130.血まみれの来訪者
明らかに大怪我を負っているであろう出で立ちで現れたのは、因幡たち対策室の面々もよく見知った少女――葉隠桜だった。
「は、葉隠さん!? その怪我は一体……!?」
因幡がそう問いかけると、葉隠はきょとんとした顔をしながら「あれ、柩さんから連絡がいっていませんでしたか? 行き違いになってしまったんでしょうか」と言って小首をかしげた。
「柩さん? どういうことですか?」
「ええと、長くなってしまいそうなので簡単に説明すると、偶然海で柩さんとお会いした時に花型の魔獣に襲われたんです。幸いにも私と柩さんは無事だったのですが、柩さんの知り合いの少女が怪我をしてしまって……。その怪我について相談したいことがあって対策室に来たのですが、もしかしてお取込み中でしたか?」
そう言って、葉隠は不安そうに顔を曇らせた。
……何をどうしたら柩と偶然会うことになるのかは分からないが、それでも彼女がここに来た理由は理解できた。そして因幡は小さく息を吐くと、葉隠に近づいて口を開いた。
「つまり、葉隠さんも被害の現場に居合わせたんですね」
「え? 私もというのは?」
状況を理解できていない葉隠に因幡が事情を簡潔に説明すると、葉隠は「そうですか。他にもそんなに被害者がいるなんて……」と呟くように言った。そして静かに顔を上げると、真っすぐに因幡を見つめて口を開いた。
「あの、もし私がお手伝い出来ることがあったら何でも言ってください。――それと、因幡さんにこれを渡したくて」
葉隠は血で黒ずんだポケットにそっと手を入れると、小さな黒い物体を掌にのせて因幡の前に差し出した。
「魔獣の種です。情けない事に一発だけ避けきれずに当たってしまって。捨てるのも不味いと思って持ってきたんですけど、良かったら役立ててください」
そう少し恥ずかしそうに告げた葉隠に、その場の皆が絶句した。
……よくよく見てみれば、パーカーの左側に小さな穴が開いている。恐らくそこに被弾したのだろう。だが、ならばどうして種がそのままここにあるのだろうか。
因幡が呆然とその種を見つめていると、近寄って来た壬生が興味津々といった様子で種を覗き込みながら、葉隠に軽い様子で問いかけた。
「これが例の種か。取り出すときとんでもなく痛いと聞いたけど、大丈夫だったのか?」
「ああ。まあ多少は痛かったですけど、すぐに取り出したのでそこまででは。怪我も糸で縫って塞いでいますし、心配してもらう程ではないですよ」
――そう笑って告げる葉隠のことを、因幡は少しだけ恐ろしく感じた。並みの魔法少女でもショック死しかねないその行動を、何でもないような顔で言ってのけるその姿はあまりにも歪に思える。いや、平時では真っ当に見えるからこそ、よりそんな風に感じるのかもしれない。
因幡はそんなことを思いつつ、雑念を振り払うように小さく首を振った。――何はともあれ、種が手に入ったことで突破口は開けた。あとは薔薇に種を解析してもらい、次の手を考えることが重要だろう。
「ありがとうございます、葉隠さん。本当に助かりました」
そう言って因幡は万が一の為、直接種に触れないようにハンカチ越しに種を受け取り、そのまま種を薔薇に手渡した。
「薔薇さんは早急に種の解析をお願いします。――それと壬生さんは葉隠さんを医務室にまで連れて行ってあげてください。その様子だと、いくら傷をふさいだとはいえ、きちんと治療はされてないでしょうから。……あとその、できれば着替えもした方がいいかと。その恰好は少し刺激的ですから」
そう言いながら、葉隠の恰好を見やる。パーカーに広がった血はほとんど乾いて黒ずんだ色になっているが、腕の部分がわずかにまだ赤い。本人がそこまで気にしていないとしても、きちんとした治療を受けるべきだろう。
……それに加え、先ほどから惜しげもなくさらされた白い足がどうしても気になる。本人曰く海にいたという話なので、恐らくは水着のまま着替えないで此処に来たのだろう。
着替え時間のロスを気にしてくれたことは素直に嬉しいのだが、先ほどから水着のことを指摘していいのか迷っている職員たちがそわそわし始めている。良い意味で目に毒なので、そろそろ着替えてほしいというのが本音だった。
すると葉隠は、何を言われたのか分からないといった風に首を傾げ、「刺激的……?」と不思議そうに呟いた。そのままゆっくりと下を向いて自分の姿を見つめると、ぴたりと動きを止めた。そして数秒の沈黙を経て顔がぶわっと一気に赤くなり、葉隠はバッと足を隠すように両手を重ねた。
はくはくと言葉にならない声を上げ、動揺を隠しもせずに葉隠は口を開いた。
「ち、違っ、これはその、さっきまで海にいたからっ!! でも急がなきゃいけないと思って!! ……は、恥ずかしい、忘れて下さいっ……」
顔を真っ赤にしてわたわたと足を隠しながら、葉隠は混乱した様子でそんな言葉を叫んだ。……どうやら目の前で起きた事件に気を取られて過ぎて自分の格好を忘れていたらしい。いつも冷静で穏やかな葉隠にしては珍しい光景だった。
因幡が悲愴な顔で混乱している葉隠にどう声を掛けるべきか悩んでいると、壬生がすっと前に出て葉隠の手を掴んだ。
「はいはい、早く医務室に行こうな。大丈夫、可愛い可愛い。似合ってるぞ」
「お、追い打ちかけるのやめてくださいよ……!! うぅ、迷惑かけてごめんなさい。治療が終わったらまた戻ってきますから……!!」
そうして壬生に引きずられるように連れ出された葉隠は、そう言い残して対策室から去っていった。まるで嵐の様な一瞬だった。
「誰か今の写真撮った?」
「馬鹿、今はそんな余裕ないっつーの。携帯なんか出してる暇なんかないだろ」
「たしかこの部屋何個か監視カメラが置いてあるから、後でそこから画像引っ張ってくる。今回のが解決したら皆で見ようぜ」
「じゃあ事件の後処理まで考えたら徹夜しても見れるのは早くて三日後だな。あ゛ぁー、それまで頑張って社畜するわ……」
葉隠が出ていった後、そう口々に職員たちが軽口を叩いていたが、作業する手が止まってないのを見る限り物事の優先度はきちんと理解しているらしい。まあ当然のことである。
やれやれと因幡が肩を竦めると、薔薇がクスクスと笑いながら口を開いた。
「ふふ、葉隠さんってあんな顔も出来るんですね。ちょっと意外でした」
「彼女はいつも真面目ですからね。きっと気を抜いた格好をしているのを見られたのが恥ずかしかったんでしょう。――それで、その種から解析は出来そうですか?」
因幡がそう問いかけると、薔薇は両手で種を祈るような形で包み込みながら静かに目を閉じて言った。
「いくつかの力の流れを感じます。このまま辿れないこともないですが、数が思っていたより多いですね……。出来るだけ大きく拡大した日本地図を出してくれませんか? 力を感じた場所をチェックしていきますから」
「分かりました。すぐに用意させます」
そして因幡は拡大地図を用意するように職員に指示を出し、薔薇に引き続き解析を進めるようにお願いをしたあと、様々な報告が表示されている自分のパソコンを見つめた。
――現在の被害人数はおよそ三百人。確認が取れているかぎり、その中の半分は魔法少女の適性者だ。これは日本全体の適性者の数から考えると、異常な割合である。――つまりこれは、明確な意思を持った攻撃だということだ。
だが、と因幡は考える。結界の枠をすり抜けて現れたイレギュラー。狙いすましたかのように適性者を攻撃するその陰湿さ。体から取り出すことが出来ない様に調整された種。それは今までのイレギュラーとは違い、完璧なほどに地上の事情を知り尽くしているようにも思えた。
魔獣が成長したのか。それともこちらの突かれたくない部分をよく知る第三者――神や人間の手引きがあったのか。今はまだ推測に過ぎないが、最悪のケースを考えて動いた方がいいのかもしれない。
そう因幡が考えを巡らせていると、ポンと小さな音が鳴って新しい報告が届いた。その報告を見て、因幡は呻くような声で言った。
「……ついに死者が出てしまったか」
報告にあった最初の死者は、八歳の少女だった。姉と一緒に歩いていたところ運悪く二発の種をその身に受けてしまい、病院に運ばれたがあっという間に衰弱して事切れたらしい。つまり魔獣の種は、宿主が死ぬまでその力を吸い上げ続けるのだ。ヤドリギなんかよりも余程たちが悪い。
因幡は悼む様に目を伏せると、右手でぐっと胸の前に拳を作った。
「恐らくこれからもっと死者は増えていく。……時間との勝負になりそうだな」
――種への対処法を見つけ出すのが先か。それとも被害者たちが力尽きるのが先か。最悪のデスレースはもう既に始まっていた。