116.新しい仕事
7月も終わりに近づいたある日。政府での待機中、鶫がシミュレーションで魔獣との戦闘訓練をしていると、突然甲高い警報音が鳴り響いた。
「……うるさい。頭に響く」
鶫はピタリと動きが停止してしまった魔獣を横目に見つつ、ガンガンと響く音に眉をしかめた。
――この音は緊急用の呼び出し音だ。という事は、それを押さなくてはいけない事態が起こってしまったという事だろう。
そして鶫は、警報と共に目の前に現れた電子画面に手を触れた。それと同時に視界が真っ暗になり、四肢の感覚がなくなっていく。そしてぐらりとした揺れと共に、鶫は静かに目を閉じた。
手足の感覚が戻った後、ゆっくりと目を開けると、プシュッという音と共に部屋の扉が開いた。鶫が目をこすりながら出口に向かうと、扉の外に見知った人物が立っているのに気が付いた。
鶫よりもやや幼く見える顔立ちに、乱雑に切られた黒髪。そして眠そうにぼんやりとした表情を浮かべながら、少女――十華序列九位の風車常葉は真っすぐに鶫のことを見つめていた。
「――風車さん。何か問題でも起こりましたか?」
そう言って鶫が問いかけると、風車は表情を変えずにこくんと頷いた。
「魔獣対策室から指令。葉隠桜と私に出動要請が出ている。詳しいことは現地で職員が説明する」
「分かりました。場所は何処でしょうか」
「ん、これが観測された座標。私は今から転移管理部に行って飛ばしてもらう。先に行ってて」
風車は端的にそう告げると、書類を鶫に差し出した。相変わらず不思議な話し方をする人だな、と思いつつ書類を受けとると、そこには魔獣の出現予定の座標と出現予定時間が書かれていた。
A級の魔獣出現まで、あと四時間と少し。少し遅れて行った所で特に問題はないだろうが、急にイレギュラーに変わる可能性もある。そう考えると早めに移動した方がいいだろう。
鶫は小さく頷くと、風車の方を向いて微笑みながら言った。
「了解しました。――では現地でお会いしましょう」
「うん、じゃあまた後で」
風車はそう答えると、鶫に背を向けてシミュレーションルームから出て行った。恐らくその足で転移管理部の部屋へと向かったのだろう。
鶫は自前の移動能力がある為、転移管理部のお世話になったことは無いが、他人による転移というのは少しだけ気になる。もしかしたら、移動の際の感覚なども自分とは違ったりするのかもしれない。
……まあ転移の無駄打ちが許されない以上、鶫がそれを経験することは恐らく無いだろうが。
そう考えると、鶫の転移能力は破格の性能である。単独での移動に限られるが、通常でのクールタイムはたった数分、移動距離の制限もなく、使われる神力もそう多くはない。非常に使い勝手のいい能力だ。
鶫がこの能力を手に入れたのは、本当に幸運だったと言ってもいい。……もしかしたらそれで運を使い果たしてしまったのかもしれないが。
そんなことを考えつつ、鶫は千鳥に『今日は友達の家に泊まる』とメッセージを送った。鶫が戦うとは限らないが、対A級ともなれば戦いが長引くのは確実だろう。
「……今回は変なことが起こらなきゃいいんだけど」
そんな溜息を吐きつつ、鶫は指定された座標へと飛んだ。
◆ ◆ ◆
「A級昇格試験、ですか?」
「はい。今回のA級戦では、まずB級の魔法少女に戦ってもらう事になっています。十華のお二人には、もしもの時の対処をお願いしますね」
鶫が指定された場所に降り、政府の職員が集まっている仮設の作戦本部まで出向くと、職員の一人からそんな事を言われた。それを聞いて鶫が不思議そうに首を傾げると、職員は「ああ、そう言えば葉隠さんは在野の方でしたね」と頷いて話し始めた。
職員曰く、政府の魔法少女は一定の条件を満たすと昇格試験――実際にそのランクの魔獣と戦う許可が下りるらしい。つまり鶫の今回の仕事は、もしもの時の対処――先に戦う魔法少女が敗北した時の後詰である。
そんな説明を受けた鶫は拍子抜けのような感覚を味わいながらも、小さく頷いて待機場所にある椅子へと座った。どうやら、今回は上手くいけば戦わなくて済むらしい。
そして鶫は椅子の側に用意されていた飲み物を手に取りながら、遠くの方に座っている私服の女性を見つめた。
綺麗な金色に染め上げた髪をショートカットにした、釣り目の気が強そうな女性。恐らくあの人が、先に戦う魔法少女なのだろう。
鶫がぼんやりと女性を見つめていると、ふと振り向いた女性と目が合った。すると女性は不快そうに鶫を睨みつけ、ふん、と鼻を鳴らして立ち上がり何処かへ行ってしまった。……そんなに見られるのが不快だったのだろうか。
何となく釈然としないものを感じつつ、飲み物を片手に資料を捲っていると、急に手元に黒い影ができた。
「彼女は白木蓮。21歳。魔法少女歴は五年。戦闘スタイルは槍による攻撃型。実力はあるが、性格にはやや難あり」
「ひゃっ!! え、か、風車さん? いきなり耳元で話さないで下さいよ……」
突然耳元で囁かれた言葉に驚き、鶫は手に持っていた飲み物を落としそうになった。それを何とか抱え直し、バクバクと鳴る心臓と動揺を抑えながら、鶫は咎めるようにそう言った。
すると風車は、何を考えているのか分からない無表情のまま不満そうな声を上げた。
「む、心外。気になっていると思ったから教えただけなのに」
「確かにちょっと気になってましたけど……。風車さんは彼女とお知り合いなんですか?」
鶫がそう問いかけると、風車はゆるりと首を横に振った。
「直接は知らない。以前に資料で見たのを覚えてただけ。それに、後詰は基本的に試験者と関りが薄い者が選ばれることになってる」
「そうなんですか? それは初めて知りました」
――けれど、確かにそれは理にかなっている。B級からA級に上がる際の死亡率はかなり高い。そうすると、何が起こるか。そう――後続の魔法少女が戦えなくなるのだ。
いくら魔法少女とはいえ、親しい知り合いが死んでまともな精神状態でいられるわけが無い。二次被害を出さないためにも、そういった処置は必要なのだろう。
「あの様子だと、向こうも多分気が立ってる。あまり刺激しないほうがいい」
「挨拶くらいはしておこうと思っていたんですけど、止めておいた方が良さそうですね。さっきもちょっと睨まれちゃいましたし」
鶫が困ったようにそう言うと、風車は肩を竦めて口を開いた。
「良くも悪くも葉隠桜は目立つ。あんな風に燻ぶっている連中からすれば、八つ当たりの一つもしたくなるんだろう。有名税だと思って諦めるしかない」
「私としては、出来るだけ仲良くしたいのですが……。やっぱりそれは難しいのでしょうね」
そう言いながら、鶫は小さくため息を吐いた。
鶫――葉隠桜は、政府の魔法少女たちが苦しみながら手順を踏んで歩んでいく道のりを、一瞬で飛び越えてしまった。それは彼らの目にはどんな風に映ったのだろうか。――ひどく疎ましいモノに見えたに違いない。
……けれど、ここで鶫が彼らに遠慮をするのは道理が違うだろう。葉隠桜は、多くの人に選ばれてこの場に立っている。その期待への責任は、自分自身がとらなくてはいけない、……ままならないものだな、と思いながら鶫は苦笑した。
「それと、A級以外の魔法少女と積極的に関わろうとするのはあまりお勧めしない。――もしもの時、自分が辛くなるだけ」
「……それは、その」
風車が静かに告げた言葉に、鶫は気まずさを感じながら俯いた。風車のその言葉は決して下級の魔法少女に対する嘲りでなく、鶫に対する純粋な忠告だった。もしかしたら、彼女も大切な誰かを無くしたことがあるのかもしれない。
だが、風車の言う事にも一理ある。A級とそれ以外の魔法少女とでは、死亡率が倍以上違うのだ。それはただ単純に、A級の魔法少女が桁違いに『強い』からだ。
――そもそも、魔法少女には明確な格差が存在する。
適性の高さや、契約神の格。得た能力の有効性と、個人の戦闘センス。配られる手札は決して平等ではなく、最初の時点で結果はほぼ決まっていると言っても過言ではない。
だがたとえ能力に恵まれなかったとしても、戦い方や努力次第ではB級の魔獣までなら倒せるようになるだろうが、それがA級になると話が変わってくる。
A級とB級の間には、小手先の力や努力だけでは決して覆らない力の壁が存在する。自らの殻を破り、その理不尽な壁をぶち壊した一握りの者だけが高ランクの魔法少女になれるのだ。
だからこそ風車の言う様に、A級の魔法少女以外――死にやすい者と距離を取ろうとするのは、心を守るためには正しい行いなのかもしれない。
「ご忠告ありがとうございます。風車さんは優しいですね」
鶫がそう告げると、風車はおどける様に言った。
「優秀な後輩を気遣うのは当然のこと。優秀な人が多ければ多いほど私の負担も減る。つまりWin-Win」
「ふふ、なら先輩の期待に添えるように頑張りますね」
「ん、応援してる」
そう言って、風車は薄く微笑んだ。そして鶫は風車の悪戯気に笑う姿に、どこか芽吹と似たものを感じた。妙に面倒見がよさそうな所がよく似ている。
――なるほど、確かに『先輩』だな。そんなことを考えながら、鶫も自然な笑みを浮かべた。




