何なら千鳥が忙しい分、家事の割振りとかもこっちに傾けたっていいんだし」


「もう、そういうのは今まで通りでいいわよ。だって部活は私が好きでやってることだから、それで鶫に頼ったら不公平でしょ?」


「そういうものか? 別に千鳥がいいならそれでいいんだけど」


 何となく納得がいかなかったが、鶫は渋々といった風に頷いた。千鳥がそういうならば仕方がない。


 そして千鳥は、暫くの間話をした後に名残惜しそうに鶫の病室を後にした。その背中を見送りながら、鶫はほう、と息を吐いた。


――あの様子だと、千鳥は鶫の変化(・・)をあまり気にしていない、というか気づいていない可能性がある。鶫だって芽吹に言われなければ気づかなかったのだ。実際のところ、最初から変わっていると思って見ないと分からないレベルなのかもしれない。


 そう思い、鶫は先ほどから感じていた気配の主に声を掛けた。


「――ベル様はどう思う?」


「なんだ、気が付いていたのか」


「まあ、何となくね」


 病院で目が覚めた時から、何だか感覚が鋭敏になっている気がする。誰もいない筈なのに、気配の様なものを感じる時がたまにあるのだ。ここが病院ということもあり、深く考えると少し怖い。


 鶫は自分の顔をそっと撫でながら、沈痛な面持ちでベルに聞いた。


「あのさ、俺の体って今どんな状態なのかな」


――体の損傷は快方に向かっている。けれど根本的な問題はまだ解決していないのだ。戦って怪我をするのはまだいい。それくらいの覚悟はできている。けれど、これだけは話が別だ。


……もしかしてこのまま緩やかに女の体になってしまうのではないだろうか。これが後遺症というなら、鶫にとっては何よりもダメージが大きい気がする。そう思うと、魔獣と戦うのとは別のベクトルの恐ろしさを感じてしまう。


「結界を解く際に、ラドン戦での怪我は問題なく治っていた。貴様が倒れたのは、急激な治癒に体が耐え切れず、魂の傷が時間差で反映されたからだろう。……それにしては軽症だったがな」


「今はどうなんだ?」


「それを今から調べる。――貴様も分かっていると思うが、もう二度とあの方法を取ることは許可できない。今回は何故か軽症で済んだようだが、次は確実に死に至る(・・・・)ぞ。それも、惨たらしい有様でな」


「……肝に銘じておくよ」


 ベルは鶫を見据えるように睨むと、はあ、と溜め息を吐いた。どうにもまだ疑われているようだ。鶫だって、あんなことはできればもう二度としたくない。


 暫く無言のやり取りを続けると、ベルは不満げに鼻を鳴らした。どうやらこれ以上の追及は諦めたようだった。


 ふわりと鶫の目の前に来たベルは、虚空から宝石を散りばめたオペラグラスの様なものを取り出した。


「これはとある神から奪っ――んんっ、借りてきた魂の形を視る道具だ。これを通してみれば貴様の状態も大体分かるだろう」


 そしてベルは、オペラグラスの真っ黒なレンズを通して鶫のことを見た。ぞくり、と奇妙な感覚が体を過る。まるで肌の敏感なところを擽られているかのような気分だ。


 難しい顔をして、ベルは不機嫌そうに口を開いた。


「ふむ。……ふん、はっきり言うぞ。貴様の魂は間違いなく欠けている(・・・・・)。元に戻ることは決してないだろう――だが、それを補って余りあるほどの何かが貴様の魂を覆っている。これは本来、人間ではありえない現象だ。……我の知らない間に何某かの加護でも受けたのか?」


 ひどく複雑そうな顔をして、ベルはそう言った。どうやら鶫が何らかの存在に干渉を受けているのが、気に食わないようだ。

 けれど鶫は、加護と言われても心当たりなんて――。


「……あ、あの女の子」


「心当たりがあるのか」


「心当たりというか、夢の中の話なんだけど――」


 そして鶫は、倒れる前にみた夢の話を話し始めた。ベルは鶫の話を聞き終わると、考え込む様に両手を組んだ。


「なるほど。その夢とやらも、おそらく今回のことと無関係ではないだろうな。貴様には巫子の適性がある。夢渡りに近いことが出来てもおかしくはない。――それに、いま貴様に纏わりついているその何か(・・)は陰の気が強い。元来陰陽のソレは女を示すものだ。肉体は基本的に魂に沿って修復されるから、貴様の顏が多少女に近くなったのはそれが原因だろうな」


「つまり俺の欠けた魂は、その女の子の魂で補完されているってことなのか? そして補われている分だけ、体を治す際に女性として(・・・・・)治されてしまった。……えっと、なんで俺がそんなことになってるんだ?」


「我が知ってるとでも思っているのか?」


「だよなぁ……」


 鶫はズキズキと痛む頭を押さえながら、苦しげに呻いた。自分自身のことなのに、どうなってるのかがまったく分からない。そもそも、あの女の子は一体何なんだ。


「魂の形質を見る限りは、その何かには明確な意思は無いようにもみえる。もし浸食が進んだとしても、人格を乗っ取られるという心配はしなくてよさそうだな」


「……そんな心配までしなくちゃいけないのか? 勘弁してくれよ」


「だが、この様子だとこの何かが貴様に取りついたのは最近の話ではなさそうだぞ。それこそ数年、いやこの様子だと十年は堅いな。そうでなければ、こんなにも早く馴染むなどありえない。現に大した拒絶反応もなく過ごせているのはその為だ」


「十年、か」


 そう呟きながら、鶫は微かな違和感が残る左眼に触れた。ラドンと戦ったあの時――鶫の左眼には、不可思議なモノが映っていた。ラドンの全身に絡みつく、轟々と燃え続ける赤い糸(・・・)。その糸をなぞるように指を動かせば、あまりにも簡単にラドンは輪切りになっていった。


 その光景を見て思い出したのは、やはり十年前の大災害のことだ。……薄々気づいてはいたけれど、鶫の失われた過去というのは、とんでもない厄ネタなのかもしれない。


「そろそろ向き合わなくちゃいけない時が来たのかな」


 そう小さな声で呟いた。――忘れていた方が幸せだよ、と頭の中で誰かの声がする。けれど、もう逃げてばかりはいられない。


――まずは手始めに、一歩だけ前へと進んでみようか。

 鶫はベルの方を向いて、何かを決意したようにぐっと小さく拳を握った。


「そういえばさ、ずっとベル様に聞きたいことがあったんだ」


「なんだ、言ってみろ」


 鶫の言葉に、ベルはそう不遜に答えた。そのいつも通りの態度に苦笑しながら、鶫は口を開く。


「――ベル様の名前(・・)、そろそろ教えてよ。自分の神様の名前も知らないんじゃ、格好がつかないだろう?」


 いきなりの言葉に、ベルはぽかんとした顔をして目を瞬いている。その少しまぬけな様子に鶫は笑った。

――この優しくも(かたく)なで、傲慢で愉快な神様のことが、鶫は本当に大好きだ。心からそう思うことができた。


――たとえこの場に隠れていた(・・・・・)もう一柱の神様に、(のち)に『あの時の君はまるで、刷り込みをされた雛鳥のようだった』と揶揄されたとしても、きっとその思いだけは変わらないだろう。


ベル様はたぶん索敵能力は低い。


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― 新着の感想 ―
そんな抜けてるベル様もかわいい
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