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葉隠桜は嘆かない  作者: 玖洞
五章
127/202

121.禁断の果実

 鶫が行貴に電話を掛けたのは、一晩泊めてもらえないかと頼む為だった。


 最初はホテルに泊まろうかと考えていたが、鶫は未成年なので一人では泊めてもらえない可能性も高い。カラオケやネットカフェなども同様だ。

 別に夏場の気温なら一晩外で過ごしたところで風邪はひかないだろうが、戦闘で疲れているので出来れば室内でゆっくり休みたかった。


 そんな中、鶫の頭に浮かんだのは行貴のことだった。

 行貴は親元から離れて一人暮らしをしており、一緒に遊んで終電を逃した時に何度か泊めてもらったことがある。


……いきなり頼むのは少し図々しいかと思ったが、普段迷惑を掛けられているのだから、これくらいの我儘は聞いてくれてもいいのではないだろうか。


 そんなことを考えつつ、鶫は駄目元で行貴に「一晩泊めてほしい」と切り出したのだが、行貴は意外にもあっさりとOKを出した。


『別にいいよー。あ、でもなんか途中で軽くつまめるもの買ってきてよ。果物がいいな』


「果物? まだスーパーとかはやってるから買って行けると思うけど、どんなのがいいんだよ」


 鶫がそう聞きかえすと、行貴は何時もの調子でさらりと答えた。


『――そうだねぇ、僕は真っ赤なリンゴが一番好きかな』







◆ ◆ ◆





 行貴に言われた通り、真っ赤なリンゴをいくつか買ってきた鶫は、高層マンションが立ち並ぶ部屋の一室に立っていた。

 呼び鈴を鳴らし、部屋の主が出てくるのを待つ。するとすぐにドアが開き、ひょっこりと行貴が顔を出した。


「いらっしゃい。――鶫ちゃんから泊まりたいって言いだすなんて珍しいね。千鳥ちゃんと喧嘩でもした?」


「別に喧嘩なんかしてない。……千鳥には用事が長引きそうだからどこかに泊っていくって連絡したから、少し帰りにくいんだよ。あー、その、今回は無理言って悪いな。助かる」


 鶫がそう言って頭を下げると、行貴はにやにや笑いながら鶫の手を引いて部屋の中に招き入れた。


「友達の頼みだからね。ほら、僕ってば優しいから!」


「……まあ、今回に限ってはそうとも言えるのかな」


 何となく釈然としないものを感じつつも、ご機嫌な様子の行貴の後に続いて靴を抜いで部屋に入る。


――意外かもしれないが、行貴の家にはあまり物が置いていない。暮らしていくのに必要な最低限の家具と家電。そして時々遊びにくる鶫が置いていった本やゲームがあるくらいだ。


 鶫は殺風景な台所に立ち、買ってきたリンゴをテーブルに置くと、振り返って行貴に問いかけた。


「買ってきたリンゴはどうすればいい? 今食べたいなら俺が切るけど」


「んー、じゃあちょっとだけ。残りは冷蔵庫にしまっておいて」


「分かった。……うわ、お前冷蔵庫に水しか入ってないのかよ。ちゃんと食事取ってるのか?」


 鶫が呆れた風にそう言うと、行貴は面倒そうに口を開いた。


「僕はいつも食事は外で取るから別にいいんだよ。こっちが頼まなくても奢ってくれる人いっぱいいるし」


「はいはい、それは羨ましいことで」


 相変わらず、行貴は信者に貢がれる日々を送っているらしい。いつか刺されたりしないか少々心配にもなるが、コイツならば大丈夫だろうという謎の信頼もある。

 まあ、本人が改めるつもりもないのだから、何を言っても仕方がないのだが。


 そんなやり取りをしつつ、鶫はリンゴを剥いて行貴の元へと持っていった。すると可愛らしいウサギ型に切られたリンゴを見て、行貴はケラケラと笑いながら言った。


「何これ鶫ちゃんの趣味? どうせ口に入ったら一緒なのに変なことするよね」


「その、これは最近人に剥いてやる時はいつもこの切り方だったからつい……。おい、そんなに笑うなよ」


 バツが悪そうに目を逸らしながら、鶫はそっとリンゴを手に取り口に放り込んだ。果物をウサギの形に切るのは、ひとえにその方が千鳥の契約神のシロが喜ぶからだ。……その無邪気な様子に、鶫はたまにシロが兎か神か迷う時があるが、それは置いておこう。


「ああ、千鳥ちゃんの趣味か。そういえば、この前千鳥ちゃん倒れて入院したんだって? 大丈夫だった?」


「……まあ、取りあえずは。今のところは何も問題はないらしい」


 鶫は誤魔化すように目を逸らしながら、そう答えた。


――千鳥の誘拐事件は、世間には一切情報が流れていない。学校などには行貴が言ったように、体調不良で倒れたと伝えてある。


 広まってしまえば政府の不手際を晒すことになる上、魔法少女の評判も下がる可能性もある。そんな裏事情もあり、関係者には厳しく口を噤む様に言い聞かせられていた。


「それは良かった。あの日映画に行くとかで会った後だったらしいね。――本当に、お気の毒さま」


 よよよ、とわざとらしく心配した風に告げる行貴を半眼で見つめながら、鶫は小さく溜め息を吐いた。行貴にまともな情緒を求める方が間違っている。


「千鳥もまだ本調子じゃないみたいだから、あんまり絡みに行ったりはするなよ。ほんと頼むから」


 鶫が言い聞かせる様にそう言うと、行貴はつまらなそうに口を尖らせて言った。


「なんだ、つまんないの。あの日から例の転校生も休みがちになったし、何かあったのか聞いてみようと思ったのに」


 鶫ちゃんは話してくれないしさ、と言いながら行貴は頬杖をついた。……本当に、行貴は鋭くて油断が出来ない。これ以上千鳥のことを聞かれても困るので、鶫は話を逸らすことにした。


「アザレアの件はまた別だろ。俺も詳しくは聞いてないけど、事情持ちで政府の神祇省? って所に出入りするようになったらしい。どうせそっちに聞いても守秘義務とかで答えてくれないだろうし、気にしない方がいいんじゃないか?」


――千鳥が病院に運ばれた後、アザレアは政府の職員と話をした結果、異国の呪術の知識を買われて神祇省の専門部署に出入りすることを許されたらしい。


 詳しいことは守秘義務があると言って話してくれなかったが、上手くやれているようなので鶫としてはそんなに心配はしていない。鶫がそれをぼかして告げると、行貴は露骨に嫌そうな顔をして吐き捨てる様に言った。


「あのよく分かんないオカルトな省に? うっわ、やっぱ関わらなくて正解だった。鶫ちゃんも距離を置いた方がいいよ」


「アザレアはそんなに悪い奴じゃないと思うけど。……まあ、そんなに相性が悪いなら、お前らは接触しない方が周りの為なのかもな」


「言われなくても関わったりしないよ。僕はアイツみたいな奴大嫌いだから」


 鶫がしみじみとそう言うと、行貴は不貞腐れた様にそう告げた。アザレアの何がそんなに嫌なのか鶫には分からないが、行貴にも譲れない何かがあるのだろう。


 そうしてリンゴを食べつつダラダラと時間を消費していると、片手でウサギ型のリンゴを弄びながら、行貴は唐突に呟くように言った。


「――知ってる? リンゴって神話では禁断の果実って呼ばれてるらしいよ」


「アダムとイヴが食べたっていうあれか? 聞いたことはあるけど、それがどうしたんだよ」


 鶫が訝し気にそう返すと、行貴はにっこりと笑いながらリンゴを口にして言った。


「罪だと知りながら、人はこの果実を口にした。己の欲望に負けてね。――それがいかにも人間らしくて、僕はその逸話が大好きなんだ。だって、とっても愚かで可愛いと思わない? それを食べなければ、人間は何にも虐げられず幸せにいられたはずなのに」


 楽し気に神話を語る行貴の横顔を見つめながら、鶫は大きな溜め息を吐いた。行貴が急に変なことを語りだすのはいつものことだが、今日はいつにも増して面倒くさい。

 鶫は追加で丸く剥いたリンゴをガリガリと食べながら、呟くように口にした。


「ふうん。でもそのお陰で俺達はこんなに美味しいものが食えるようになったんだから、別にいいんじゃないか? それにアップルパイもリンゴジャムも食べられない生活なんて、寂しいだろ」


 リンゴを使った料理は他にも山ほどある。りんご飴やリンゴを使ったケーキなど、種類だって沢山ある。禁断の果実を食べなかった――そんなあり得ないifを語るよりも、今あるメリットを話す方がまだ建設的だろう。真面目な顔で鶫がそう告げると、行貴はきょとんとした顔をして吹きだすように笑った。


「ふふ、あっはは!! 何それ馬鹿みたい!! 結局は食い意地じゃん!」


「はぁ? 別に変なことは言ってないだろ」


「かの原罪の命題を『リンゴは美味しいから問題ない』で済ます馬鹿は他に居ないでしょ。くくっ、こんな発言をあの転校生が聞いたらどう思うんだか。ちょっと笑える」


 そして腹を抱えて目じりに涙を浮かべるまで大笑いした行貴は、ひぃひぃ笑いながら廊下の奥を指さして言った。


「あー、お腹痛い。鶫ちゃんの顔見ると笑っちゃうから先お風呂行ってきなよ。着替えとタオルは適当に置いてあるから」


「……分かった。それと、出てきたらもうこの話題は終わりな。宗教が絡む話は正直面倒くさい」


 鶫は不満気にそう告げた。何が行貴のツボに入ったのか鶫にはいまいち分からないが、どうせ趣味の悪いことで盛り上がっているに違いない。


「はいはい、分かったってば」


「じゃ、遠慮なく借りる。――色々とありがとな」


 いくら貶されるような言動を取られたとしても、それはお礼を言わない理由にはならない。それに、文句も言わずに泊めてくれただけでも御の字と言うべきだろう。

 そんなことを考えながら、小さく頭を下げて礼を告げ、鶫はひらひらと手を振りながら廊下の奥へと消えていった。


――そんな鶫の背中を見つめながら、行貴は憐れむような、それでいて悔しそうな表情をして呟くように言った。


「あーあ。鶫ちゃんって本当に、――本当に、馬鹿なんだから。そんな事だから僕ら(・・)みたいなのにつけ込まれる。直向きで、可愛くて、とっても可哀想」


 そう言って行貴は立ち上がり、おもむろに戸棚を開いた。そしてその中に隠すように置かれていた小箱を手に取り、仕方がない、とでも言いたげにため息を吐いた。


「本当はこれは別のことに使おうと思ってたけど、今回は特別に手を貸してあげる。ああそうだ、今日の夜は久しぶりにゆっくり話そうか――僕の片割れ(サタナエル)


 そうして、行貴は悲しそうな顔をして微笑んだ。――奇しくもその表情は、まるで誰かを慈しんでいるようにも見えた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 書籍化おめでとうごさいます! やはりお金を払っても読みたいと思えるような質の高い作品は少ないのでその中の一つがこうして書籍化されるというのは嬉しいものです。 楽しみ!
[一言] 姉がルシファーで親友がサタナエル 仕える神様はベルゼブブ 悪魔の大御所がいっぱいだ
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