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葉隠桜は嘆かない  作者: 玖洞
七章
202/202

193.綱渡りの必然

 吾妻は静かに息を吐き出し、影を伸ばして遠くに感じる壬生の気配を探った。壬生はその場で軽いジャンプを繰り返し、タイミングを計っているようだ。


 パンっ、とはるか上空で何かが弾ける音が聞こえる。どうやら階段の準備が整ったらしい。


――その刹那、壬生の気配がブレる様に掻き消える。


 魔法少女として強化された感覚でも追いきれないほどの速度。恐らくは、自分の体が壊れないギリギリまでの速度を出しているのだろう。

……この場合、壊れないというのは行動不能にならないという意味であり、きっと体にダメージ自体は普通に負っているのだろうが。


 そうしてほんの瞬きにも満たない時を経て、背中へと走る衝撃と共に吾妻は自分の仕事を全うしてみせたのだ。



◆ ◆ ◆



 壬生は音速を超えた速度の中で小さく吐息を漏らした。


――ただ走って眼前の敵を斬る。そのなんと難しいことか。


 敵までの道は吾妻と鶫によって用意されていた。それでも斬るべき相手へとたどり着くのが難しいのは、壬生の力が足りないからだ。


 壬生が斬るべきモノ――それを鶫は邪神がこの地に留まるための縁と呼んだ。

 次元の裂け目と邪神が繋がる糸を切れば、自ずと邪神は元居た場所へと送還される。

 希望的感覚ではあるが、壬生たちはそう判断した。根本的な解決にはならないかもしれないが、それが今できる最善だった。


 即ちこれは神を倒すための戦いではなく、退けるための戦いである。


――年頃の少女としては神殺しという響きに憧れはあるが、高望みは止めておこう。


 そう心の中で自嘲し、身体が許す最高速度で道を駆け抜け、躊躇なく吾妻の背に足を降ろす。


 ここで力加減をして吾妻を気遣うのは、吾妻の覚悟に泥を塗ることになる。

 それだけはしてはいけないと、壬生は自分に言い聞かせた。


 そうして吾妻の背に足が触れた瞬間、視界が切り替わり、体が少し軽くなる。上空へ来たことで少しだけ重力に差異が出たのだろう。


 目の前には鶫が作り上げた階段が広がり、目玉の化物が奥に見える。


 微かに伸びる目印の糸を頼りに、壬生は爆ぜるように速度を上げた。



◆ ◆ ◆



――時は、壬生の第一走目まで遡る。


 ビルの中から外の光景を観察していた女神エリスは、不満そうに眉間にしわを寄せた。


 上位者としての主義に反するため、人が必死で足掻いている間には手を出すつもりはないが、不快なものは不快である。


――つい先ほどまで殺し合いをしていたというのに、人は簡単に意見を変えて手を取りあってしまう。彼らには節操というものがないのだろうか。ずっと争ってくれていた方が見応えがあるというのに。


 そんな事を考えながら、ぼんやりと外の光景を観察していると、ぞわり、と背後の気配が蠢くのを感じた。

 緩慢な動作で、後ろに振り返る。


 そこには、一人の幼い少女が立っていた。


――否。側は少女だが、中身は見知った気配がした。

 自分とは立ち位置が異なる、陽の気を纏った神性。黄金の女神――フレイヤがそこに居た。


「人の子が足掻く姿は美しいな。汝もそう思うであろう?」


『審議が必要』『足掻く姿は面白いけど』『諦めて潰れないのはつまらない』『で』『黄金の女神(フレイヤ)は何しに来たの?』


 そうエリスが問うと、少女を依り代としているフレイヤは微笑みながら言った。


「無論、此度の結末を見届けにな。舞台から降りた妾には相応しかろう?」


『ふん』『どうせ私の勝ちだから』『負ける理由がない』『ほら』『やっぱり駄目だった』『届くわけないのに』


 そう言って外の光景を指さす。


 あと一歩という所で力が抜け、壬生という少女が落ちていく姿が見えた。

それを糸のようなもので回収する贄の子供を見つめながら、エリスは当然のようにそう告げた。


『神の時代ならまだしも』『神の血を引くわけでもない子供がどうして敵うと思うの?』『馬鹿みたい』


 エリスが刻み込んだ召喚のシステムには、一定の距離に近づくと力を吸収・無効化する効果を植え付けてある。そこら辺の分霊の力を借りただけの(かんなぎ)風情が突破できる代物ではないのだ。


 だが、フレイヤは見てみろとでも言いたげに地に降り立った三人の方へと顎をしゃくる。

 人の子たちは、明らかな失敗の後だというのに諦める様子は見受けられない。いっそ忌々しいくらいだ。


「どうやらまだ折れてはいないようだな。汝は人の子を侮りすぎだ、悪の(めがみ)よ。――あれ等が持つ意志の強さとやらは、我らが思うよりもずっとしつこいぞ?」


『不愉快』『不可解』『不理解』『何故諦めないの?』『全部無駄なことなのに』


 エリスが呼んだ塞ノ神の完全顕現は時間の問題である。塞ノ神の力を利用し、邪魔をする政府側の神々が入って来れないように結界も張ってある。あとはもう時間が経つのを待つだけだ。言ってしまえば、もうエリスの勝利は確定しているのだ。


 それなのに、あの子供たちは諦めない。いっそ清々しいほどに。

 いくら反撃をしてこないとはいえ、塞ノ神の放つ濃厚な気配は人の子には毒だ。羽虫程度の存在が、なぜ苦しんででも神に立ち向かおうとするのだろうか。それがエリスには、本当に理解できなかった。


「それは彼らが人間だからだ。生き汚く、泥臭く、傷を負ったとしても大切な物を諦めきれない我欲(エゴ)の奴隷。ふふふ、本当に愛らしい」


『……趣味が悪い』『それに』『愛でるのはわたしの役割じゃない』『お前の価値観を押し付けるな』


 不愉快そうにエリスがそう告げると、フレイヤはにやにやと笑って目を細めた。


「ふふ、お主も定められた定義からは逃れられぬか。まあ良い。――ほら見てみろ、花火が上がるぞ」

その声に釣られ、エリスは外を見つめた。


 小柄な少女――壬生百合絵が紫電を纏う。


 その姿が闇夜に消えた刹那、空に白い光が瞬いた。




◆ ◆ ◆

 



 一歩、素足で階段に踏み込む。まだ目玉は遠い。


 二歩、重心を落とし刀を握りしめる。目玉に少し近づいた。


 三歩、鶫が示した糸の道を頼りに刀の軌道を見定める。目玉の虹彩が良く見えた。


 四歩、頭に直接泥を流し込まれたかのように意識が混濁する。目玉が、こちらを見ている。


 五歩、口に含んでおいた桃の欠片を呑みこむ。体はまだ動く。


 六歩、踏みしめていた足の裏から伝わるように、力の流れを感じた。目玉の奥に、何かが見える。これが、鶫の言っていた視界なのだろうか。


 七歩――斬るべきモノを理解(・・)した。


 八歩、頭で考えるよりも速く体が動く。今まで積み重ねてきた刃を振るうという動作を行使する。そこに、他者の介入は許さない。



 九歩、――光が弾けた。





◆ ◆ ◆





 IFの話をしよう。


 もし壬生が遊園地での経験を活かし本物の刀を持ち込んでいなければ、邪神に届く前に攻撃の手段は失われていた。


 もし吾妻が壬生に全力で走るように提案しなければ、そもそも壬生の刃は届かなかった。


 もし遠野が鶫に浄化用の桃を持たせていなければ、壬生は四歩目で倒れていた。


 もし桃に鶫の血が付いていなかったら、素足を通じ鶫の視界と壬生の視界がリンクすることはなかった。


 他にもいろいろな要因はあるが何か一つでも欠けていれば、きっとこの結末は起こりえなかっただろう。


 霞のようにか細い道筋から、必然という名の奇跡を――彼らは自分の手で手繰り寄せたのだ。




◆ ◆ ◆




 落ちる。墜ちる。落ちて行く。


 翼を焼かれたイカロスのように白い閃光を浴びながら、少女たちは落ちていく。


 特殊な目を持った鶫だけが、結末を見届けていた。


 階段を目にも留まらぬ速さで駆け抜けた壬生は、鶫の糸が指し示す先にある核――邪神とこの世界を繋ぐ縁を、まるでその目で見えているかのように正しく切り裂いてみせた。


 切り裂かれた個所から、力の奔流のような白い光が漏れる。その光は爆発的に空の裂け目を徐々に塞いでいき、やがて何もなかったかのようにただの夜空へと変わった。


「――綺麗だな」


 柄にもなく、そんな言葉が口から零れた。


 先ほどまで見るにも堪えない悍ましい邪神がそこに居たというのに、空の星はそんなことは関係ないとばかりに静かに輝いている。


「……おっと、そんなことより二人を見つけないと」


 ハッとしたように周りを見渡し、同じように落下している少女たちを回収する。


 壬生は完全に気を失っていたが、呼吸はちゃんとしていた。どうやら、今回はそこまで汚染の影響はないらしい。


 一方吾妻はというと、こちらの状態はあまり良くはなかった。触れた感触だと、恐らくは骨が数本折れており、何よりも背骨の辺りのダメージが深い。急いで病院に運ばないと、手遅れになるかもしれない。


 意識の無い二人に負担をかけないようにゆっくりと下に降り、比較的綺麗な地面に寝かせておいた。その際、先ほど見つけた自分のコートを吾妻の上に掛けることも忘れない。体があんな状態では服を着せることも出来ないし、流石の鶫も吾妻を下着姿のままにしておくのは気が引けたからだ。


「……はぁ」


 小さく息を吐き出し、空を見上げる。


――これで終わった、のだろうか。


 何もおかしな事などなかったかのように、空は静かに星々が煌めいている。だが、それが何故か恐ろしい。

 この国を混沌に落とそうとしていた企みを阻止したというのに、この胸騒ぎは何なのだろうか。


 そう思案している内に背後に気配を感じ、鶫はバッと振り返った。


「ッ、誰だ!!」


 そこには、不満げな表情を隠しもしない女神――エリスが佇んでいた。


 どうやら鶫たちが作り出したこの結末は、かの女神にはお気に召さなかったらしい。

 まあ、それは当然だろう。神には些細な時間かもしれないが、十年近くかけた計画を潰されたのだ。面白く思うはずもない。


『――つまらない』


 エリスはそうポツリと告げると、淡々と話し始めた。


『負けちゃった』『不愉快』『十年も掛かったのに』『門は閉じてしまった』『面白くない』『あーあ』


「……まだ、何かするつもりですか」


『いいや?』『約束は約束だから』『これ以上は怒られる』『残念無念わたしはここで敗退』『次の走者に期待しよう』『ま、退屈しのぎになったかな』


 エリスはそう告げると、音もなく鶫に近づいてきた。そのまま背後から、硬直した鶫の周りを覆うかのように黒い翼を展開させる。


『頑張った子にはご褒美を』『このままアイツ等が勝つのもムカつくし』


 黒い繭になったような檻の中で、不和と争いの女神(エリス)はささやく。


『――傾聴せよ』『これは神の言葉である』


 そうしてエリスは、鶫の耳元に口を寄せてこう告げた。


彼ら(・・)の目的はアマテラスの神権の剥奪』『及び』『この国の乗っ取り』『計画の核となるのはお前の()』『大事な人を守りたいなら』『精々必死で足掻くといいよ』


「……は、えっ、彼らって一体どういうことだ——―!?」


 鶫がそう叫ぶように振り返ると、もうそこには誰もいなかった。



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― 新着の感想 ―
久しぶりに、1話から拝読いたしました。 秀逸な設定と文章に惹き込まれ、つい時間を忘れて最新話まで読んでしまいました。 拙い感想ですが、これからも更新心待ちにしております。
更新ありがとうございます 大好きな小説です!
更新来てたー また大きな爆弾が残りましたね。 楽しみにしてた作品の継続が確定っぽくて嬉しいです。
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