24.星屑の輝き
――『魔法少女』とは一体何なのだろうか。鶫はずっとそのことを考えていた。
政府の公的な定義としては、神と契約した巫女という見方が強いらしい。けれど鶫は、魔法少女として実際に日々を過ごすことで、その本質を悟っていた。
【暴食】というスキルを持つ鶫だからこそ分かる。魔法少女の持つ力と、魔獣が持つ力は、ほとんど同じものなのだと。
考えてみれば、何もおかしなことはない。この現代に神が顕現できるのは、魔獣が現れる原因となった次元の割れ目から漏れ出るエネルギーを利用しているからだ。
そのエネルギーを神力に変換し、少女に注ぎ込むことによって魔法少女という戦うための存在が形作られるのだ。
そして鶫は魔法少女の中でも、例外中の例外である。鶫の全身は既に大部分が作り変えられている。
一度目は命を救われた時。二度目は女性の体へ変身できるようになった時。三度目以降は――暴食によって魔獣の体を喰らった時。
――本当は気が付いていたんだ。戦いが終わる度に、段々と自分の体が人の理から外れていくことを。
ずっと見ないふりをしていた。鶫が違和感を指摘した時、ベルが気にすることはないと言ったから、大丈夫だと思い込むことにした。
実際にそれで困ったことはなかったし、何よりも魔法少女として強くなれたことが嬉しかった。今では、それで良かったんだと思っている。
――だから、自らの手足を喰らう獣の口を見て、鶫は自分の推測が当たっていたことを悟り、心から安堵したのだ。
◆ ◆ ◆
ベルは食い荒らされる鶫のことを、ただ見ていることしか出来なかった。神が戦いに干渉することは許されていない。倒れそうになる体を支えることすら、ベルには出来ないのだ。
――ごぼっ、と鶫が血を吐き出す。手足だけではなく、どうやら中身もいくつか食われたらしい。
【暴食】のスキルを用いて、自らの肉を食わせる。――それは最も効率的な贄の捧げ方である。
そして鶫の覚悟と献身――その純化された思いは、【暴食】の効果を倍増させている。現にベルの体には、変換されて増幅された力が大量に流れ込んできているのだから。
あとはこの純化した『神力』を鶫の器に注ぎ込めば、他のスキルも何らかの強化が起こるはずだ。一時的なものだろうが、一瞬ならばA級に匹敵する力を出すことも可能だろう。
――けれど、その代償は大きい。おそらく鶫の器は、その膨大な神力には耐えきれない。今を凌いだとしても、遠からず死に至るだろう。
この力をどうするかは、ベルの判断に委ねられている。その責任の、なんと重いことか。だが、迷うことは何もない。
「勝ちたいと言っていたからな。――それに答えずして、何が神か」
――ベルはかつて、人を統べる神であった。時代の流れで悪神と貶められ、悪魔だと蔑まれた。人間は身勝手で、傲慢で、愚かしい生き物である。けれど、美しいと思えるモノも確かに存在するのだ。
何よりも、ベルのことを真っ当に神として慕う鶫の期待だけは裏切れない。
ベルは鶫との間に繋がっている経路を通し、神力を送り込んだ。壊れないことを願い、慎重に注ぐ量を見極める。
――人の為に祈るなんて、何千年ぶりだろうか。この分霊の体では、碌な奇跡は起こせない。唯一できるのはただこうして祈ることだけ。
――ああ、それでも。この場に偉大なる神と、純粋なる巫子が揃っているのだから、奇跡の一つくらい起こせない筈がないだろう?
ふわり、と暖かい風が鶫の周りを取り囲んだ。
鶫の手足から流れ出れる血が、一本の糸のようになり、周りを漂うようにくるくると動き出した。その赤い糸は、まるで編み物をするかのように失った手足の形となり、何事もなかったかのように鶫の体に収まった。
ゆっくりと、鶫が目を開く。その左眼の色彩もまた血のように赤く、人ならざる気配を醸し出していた。
そんな鶫の様子を見て、ベルは息をのんだ。
纏わりつく赤い糸や、左眼から漂う濃厚な死の気配。それはベルのよく知る神の権能に似ていて、ベルは思わず全身の毛を逆立てた。
――似ている? だが、同じではない。
鶫のアレは神の力というよりも、もっと原始的なモノに近い。かつて死が最も身近にあった、神が覇権をとるよりもっと前の時代――その残滓。動物が他者の死を予知するような、その類の異能だ。
鶫は糸で作られた腕をぐっと握り、その動きを確かめると、ベルに向かって言った。
「じゃあ、行ってきます」
まるで散歩にでも出かけるかのような気楽さで、鶫は言った。それに対し、ベルも同じように返す。
「ああ、行ってこい」
その素っ気ない返事を聞いて、鶫は笑った。そして滑るような速さで一本の尾に向かって駆けだしていく。その背中に、悲壮感はなかった。
――いくら魔法少女は痛覚が鈍いとはいえ、あれだけの傷を負って痛みを感じていない筈がない。けれど鶫は、まるでプリマドンナのような軽やかな足取りで、ラドンの尾を端から淡々と切り刻んでいる。
高速で振るわれる尾の下をくぐり、通り抜け様に首から胴体を切り落とす。さっきの苦戦が嘘のように、硬い尾をバターのように寸断していく。
そして驚くべきことに、あの赤い糸で切った部分は再生ができなくなっているようだった。あの時感じた死の気配は、きっとラドンの不死性を封じる働きをしているのだろう。
急に動きが良くなった鶫に焦ったのか、ラドンは続けざまに尾を使って攻撃を繰り返してくる。眩しいほどの光線を同時に放ってくるが、鶫は最小限の動きでそれを躱していく。まるで未来が見えているかのように。
鶫は水上に見えていた尾を粗方片付けると、湖を見つめながらぽつりと呟いた。
「……これ、邪魔だな」
そしておもむろに両手を湖の中に浸けると、そのまま転移で姿を消した――それも、湖の水ごとだ。
――驚くべきはその質量だ。この湖の広さは東京ドーム150個分はある。その大量の水ごと転移をするだなんて、普通に考えたら馬鹿げている。
そんな膨大な量の水を、手を触れるという一工程で消してみせた。いくら鶫の持つ転移のスキルが優秀とはいえ、ここまでくると少し化け物じみている。
だが他のA級の魔法少女も、形は違うが多かれ少なかれ似たような規模のことはできる。鶫の能力がA級レベルまで底上げされていることを考えれば、そこまでおかしいことではないのかもしれない。
……けれど、結局その力はドーピングによる紛い物だ。いま使える力が大きければ大きいほど、後にくる反動は大きいものになる。
「出し惜しみしている余裕は、ないのだな」
一瞬で燃え尽きる綺羅星のように、刹那の時間を駆ける。そんな鶫が誇らしく、そして腹立たしい。
――生き延びると言ったくせに。
そう思い、ベルは首を振った。今さら何を言っても仕方がない。そんな後ろ向きな気持ちと共に、天気まで少し暗くなったような気もする。
視界を遮るものが無くなった湖は、もはやすり鉢状の屠殺場に過ぎない。
転移で戻ってきた鶫は、あやとりでもするかのように自由自在に糸を操った。その姿はまるで踊りながら、音楽の指揮でもしているようだった。紡がれるのが血しぶきと破壊音なのは皮肉な話だが。
切って、刻んで、転ばせて。時には首を操って同士討ちをさせ、的確にラドンの体を刻んでいく。そして数分もしないうちに、ラドンの体をほとんど寸断してしまった。ある意味、動きの遅い巨大な体が裏目に出たともいえる。
だが、その一方で鶫の体も限界が近いようだった。倒れこそしないものの、その顔色はひどく青白く生気を感じさせない。
鶫は肩で息をしながら、ふらふらとラドンの本体――その内の一本の首へと近づいていった。
けほっ、と少なくない量の血を吐きながら鶫は首に向かって言った。
「再生は封じたけど、これだけじゃまだ死なないか」
鶫は、首だけになって尚も睨み付けてくるラドンを前に、ひどく冷静な表情をしていた。
ラドンは無防備に近づいた鶫に光線を放とうとするが、鶫がくいっと指を動かすだけで簡単に的を逸らされてしまう。ラドンからしたら、まさに悪夢と言ってもいいだろう。
「――……解除」
鶫がぼそっと何かを呟くと、湖中に散らばるラドンの体に絡みついた糸が、仄暗い光を放ち始めた。悍ましいほどの死の気配が芦ノ湖全体に満ちていく。ここが地獄だと言われたら、普通の人間は信じてしまいそうだ。
「良かったよ。仕込みが無駄にならなくて」
そう言って鶫は、暗くなり始めた空を見上げた。
――そこで初めてベルは異常に気付いた。昼間にしてはあまりにも暗すぎる空と、だんだんと近づいてくる異音。
ここでもう一度思い返してみよう。――鶫はあの膨大な湖の水を、一体何処にやったんだ?
ベルはハッとして空を見上げた。目を凝らすと、微かに緑色に濁った大小の塊が、空から降ってくる。
「まさか、水を空へと持っていったのか……!?」
鶫にしてみれば、普段の移動に使っている横軸の移動も、今回の様な縦軸の移動もそう変わらないのだろう。恐ろしいのは、その発想だ。
ベルが鶫を見ると、鶫は満足そうに笑っていた。まるで、上手に絵が描けた子供の様な純粋な笑顔だった。
「上空の中間圏の気温は氷点下よりも遥かに冷たい。大量の水だって、ある程度ばらけさせれば簡単に凍ったよ。転移を使って時間を調節すれば、落とすタイミングだってこの通り!」
叫びながら、鶫は大量の血を吐き出した。けれど、そんなことは気にも留めずに話し続ける。
「死の運命は既にお前たちを蝕んでいる。たとえ不死だとしても、死の因果から逃れることは決してできない!!」
――大木よりも大きな氷の刃が、星のように大量に降ってくる。移動手段を封じられたラドンは、それを避ける術がない。
「――俺の、勝ちだ」